3歳児シリーズが終わり、今回から4歳児シリーズが始まります。3歳児と同じように、自由遊びを経験した後に七夕まつりの準備に入るという構成です。まずは自由遊びの様子をご覧ください。
♯1
345合同コーナー遊びの流れを受けて、3歳児は新聞紙遊びからスタートしましたが、4歳児はダンボール遊びでスタートします。環境設定はダンボールのみ。こういうおもちゃではない環境設定の遊びは、子どもたちが遊びを作り出せるかどうかで決まります。
子どもたちが遊びを創造する(クリエイトする)。私の園で大切にしている視点です。
スタートは男女別れての遊びになりました。この年齢でよくある別れ方ですね。しばらくして一人の男の子が女の子のままごと遊びに入ってきました。どうやら「赤ちゃん」のようです。頭を撫でる「お母さん」。
この2人、去年から遊びの時に赤ちゃんとお母さんだったんですよね。一年たっても関係性や遊び方が変わらない。これはまだ「この関係のごっこ遊び」が遊び足りていないってことです。満足すればやらなくなる。必要だからやっている。
345歳児コーナー遊びでも見られていたダンボールの上に立って窓から景色を見るという遊び。子どもの中で遊びはつながっていますから、今回も当然行っています。男の子たちが盛り上がっているのを見て、女の子たちが集まってきました。盛り上がるところへ子どもは集まってきます。
見える景色はこんな感じ。お砂場では0歳児と1歳児クラスが遊んでいます。これはただ単に見ているのではなく「視点を変える遊び」です。いつもと見える景色が違う。高さが違うと見え方が変わる。いつも遊んでいる砂場を上から眺めることは通常ありえない。なんだか不思議な感じがする。
大人で言えば、山の頂上や観覧車、高層ビルから街を見下ろす感じです。つい、見てしまいますよね。大人がやっていることだって、観察遊びの一種です。大人も子どもも、みんなたくさん遊んでいるんです。
一度は集まってもすぐに興味のある方へ分かれていく。窓から眺める遊びと、ダンボールに入ってままごとをするごっこ遊び。大きく2つの流れができていく。
猫が箱の中に入りたがりますが、一つには外敵から隠れて身の安全を守るための本能という説があります。人間も同じ哺乳類ですから、そういう意味合いがあるかもしれないですね。そして、もう一つ、胎児に戻る説があります。狭いところに入るのは、お母さんのお腹の中にいる感覚に近い。その感覚を無意識に選んでしまうということです。
どちらにせよ、遊びの中でも安心したり成長するとダンボールから出るということになります。つまり、この子たちがダンボールから出るかどうかが、一つの見どころだということですね。ダンボールの遊び方一つで、子どもの内面が見えてきます。
窓から景色眺めるチームの方が動き始めます。ダンボールが潰れてしまうので、新しい新鮮なダンボールが必要になる。そこで、ままごとチームのダンボールをちょっとずつ勝手に奪って窓側に運んでいく。それを見つめるままごとチーム。
そこから部屋の端から端までを使って、ダンボールを押して運ぶ遊びに発展しました。後ろの方ではダンボールに入った子を他の子が運んでいますね。一人遊びではなく、ままごとでもなく、動きのある集団遊びになっていきます。
ご覧の通り、運び終わった先でみんなでダンボールの上に乗って景色を眺めています。保育士が何も言っていないし誘導もしていないのに、みんなの心が一つになり、同じ遊びを共有しています。地味にすごいことなんですけどね、これを読んでいる人にどこまでこの凄さが伝わるのかなといつも気になっています。
自由遊びを売りにしている園は多いですが「自由遊びをしていたらみんなで一つの遊びに自然になっていきます」という話は、自分の保育園以外で聞いたことがないんですよね。
そこへダンボールの卵が突然現れました。撮影した画像を確認するために一瞬目を話した隙に、いつ間にか出現しています。これは遊びが展開する予感を期待せずにはいられません。そして、私の興味は、この中に誰がいるのか。こういうのを想像しながら遊びを観察するのが面白い。
中から出てきたのは、私が予想していた子でした。こうやって予測して結果がどうだったのかをその都度照合しながら観察すると、予測の精度が上がっていきます。遊びを予測できるようになれば、最適な遊びの環境や関わり方がわかるようになってくる。
それにしても良い笑顔ですね。
この子がたくさん笑うので、その笑い声を聞きつけて、反対側から私の方に向かって、先ほどのダンボール運び遊びが再開されました。私にダンボールで衝突する遊びに変わっていきます。
ダンボールの中に入って何もしないで「守られる」遊びから、外敵(園長)をダンボールで「攻撃する」遊びに変化しました。主体性の発揮です。誰かに守られるのではなく、世界を変えるために自分から行動する。自分で解決しようという意欲が育っています。
園長を攻撃するのはどうなんだという考えも当然ありますが、みんな手加減しているんですよね。よくわかってる。これは「攻撃」ではなく「攻撃する遊び」。相手を傷つけるつもりがない。安全な遊びです。
赤ちゃんは愛と攻撃性が未分化というか一体化しています。好きな相手の髪の毛引っ張ったり、噛みついたりしますよね。小学生くらいでも好きな子に意地悪するじゃないですか、あれです。だんだんと成長につれて愛のある行動と攻撃行動が分かれてくるのが子どもの発達です。
園長への愛情と攻撃性が混ざって発揮されているんですね。それがどう変化していくのかも今回のシリーズの注目ポイントになります。
2人で一緒に景色を見たい。そうすると1つのダンボールに2人で乗ることになる。ダンボールが潰れる。この繰り返しをしています。どんどんダンボールが破壊されていく。壊れる遊びです。壊すのではなく、壊れる遊び。壊す意図はなく、偶然壊れるから面白い。このニュアンスの違いがわからないと、子どもが何に面白さを感じているかがわからなくなる。
どれくらいの強度のダンボールの、どこに、どんなふうに、どうやって乗れば何秒くらいで潰れるのか。そういう実験になっているんです。しかもそれを2人で試している。試行錯誤する面白さの基礎がここで培われています。
窓からの景色を見るために使っていたダンボールを、壊れるかどうかを試す遊びに使うように変わりました。そうすると窓の近くで行う必要がないので必然的にダンボールがいっぱいある場所で行われるようになりました。
景色を見るという目的のためにダンボールに乗るという手段を用いていたけど、ダンボールが壊れるか試すことが目的であり手段に変化しています。
そして、それを見ていた他の子もダンボールを解体して遊ぶようになりました。ダンボールの形をそのまま使う遊び方から、ダンボールという素材から別のおもちゃを作り出すという遊び方へ。
これが「遊びを創造する」ということです。常識にとらわれない自由な発想と解決策。アメリカではイノベーションと言いますね。日本語では「革新」です。日本人が一番苦手なやつですね。私はそれを育てたい。
ダンボールが潰れて形が崩れて丸くなったから、転がりやすくなる。それに気付いたので、ダンボールを横にして中に人が入って転がす遊びが行われています。そして外から転がしてあげる2人。3人で協力する遊びができています。
偶然性から遊びが展開する例です。そして一人遊びではないというのもポイント。協力する気持ちが育っていきます。
危険な場所にダンボールを置いて、その中に2人で入る。すかさず保育士が倒れないようにサポートに入ります。遊びを邪魔しないけど安全は守る。なかなか難しいのですが、担任も子どもたちと同じように試行錯誤しながら行います。
私も全体を見ていますから、危険があれば対応できる。この写真を撮れているということは、私が危険を感じて近くまで来ているということです。
2人がダンボールの中に引っ込んだら、手前のダンボールから別の子が顔を出す。逆に、2人が顔を出したら手間の子が引っ込む。お互いに見つからないように出たり入ったりする遊びが始まりました。これが自然発生するから面白い。危険だからと止めなくて良かった。
高いところで2人でダンボールに入るのが目立っていたので、それを見た他の子も2人でダンボールの中に入って歩き始めました。そして1人で入っている子とやりとりをしています。2人と1人でやり取り。さっきの遊びがこっちでも展開されている。遊びが広がっていきます。
こんな感じで第一回は終了です。4歳児クラス、どうなるのかなと思っていたら、初回から自然発生的に複数人数で意味のある遊びが展開されていましたね。3歳児とはまた違って、少し高度な遊びになってます。
ここから数回に渡り、変化していく様子をご覧ください。