4歳児ダンボール遊び、続いて第二回です。遊びを創り出すという意味においては、このクラスが一番上手かもしれません。実は4歳児クラスが一番遊びが展開する可能性があるんですよね。3歳児だとできることが少ない。5歳児だとちょっと大人になりすぎて恥ずかしさとか打算が出てくる。4歳児ならではの、遊びが変化していく様子をご覧ください。

 

♯2

スタートの仕方でその日の方向性が決まる

スタート時は前回の遊びの再現から始まることが多い。ダンボールの上に乗って景色を見る遊びと、ままごと遊びです。第一回のスタート時と全く同じ展開ですね。

 

スタートは個人の興味関心というより、なんとなくの全体の流れみたいなもので決まってしまうんです。大人であれば行列できてるから並んでみよう的な感じですかね。本当の興味とは違う。流される。

 

 

ギリギリでいつも生きていたいから

前回楽しかった記憶が残っているので、ダンボールが壊れる遊びが再び行われている。そこに、椅子を持ち出す子が現れました。ダンボール遊びなのに生活で使うイスを持ち出す。このギリギリな感じが良いですね。止めるべきか、続行か。保育士側にも緊張感が走ります。

 

こういう判断に迷うギリギリな展開は遊びが大きく変わるターニングポイントになり得る。それは一歩間違うとなんでもありの無法地帯になってしまうし、遊びが大きく展開する場合もある。この見極めがいつもスリリングで楽しいですね。子どもと保育士の真剣勝負という感じで。

 

 

家ごと移動するのって、ヤドカリみたいだなと思いました

一方、ままごと遊びの子たちは徐々に窓側にダンボールごと移動してきています。無意識に窓側の子たちと一緒に遊びたいという想いが行動に出ているのかもしれません。

 

 

足がいっぱいあって、やっぱりヤドカリみたい

ダンボールの中に入る遊びから、ダンボールを運ぶ遊びへ。それが組み合わさってダンボールに入りながら移動する遊びへ。面白い進化を遂げていますね。そして1人ではなく3人で移動しているのがとても良いです。楽しさを共有しています。一人より2人、2人より3人の方が楽しさが大きくなるんです。

 

後ろで女の子もイスを運ぼうとしています

そして先ほどの持ち出していたイスをダンボールに入れて、そこに座った子を他の子が運ぶという遊びへ。遊びが組み合わさっていきますね。車のイメージでしょうか。

 

イスに座っている子が遊びを先導するタイプです。4歳児クラスのインフルエンサーです。自然と他の男の子たちも集まってきて、さらに遊びが盛り上がります。

 

 

そのままイスを並べる遊びへ。ダンボール関係なくなりましたね。ダンボール遊びという「縛り」はこちら側が勝手に設定したルールです。イスを使ってはいけないとは言ってない。だけど使って良いとも言っていない。

 

本当にルール破りのギリギリのラインを攻めています。これは止めても良いかもしれないと私は思いましたが、担任は何も言わない。担任はプロジェクト保育が初めてなので匙加減がわからないのです。このまま、成り行きを見守ることにしました。何かが生まれるかもしれない。

 

構造的には子どもを見守る担任がいて、その担任ごと子どもを見守る園長がいる。2重構造になっています。子どもにとっては普通に遊ぶよりも無意識に安心が増していて、安心が遊びを促進する。だから子どもが大人を信頼していないと遊びは深まりません。実はそこにいる大人の力量で、遊びが全然変わってくるんです。

 

ちなみに、部屋全体を見ることができる向きでイスをベンチみたいに並べています。しばらく男の子たちはベンチに座って全体の動きを眺めていました。ダンボールに乗って窓の外を眺める遊びからの派生であることがわかります。

 

 

真似のようで真似にならない

特に何も考えずにイスを並べて、その上に座っておしゃべりをしています。このクラスの女子はただダンボールに入っておしゃべりするだけで遊びが深まっていかないという課題がありましたが、この状況でもあまり変わらない。仲良く楽しそうではあるんだけど。

 

男の子たちは背もたれを外側に向けて向かい合わせの2列にして、その上に乗っていますが、女の子たちは一方向に並べているだけ。人と人が向かい合いにくい配置になっています。真似をしているけど、なんとなくの形だけの真似になっている。

 

おじさんが若者に流行っているものを取り入れようとして細部が間違っていて恥をかくとか、ああいうのと一緒です。真の理解の上での再現と、表面上の真似は結果が大きく異なる。

 

大型バスに乗ってますー

全部のイスが前方を向いているのを利用してバスごっこが始まりました。一番先頭が運転手。良い工夫です。ごっこあそびとイスの環境が見事にハマりました。女の子たちも工夫して遊ぶという方法がわかってきたようです。

 

先ほど男の子たちがベンチに座って部屋全体を見ていた。つまり、女の子たちと向き合う状況でしたね。そのイメージが残っているから、イスに座って眺める遊びになった。全員が椅子に座って眺めると、結果的に全員前を向く形になる。一番前の列だけイスが一つだった。先頭の子が「発車しまーす」と運転を始めた。全員その遊びに乗った。バスごっこの発生のメカニズムとしてはそんな感じでしょう。

 

みんな影響を与え合って遊んでいます。

 

プレゼントは私よ

イス遊びからまたダンボール遊びへ。ダンボールの中に一人だけ入って蓋を閉め、人が入っていることを知らない子を呼んできて急に開けて人が出てくるという、びっくり箱遊びです。

 

隠れる、呼んでくる、びっくりする。3つの役割が分かれている遊びです。これは、前回のダンボール2箱で交互に顔を出す遊びからの派生になっています。

 

「箱の中に入っていることを知らない人を呼んできて驚かせる」

 

これはものすごい高度なことなので、ちょっと解説してみます。自分は箱の中に人が入っていることを知っている。だけど、箱の中に人が入る瞬間を見ていない人には、箱の中に人が入っていることを知らないという、自分とは違った認識をしている。

 

自分の認識と、他人の認識にはズレがあって、別の視点、思考で生きている、という理解。

 

これがいわゆる、「相手の立場に立って考える」ということの始まりです。つまり、自分勝手な時期を超え、相手の気持ちを理解して動けるようになってきているということなんです。

 

 

隠れるのも共有したい

当然、次は2人で入ろうとしますよね。こうやって丁寧に遊びを追いかけていくと、次のどういう遊びになりそうかを予測できます。2人で入ると狭い。だから面白い。

 

この遊びのもう一つのポイントは、自分がダンボールの中に入って蓋をされるということは、外にいる子が意地悪なら「閉じ込められる」かもしれないというリスクがあるという点です。つまり、中の子は外の子を信頼しなければ遊びが成立しません。地味にすごいやり取りが行われています。この遊びを通して、人を信頼するとか、信頼に応えるという経験をたくさん積んでいるんです。

 

 

そして喜びも共有したい

ダンボールの中に入っていた2人が出た後に「おめでとう!」と言って抱き合っています。誕生日プレゼントがびっくり箱という設定のようですね。

 

暗闇の中で不安を共有し、出た後の安心感も共有する。想いは行動に表して初めて人と共有できる。体全体で表現しています。なかなか良い感じです。

 

 

愛が広がっていく

抱き合うこと自体が遊びとして、女の子たちに伝染していきました。行動の真似をするということは、得られる気持ちや体験を真似するということになる。つまり、抱き合うという喜びが部屋中に広がっていく。

 

愛と攻撃性が未分化でしたが、まずは第二回で愛の行動が遊びとして出現しました。ここに攻撃性はない。

 

 

重くなった分、押すのもコツがいる

ダンボールにイスを入れて人が座り、それを押すという遊びが序盤でありましたが、2人で入っています。後ろから抱き閉める形で2人乗りになっている。抱きしめる遊びが影響している。色々繋がっていますね。

 

子どもたちに経験させる「あらゆること」が、子どもたちを作っているんだということがよくわかりますよね。子どもには何を経験させるかがすごく大事。何がどう繋がってくるかわからないから。長い時間を過ごす保育園がどれだけ重要かを保育士はよく理解した上で保育しなければいけないんです。

 

頭で押すという工夫

ダンボール遊びに戻ってきています。イスも使ってるけど、イスがメインではなくなっています。子どもは自ら修正していく力を持っている。それがうまく働けば、大人が指示や命令をしなくても自分たちで考えて正しい道へ戻って来ることができる。

 

いつも言ってますが、ギリギリが一番面白い。ルール破りなのか、セーフなのか。このギリギリを遊ぶことで、セーフとアウトの境界線を明確に理解できるようになる。いわば、これは子どもがルールを本当の意味で理解するために必要な「ルール破り」なんですね。

 

マイナスの連鎖

しかし、結局はルールからはみ出す雰囲気のままなので、許可していないままごとセットを出し始めました。一人が出したら全員が出す。真似したり影響し合う力が強いクラスなので、一人がマイナスの方向を向くと、一斉に良くない方向へ全体が流れていく。

 

 

OH!ままごと

一応ダンボールをテーブルにしたりレジャーシートにしてはいますが、メインアイテムは、ままごとセット。ルールから完全に、はみ出してしまいました。良くない流れです。

 

意欲的に持ち出す子もいれば、「これ使って良いの?」という雰囲気で葛藤する子もいました。「じゃあ2つだけ」と自分で謎ルールを作って自分自身を納得させる子も。他の子が使っているのをしばらく見て全体の流れ的に「みんな使っているから」という納得の仕方で使う子も。ルール破りの様子も様々です。

 

 

警察と泥棒

ルールからはみ出すというのは、使って良いおもちゃ以外を出すという意味だけではありません。人の食べ物を泥棒する遊びを一方的に行った結果、犯人として警察に捕まっています。

 

愛と攻撃性が未分化な状態とは、相手と仲良くしたいときに攻撃性を発揮する可能性があることを意味します。つまり、相手の嫌がることをすることで愛情を伝えようとしてしまうかもしれないってことです。この場合は一緒に遊びたいから泥棒をすることで関わろうとした。

 

そして、ルールの逸脱とは、遊びにおいてのルールの逸脱という意味だけでなく、社会性からの逸脱を身につけてしまうという危険性がある。遊びの中とはいえ、人の嫌がることを楽しいと思わせてしまう可能性がある。遊びは良い影響も悪い影響も与える力を持っているんです。

 

 

さて、第二回いかがでしたでしょうか。ルールの逸脱についてもう少し解説してみましょう。遊びに夢中になるとゾーンに入ります。頭で考えて動くというより一種のトランス状態になり、肉体と精神が融合している感じと言うんですかね、現実とファンタジーの境目を生きるというか、そういう状態になります。これ、説明難しいですね。

 

そうすると、現実とファンタジーの境目ですから、常識が通用しない世界です。ファンタジーですから、プリキュアにもなるし、ウォーキングデッドにもなるし、新人類にもなる。常識が通用しないということは、現実世界のルールが通用しなくなるということ。だからルールの逸脱が起きてきます。いわば当たり前の話です。

 

じゃあ、どうしてルールの中でちゃんと遊べるのかというと、ファンタジーに軸足を置いていても現実世界に生きている感覚を同時に保てているから。つまり「どんな状況でもルールを意識して自分をコントロールできる力」が必要になる。これは、ルールの逸脱時に大人が叱るとか、指摘することでは育ちません。あくまでも自分で気がついて身につけていくしかない力なんです(自分自身を内側からコントロールする能力)。だから、幼児期に内的なコントロール力が遊びの中で育つようにしています。怒られるからちゃんとやるんじゃなくて、ルールを守りたいから守る子になる。

 

毎回、終わった後に担任と振り返りを行っていますが、「これは良くない」ということを担任が学び取りました。それを理解した人が次に同じ遊びを行うと、子どもたちがどう変化するのかが次回の様子で分かります。

 

さて、第二回は遊びを作り出す力を発揮した結果、ルールから逸脱していく様子を解説してみました。そして次の第三回では遊びが大きく展開していきます。