第一回では遊園地のアトラクションを各地で作っていくような遊びを展開していました。それぞれがバラバラで直接的なつながりがありませんでしたが、この第二回で一気に遊びが変わっていきます。子どもの遊びの奥深さがわかると思います。それではご覧ください。
♯2
第一回の後に行った園長と保育士との振り返りでは、もう一回導入の続きをやってみようという話になっています。前回の最後で「休憩に入るスタッフ」が出てきたし、ごっこ遊びとしての遊園地遊びになるかもしれないと思ったからです。そうするとお客さんとスタッフの役割分化が起こり、スタッフ側の視点で考えられるようになる。そうすればその後の遊園地作りがスムーズになるかもしれない。
しかし、園長は忙しい。今回は急な電話でスタートに立ち会えず、5分過ぎて保育室に来てみたら、こういう感じでした。何やら、嫌な予感。
遊園地と関係ない輪投げをして遊んでいる。しかも人間を的にした輪投げ。まぁ、輪投げがある遊園地もあるので、大きくズレたとも言い切れないけれど。なんだかみんなの心が遊園地を作ろうという気持ちになっていない感じがする。
コーヒーカップは前回インパクトがあったので今回も作っています。しかし、前回その遊びに入っていなかった子の動きによって、前回のように遊べていません。つまり、知っている子は再現しようとするけど、前回を知らない子は新しい新鮮な気持ちで遊びを作り出そうとする。そのぶつかり合いで邪魔をし合う形になるので、遊びが停滞しています。
落ちても危なくないようにマットを子どもが敷いているわけですが、それをわかっていない子がマットの上に寝っ転がっています。これでは危なくて遊ぶことができません。
ここでも喧嘩みたいになるわけです。邪魔しているつもりはない寝っ転がっている子。邪魔されていると思うダンボールの子。つまり、基本的に子どもの喧嘩は誤解やすれ違いで起きるってことですね。まぁ、大人も似たようなものですが。
大人が思うほど、子どもは「意地悪」をするとか「意図的に」相手を嫌な想いにさせる行動をとることなんて、ほとんどありません。少なくとも、うちの園ではそういうのはない。理由は単純です。子どもは大人を見て育つ。園児たちは園長や保育士を見て育つ。私たち保育士の中に「意地悪」な人間がいないからです。
ちなみに、奥では4歳児が輪投げ屋さんを作っています。5歳児の人間輪投げから影響を受けたんでしょう。ちゃんと並ばせたり、1人何回とか、ルールが生まれています。やはりこちらの狙い通りに、スタッフのごっこ遊びが自然発生しました。良い感じです。
ジェットコースターがスタッフの誘導でスタートしています。手には緑の丸、つまりお金を持っています。前回お金が誕生しましたが、それが今回も活かされているんです。
危なくないようにマットをこちらも敷いているようです。子どもが安全対策も行いながら遊ぶのは、危険予測や問題解決能力の発揮としてとてもわかりやすくて良いですね。そしてこれは、普段から安全対策をして保育をしている保育士の模倣でもある。ちゃんと保育士のやることを見ている証拠です。
端っこで背を向けて設置されたメリーゴーランド。高いところに設置されたのは、コーヒーカップの落ちる遊びを見ていたから。高さを出すのがこの遊園地作り遊びの基本になってきている。
先ほどの滑り台もそうだし、このメリーゴーランドもそうですが、部屋の中心に背を向けて設置しています。これでは遊んでいる時に他の子の遊びを見ることができない。
遊びがますますバラバラになっていく。このままでは遊びが発展しません。やはり、最初に感じた私の違和感は現実のものとなったようです。
そこに突然現れるゾンビ。
滑り台に両手を前に出している子が第一号。その子に噛まれた設定で隣の女の子が第二号ゾンビ。4歳児の、しかも今まで遊びの中心にならなかった子が突然覚醒しました。
ゾンビが来るイベントをやっている遊園地がありますね。それを知っているのか知らないのかわかりませんが、遊園地の本質からは外れている。だけど、これは救世主になるかもしれない。全員の遊びを一気に変える可能性をこの子から感じる。わくわくしてきました!
現場は大混乱。ゾンビがいろんなアトラクションのところへ行くので散り散りになって逃げる子どもたち。各地で展開していた遊園地遊びが崩壊していきます。
カーテンの裏に隠れても見つけて襲いかかるゾンビ。武器を手に集まる人々。
人々を襲うゾンビ(男女各1名)、逃げる人(丸腰)、ゾンビを捕らえようとする人(武器を持っている)という3種類の役割に分かれていきます。
なぜ武器を持っているのかというと、噛まれると感染してゾンビになってしまうという暗黙のルールを共有しているから。下手に触るわけにはいきません。攻撃するためというより、身も守るために持っていると考える方が適切です。
ちなみにゾンビごっこは鬼ごっこの派生。集団遊びの典型である鬼ごっこが、全体を巻き込んでいく。
ゾンビを捕らえようとして青い武器を持っていた5歳児が噛まれて3人目のゾンビになりました。そして、ゾンビを捕らえるためにシールドを持った5歳児たちがヒーローとして誕生!
ゾンビなのに武器を持っていますが、これは役割分化がきちんとできていない証拠です。3号はゾンビでありながらゾンビを追う立場も演じてしまっている。役割がごちゃごちゃになっています。ルールを守って遊ぶためには、役割の理解や他者との関係性の理解が必要になってくる。こういう遊びで、それを鍛えることができます。
逃げるゾンビと、追いかけるヒーロー。人を襲っていたゾンビも、今では追われる身です。
3歳児の新聞紙遊びで起きたゾンビ(ウォーキングデッド)は、襲うゾンビと逃げる人間という2者関係で遊びが展開していましたが、4歳児5歳児のゾンビ遊びでは、最初からゾンビに対抗する存在が登場して3者関係になっています。こんなところに発達段階の差が出ていますね。同じ遊びになると違いがよくわかる。
「ここに隠れてて!」
4歳児女子に守られる4歳児男子。
最近は女の子が男の子を守るのも普通になってきましたね。多様性の時代。ディズニーもここ10年くらいは王子様が戦うのではなく、プリンセスが戦いますからね。プリキュアもそうですが、女子が守られる時代は終わったんです。
ついに退治されるゾンビ1号。捕えたのは4歳児ダンボール遊びで恐竜になっていた子です。あの時と2人の役割が逆。恐竜(ゾンビ)とヒーロー。今日は役割が入れ替わっています。
4歳児ダンボール遊びの恐竜になって襲いかかる遊びがなければ、今日のこのゾンビパニックはなかったかもしれない。インパクトがある遊びは、影響を大きく与えます。数ヶ月の時を経て、あの遊びが続いている。
ゾンビ3号。シーソー遊びをしている5歳児女子に襲いかかります。噛んだのか、噛んでないのか、ここからはよくわからない!
ちなみに、「噛んだ」という表現は遊びの中でのものです。実際に噛んではいませんのでご安心ください。このへんも子どもたちはよくわかっている。本気で噛む子はいません。遊びとして行っています。
その直後にヒーローに倒されるゾンビ3号。襲われた子が看病しています。その様子を眺めるヒーロー。
怪我の手当と言いますが、文字通り「手を当てる」から手当なんですよね。人は無意識に相手に元気になって欲しい時に「手を当てる」んです。
手当してもらって復活したのに、再び襲いかかる3号。恩を仇で返すとはまさにこのこと。
慌てて盾を持って立ち上がるヒーロー。しかし、間に合わない。
襲われていた女の子を守るために戦い、倒れる5歳児の男の子。ちなみに「ワンちゃん」と呼ばれていたので、多分、犬。おそらく犬。
犬は飼い主に忠誠心がありますからね。飼い主を守るために戦い、倒れてしまいました。
ゾンビ3号も盾を持ったヒーローに倒されました。女の子の目の前にはワンちゃん、後ろには3号が倒れている。
「どうしてこんなことになったの?」という悲しげな表情。これは大女優の誕生の予感がしますね。
復活して再び襲いかかるゾンビ3号。逃げる5歳児たち。どうやら、あくまでも3号のターゲットは大女優のようです。
部屋全体を使って追いかけっこをしています。
「あっ!」
転ぶ大女優。
そこへ引き返して手を差し伸べるワンちゃん。
「大丈夫?」
これはかっこいいですわ。痺れました。っていうか、いつの間にワンちゃん復活したんでしょうね。
大女優を身を挺して守るワンちゃん。3号とワンちゃんの因縁の対決はここから始まるのです。コーヒーカップ遊びのきっかけになったダンボールの取り合いもこの2人でしたね。今回の主役はこの2人になりそう。
戻ってきたヒーローたちに取り押さえられるゾンビ3号。ゾンビってしぶといイメージありますよね。完全に倒す手段がない。延々と襲ってくるイメージがあります。
またしても大女優を守るために倒れたワンちゃん。そしてヒーローにやられたゾンビ3号。また大女優に手当される3号。もはや、手当されたくて襲ってるのかなという雰囲気すら感じます。手当された後にすぐに起き上がって3号はどこかに行ってしまいました。
やはり大女優を追いかけてヒーローに倒されて、大女優に手当してもらうというサイクルでの遊びをしているようです。再現遊び。繰り返し同じテーマで遊ぶのには深い意味があるものです。復活がテーマであれば、近いうちにこの子が大きく変わる可能性を示唆している。
そこにやってきたゾンビ2号。
「ゾンビだぞー!ガブ!噛んだよ!」
「あー、私、そういうの入ってないんでー。噛まれても関係ないんでー。あっち行ってもらっていいですかー?」
セールスをお断りするギャルみたいなテンションで、ゾンビに噛まれたらゾンビ化するという暗黙のルールを「無かったことにする」という掟破りの大技。大女優すごい。
ゾンビ1号、2号、3号が勢揃い。捕獲されたり、ルールを無かったことにされたり、ゾンビなのに優しくしてもらって復活したり。廃墟とかした街中で、ゾンビたちが偶然集合しました。
2号は1人で転んでテンションが下がり、ゾンビをやめることになりました。まぁ、ゾンビを始めたのも自分だし、ゾンビを辞めるのも自由です。
1号は居場所を求めて流浪の旅へ。3号はもちろん、大女優の元へ。時間もそろそろいい感じなので、それぞれ最後の戦いへ向かいます。
結局ヒーローたちに邪魔される3号。どうしても大女優の元に辿り着けない。
するとその時、大女優の口が大きく開いて
「ガブッ!」
お友達を噛んだ?!
ということは、最初の時にすでに噛まれていたんですね。「私関係ないんで〜」とか言ってたのに、実はとっくにゾンビになっていたということですか。これは予想できなかったなぁ。大女優は私を騙していけるだけの演技力があるようですね。面白い。
慌てて大女優を押さえにいくヒーローたち。しかし、捕まる前に大女優は倒れてたワンちゃんもガブリ。ゾンビが増えていきます。
「○○ちゃんを取り押さえろー!」
大女優もヒーローたちに取り押さえられてしまいました。3号も捕獲されて箱の中に囚われています。とりあえずの危険は去ったということでしょうか。そして中央では、噛まれてゾンビとして復活するワンちゃん。
なるほど。大女優はゾンビ仲間だから、ずっと追いかけていたのか、3号。
しかし3号が伸ばすその手をすり抜け、大女優は振り向きもせずに去っていく。なんだか切ない物語になってきました。
「3号も、ワンちゃんも、君も、すでに人間じゃない。ゾンビだ。どうやって生きていくのかは自分で決めなさい」(妄想)
ヒーローが大女優に生きる道を説きます(妄想)
「わかったわ。ありがとう」(妄想)
大女優が選ぶのは、どんな未来なのか。
ワンちゃん、3号、そしてゾンビたちの未来は。大女優の決断の時が迫ります。
大女優が出した結論は、ワンちゃんと共に生きること。新天地に向かって、2人で手を繋いで歩いていく。
3歳児のゾンビの時と全く同じ展開ですね。どうなってるんでしょう。なんで同じになるのか本当に不思議です。
やっぱり振られた3号。そばには同じくゾンビになった5歳児女子。なんだかこっちはこっちで新しいドラマが始まる予感。
一方、ゾンビ1号。そもそもゾンビになったのは滑り台のあるこの場所から。下に潜っていたところ、5歳児女子に「出て行きなさい!」と叱られてしまいました。遊びで強く言っているだけで攻撃性はありません。本人もみんなも笑っています。
つまり、ゾンビとして生きるんじゃなくて外に出ろってことですね。ゾンビごっこの終わりが見えてきました。
ヒーローチームたち。こうやって遊びを守る存在も大切です。止めてくれる人がいるから、暴れるゾンビ役もできるわけですから。
さっきも言いましたが、ゾンビ遊びというのは鬼ごっこの派生です。いわば、相手を信頼していないとできない遊び。それが4歳児5歳児全体で起こった。これは集団の性質が変わっていくことを意味しています。子ども同士の関わりが増えていくことが予想できる。
ちょうど、ゾンビごっこの先輩、3歳児クラスが帰ってきました。
新旧ゾンビがご対面です。
ゾンビと人間で争いが起きて、ゾンビ同士でドラマがあって、男女2人で手を繋いで歩き出す。残された1人が自分の人生を見つける。これが3歳児のストーリーでしたが、まさか4歳児5歳児合同の遊びで、それとほぼ同じような展開が起きるとは不思議なものですね。
ここから読み始めた方は、ぜひ過去の記事もご覧ください。子どもの世界って全部繋がっているんだということがわかります。
選ばれたワンちゃんと、選ばれなかった3号。近いようで、遠い2人。
2人は、大女優は、そして5歳児のみんなは、これからどうなっていくのか。
次回、第三話「愛と友情の間で」。ご期待ください。
っていうか、遊園地要素はどこに行ったんじゃーい!
ということなんですよ。ゾンビが出てきてから完全に遊園地関係なくなってるんです。自由遊びである新聞紙遊びの中でウォーキングデッドになった3歳児クラスは別に問題はなかったんです。
しかし、最終的に遊園地を作って運営していくプロジェクトにしようと思っていたのが今回の遊び。子どもたちが遊園地作りたいと言っていたから始めたのに、蓋を開けてみたら「ゾンビパニック映画(ラブロマンスあり)」になっていた。わけが分かりません。
第3回からはチームに分かれて制作を進めようとしていたのですが、方向性が大きく変わってしまったので、どうすべきか非常に悩みました。もうおそらく子どもたちの中で遊園地を作るということに興味関心がなくなっている。子どもの興味関心をスタートに、子どもたちが協力してプロジェクトを遂行するのがプロジェクト保育。子どもの興味関心が他に移ってしまったのであれば、元の計画を無理やりやらせるのは保育士の主導であって、子どもの主体性は発揮されない。
根本的な問題にぶち当たっています。おそらく、他の園や学校なら、このままこのゾンビ遊びを大人が強制的に終わらせて、無理やり遊園地作りに軌道修正するでしょう。
無理矢理やらせる活動に意味があるのか?こんなに面白い遊びが始まったのに、これをこのまま終わらせて良いものか。逆に、4歳児5歳児にもなって3歳児みたいな遊びを続けることに年齢的に(発達的に)意味があるのか。
悩む保育士の出した結論は
このまま子どもについていく、ということ。
次回もこの続きにすることにしました。子どもの選んだ道を信じます。大女優が自分の道を選んだように、私たちも一つの道を選びました。この遊びが着地するまでついていくことにします。3歳児がゾンビから新人類になったように、4歳児と5歳児クラスでも何かが産まれるかもしれない。それを期待して、次回に期待をかけます。
保育計画とは、あくまで計画であって、子どもの学びになるのであれば柔軟に変化させていく必要がある。ただし、何でも子どもの言うとおりにするのはダメです。それは子どもの言いなりであって大人のやることじゃない。保育士の目で見て、頭で考えて、心で感じて、そういう結論になったのであれば計画を変更する。今回の遊園地作りプロジェクトは、それを解説するシリーズになるのかなと思います。