3歳児のマット遊びプロジェクトの後編です。
前回の最後で、原因はわからないが次々と人々が倒れていき、誰も生き返らないという衝撃の展開になっていました。おかしいですね。マット遊びだったはずなんですけど、いつの間にか劇ごっこが行われている。
マットを使った遊びに少しずつ遊びに工夫が見られ、広がっていき、そしていよいよ深い「何か」が始まった。大きく何かが変わる予感を感じさせます。
どんな展開が待っているのでしょうか。それでは、後編スタートです。
#4
第四回も環境は何も変えていません。むしろ、前回の衝撃的な展開の後にどうなるのかを見てみたいので、あえて変化をつけずに行ってみます。
なぜか分かりませんが部屋が暗いですね。雰囲気も暗いような気がします。マットをたくさん積み重ねて、普段は見ることのできない高い位置の窓から外の景色を見ています。
やはり周囲では人々が倒れているようです。前回の世界観が続いているのかもしれません。倒れていますが外傷はなく、倒れる原因も不明です。つまり、原因が目に見えないということでしょうか。
え?原因が見えない病気?
もしかして、ウイルスによって人々が倒れていく、というイメージなのかもしれません。コロナ禍で生きる子どもたちの中に無意識にそういうイメージがあってもおかしくありませんからね。
もしかしてこの遊びはコロナに絶望している人類というテーマ?
こんな時代だから「赤ちゃんなんていらない!」と妊婦さんは叫んだ?
前半で壁に囲まれていたのはウイルスから身を守るイメージの表現?
テーマが深すぎますね。もちろん私が深読みしすぎているんですが、子どもの遊びは社会情勢や時代そのものを表すことが少なくありません。十分に考えられることです。
もしかしたらコロナの時代を生き抜くヒントを、この子たちの遊びが何か教えてくれるのかもしれません。最後までしっかりと見ていくことにしましょう。
人々は列になって窓から見える景色を求めています。絶望の淵にあるこの世の中にとって、唯一の希望はこの光である。光は誰かによって与えられていて、みんな何も考えずにそこに並んでいる。そんな雰囲気に見えてきました(妄想)。列に並んでいる子たちはみんな下を向いていて、何だか疲れているように見えます。
「こういうストーリー」ではないかと一度決めてしまうと、遊びも違った見え方ができるようになります。遊びの解釈に正解なんてありません。今日の私はそういう解釈をしてみようかな、という程度の話です。明日の私は違う解釈をしているかもしれません。それで良いし、他の解釈を他の誰かがすることを否定するものではありません。受け取り方は自由ですからね。正解を求めること自体がナンセンスです。
「真実はいつもひとつ!(名探偵)」かもしれませんが、正解は星の数ほど存在するんです。つまり、正解なんてないんですよね。
いたる所で言い争いや喧嘩が始まりました。マットの取り合いや、ぶつかった等の些細なことが原因の争いです。泣いたりしているわけじゃないですが、雰囲気は悪い。ギスギスしているというか。なんでしょう、この雰囲気。
そこに突然の大声が。
「もう嫌だぁぁぁぁぁ!」
「あああああああああああああ!」
1人が叫び出したかと思うと、みんなも耳を塞ぎながら同じように叫び続けます。
「あああああああああああああああ!」
喧嘩は嫌だという叫び。
何かを変えたいという願い。
みんな同じ想いを持っているはずだという期待。
そこに同調していく子どもたち。大合唱に。
その時です。外の世界の景色を見るために人々が集まっていたマットの山が崩れてしまいました。もうその光を誰も見ることはできません。与えられた希望にすがるのではなく、自分たちで行動するしかないということを、山の崩壊は意味しています。
「頑張って!」
「元気な赤ちゃんが生まれましたよ!」
前回、「赤ちゃんなんていらない!」と叫んでいた妊婦さんは無事に出産ができたようです。こんな時代だからこそ、子どもは私たちの宝であり希望です。
この時代に生きる子どもたちの未来は、私たち大人が作っていかなければなりません。
#5
最終回です。この物語がどんなふうに着地をするのかをご覧ください。
前回喧嘩をしていた子も、そうでない子も一緒になって車に乗ってドライブです。2人組で行うことが多かった車ごっこですが、何人乗りでも構わないというスタンスの変化が感じられます。
楽しもうという気持ちに溢れているし、実際に楽しいんでしょう。キラキラしてますよね。部屋も明るい。
男の子だけでなく、女の子も車ごっこに夢中です。遊びが統一されてきました。今日は不安定なところに乗る遊びや運動遊びは行われません。お友達同士で行うと楽しいだろうなという遊びだけが展開されていきます。
不安を解消するには仲間と生きていくことが大事なんだと教わっているような気がします。
そして最後は、帰ってきた汽車ヒーロー。
汽車に乗って僕たちはどこにだって行ける。
視界が悪くても前の子を信じて走り続ける。
仲間と一緒に走るから楽しいんだ。
あの暗い時代(前回)を乗り越えたこの子たちを見ていたら、汽車ごっこではなく、汽車ヒーローごっこなんだということが私にも理解できました。第一回の疑問が今解消されましたが、これが伏線回収というものなんですかね?
絶望を打ち砕くのは、いつだってヒーローの役目です。
子どもたち一人ひとりがヒーロー。今日は誰も喧嘩していません。暗い顔もしていない。現状を変えるのは、誰かではなく自分自身。どんな暗い現状でも未来を変えていくことができる。
4回目の絶望の叫びから5回目のヒーロー登場までの変化は、私たち大人にも希望の光を見せてくれたような気がします。
おわり
はい、というわけで後編はストーリー分析を織り交ぜつつお話させていただきました。
この人は何を書いているんだと思う人もいると思うんですが、それくらい第四回から第五回の変化がすごかったんですよね。あの空気感、世界観の変化はすごい。子どもの持っている力には驚かされます。まさに世界を変えるヒーローという感じです。
マット遊びによって身体的な接触や運動が増えることで、お友達同士の直接的な関わりが増える。その結果、トラブルが増える。それを解決しようとすることで人間関係の部分での成長が見込まれる。私たち保育士はそれを期待していたわけですが、見事にやってくれました。いつもハッピーエンドに着地するのは不思議なのですが、それが子どもの持つ力であり、遊びの持つ力なんだと思います。
マット遊びという題材を使って、全員が仲良く遊べる力をつけるように協力して遊ぶ、という裏のプロジェクトが達成されました。第四回のギスギスした雰囲気を「もうイヤだぁぁぁぁ」と全員が感じ取ったので、第五回では仲良くしたいという共通の目的が無意識の中で共有されていました。つまり、共通の目的に向かって協力しながら進めていくというプロジェクト型の遊びが展開されていたんです。
3歳児クラスも自分達の力で協力して困難を解決していくという体験をすることができました。4歳児も5歳児もそういう遊びがありましたね。
それぞれのクラスで「心」の成長を読者のみなさんも感じ取っていただけたのではないかと思います。本当の意味でのプロジェクト保育を行う準備が整いました。
次回から大型企画、345歳児合同プロジェクト「クリスマス会」の解説をスタートさせます。