前回の衝撃的なラストから、今回どんな展開になるのか。ダンボール遊びなのになぜか愛と攻撃性がテーマになっている、4歳児ならではの現実とファンタジーの境目の遊びの最終回です。

 

♯4

悲しそうな顔をご覧ください

前回は中盤で我が子を銃で撃ち、ラストで園長をナイフで刺すというまさかの展開を行った大家族のお母さん。みんなが遊んでいるのに、今日は最初から一人でダンボールに入っています。

 

第一回目で説明しましたが、ダンボールに入るというのは不安が強くなった時。攻撃性の発揮は、人の心を蝕んでいくこともある。まだ、前回の傷を癒すことができていない(遊びの話ですけどね)。

 

実際は何も傷ついていないです。遊びですから。でも、遊びの世界に一度入れば、また前回の世界観になる。心情に戻る。前回のブログのストーリーは私が再構成したものですが、概ね子どもたちも共有している世界観とストーリーです。

 

 

マイスイートホーム

お母さんを心配して、家族が集まってきました。お母さんと同じようにダンボールに入ります。同じ行動をすることで、あなたを心配しているよというサインになっている。

 

そこへ、これまた前回のラストで暴走した警察官がやってきました。同じように恐竜というか弟と遊びたいので、ちょっかいを出しています。弟の方は前回のラストで解説した通り、もう戦いごっこはやりたくないので相手をしていません。無反応です。

 

 

家族は家族で守る

それをお姉さんの一人(長女)が止めに入ります。逆にガムテープを警察官の腕に貼り、これを撃退。警察官は仲間と共に去って行きました。それをじっと見つめる弟。

 

右の奥のダンボールでは次女がダンボールの中に隠れています。揉め事は嫌いみたいですね。そういえば、前回、人間に捕まった恐竜になった弟を出してあげたのも次女でした。心優しき次女。

 

愛のカタチ

「大丈夫だった?」という雰囲気で優しく頭を撫でる長女とお母さん。それを右のダンボールから優しく見つめる次女。

 

前回は泣いている弟を置いて家族全員が外出するなど、弟を気遣うそぶりは一切ありませんでしたが、今回は最初から、家族の関係が愛に満ちています。

 

心が満たされる弟。そして、我が子を気遣うことにより自分自身が癒やされていくお母さん。それぞれの心が優しさで繋がっていく。

 

 

こちら警察官チーム

一方、また拒絶された警察官。武器であるガムテープを「ベルトにすれば良いんじゃない?」と女の子にアドバイスされ、やってみています。人を攻撃する武器ではなく、戦いに関係ないことのために使う。道具の使い方一つで、人との関わりが変わることを学んでいきます。

 

 

こういう放課後を過ごす高校生活がしたかったよね

そうなんです。警察官は一人じゃない。第一回からずっと一緒に遊んでいた子達がいる。ダンボールに乗る遊びも、イスを使う遊びも、前回の恐竜ごっこだって、みんなで遊んでいた。前回はびっくりして暴走してしまったけど、もう大丈夫。

 

武器に使っていたガムテープはハードルみたいに飛び越える遊びで使っています。これは面白い。文字通り、武器を「飛び越えている」んですから。そして持つ2人と飛び越える1人の3人での協力する遊びになっている。成長したことがここだけでよく分かる。こちらのチームは大丈夫なようですね。仲間って素晴らしい。

 

 

後ろでは今度はゴールテープにしていますね

右の方では、何やら不穏な空気が。先ほど弟を守っていた長女が弟に抗議しています。使っていたダンボールを勝手に使われたという主張のようです。

 

仲良くなったと思ったのに急に責められて、驚く弟。お母さんと次女は成り行きを見守ります。身内の喧嘩には入らないようですね。このへんもリアル。

 

 

お母さんは警察官チームの動きに気を取られてこっちを見ていない

長女は、言いすぎちゃったかもしれない、という顔をしていますね。弟は体育座りでいじけてしまいました。それを見つめるダンボールに入った手前の三女と四女。そして奥の次女。お姉さんたち勢揃いです。

 

 

ん?なんだ、ただのダンボールか

いじけたから構ってあげるのは違う。不適切な態度や行動に対して優しくしてしまったら、次からまた同じように、何かあればいじける行動を取る子になる。

 

そういうわけで家族全員で弟を放っておくようです。家族団欒でご飯の用意を始めています。

 

今回の放置と前回の弟が泣いた時の放置の何が違うのかを解説しておきます。一見、同じですが大きく異なるのは前回は「遊びの中で泣いた」、今回は「リアルに凹んだ」という違いですね。つまり、みんなが行なっているのは遊びで、リアルに凹むという行為を遊びの中に持ち込むなよ!ってことです。リアル凹みをされると周囲の子は遊びが冷めてしまう。遊びの世界に現実の感情を持ち込むのはタブーです。

 

弟役なら、弟役として凹めば良いのですが、これはリアルに凹んでいるので、遊びから弾かれてしまっています。なんて言うんですかね、「真面目に遊べよ!」って感じですかね。弟役へのなりきりが足りない。役者になりなさいよ!っていうか。ごっこ遊びだと、たまにこういう状況が起こったりします。

 

こういう状況って、大人が「泣いている子いるけど、良いの?」とか周囲の子に話しかけたりしますよね。全くもって興醒めですよ。せっかく遊んでいるのにリアルを持ち出すなんて。子どもの遊びをわかっていない。もし弟が落ち込んでいるのなら、それを遊びの中で子どもたち自身がどうにかすれば良いんです。遊びとリアルをごっちゃにしてはいけない。そして、大人が子どもの世界に入り込んではいけない。

 

というわけで、この子達がどうなるかを見ていきましょう。

 

 

こちら弟、相手のテリトリーに潜入成功した(してない)

ちょっとずつダンボールに入ったまま移動していき、近くまで来たら「バァ!」と顔を出して警察官チームの遊びに入ろうとする弟。しかし結果は不発。警察官たちは軽く笑いましたが反応は薄いものでした。敗因はダンボールに入ったまま接近したことで、相手の遊びの間を見誤ったこと。警察官チームの遊びが盛り上がっている時に来てしまったのです。実に惜しい。

 

お笑いは「間」が大事です。

 

長女に責められ落ち込み、ダンボールの中に閉じこもった(不安があると中に入る)。そのまま自分で気持ちを立て直し、ダンボールに入って近づいて他の人を驚かして仲間に入ろうというアイデアを実行した。なかなか良いですね。恐竜になって人を襲っていた子がたった1回の遊びでここまで変化するとは。ダンボールの中に入って急に出てきて人を驚かす遊びとか、ダンボールに3人入って歩く遊びとか、これまでの遊びが混ざり合い、このような対策に結びついています。

 

警察官チームについては、写真で分かりますかね。ダンボールの中に入った子の上に乗るという遊びに夢中です。中の子は痛がってもいないし、むしろとても喜んでいる。大人はこれを見てびっくりすると思うんですよね。多分、止めるのが普通でしょう。

 

これはダンボールの上のどこにどのように何秒くらい乗ると壊れるかの実験遊びの集大成なのです。この関係性に気付きましたか?すごいですよね。つまり、これ、ここにどれくらい乗ると潰れない(下の子は痛くない)というのがわかってやってるんです。

 

 

素敵な笑顔は仲間と共に

続いて、ダンボールに2人で入って、上から潰される遊びに変化しました。潰す人、潰れる人という関係性が入れ替わったり、2人で一緒に潰されたり。安全に攻撃性を発散できるようになったんですね。一方的な「する」「される」の関係ではない。誰も傷付けない。前回のラストで弟が誰もいないところにダンボールを投げましたが、警察官の方もそれができるようになりました。

 

あなたを発見するのは私の役目

というわけで驚かせて一緒に遊ぶ作戦が失敗。また落ち込んでダンボールに入る弟。そこに近づく長女。

 

 

そろそろ出てきなさいよね

「あっ」

驚く弟。トラブルの原因になった長女が自分を見つけてくれるなんて。写真じゃ見えないんですけど、長女は笑っているんですよ。弟を許してくれたんだということがわかるような表情。安堵する弟。

 

喧嘩したってすぐに仲直りできる。それが姉弟。そしてそれが家族というのもなんでしょう(遊びだけど)

 

 

今度は私の番だよね?

これで大家族も警察官チームもひと段落です。これは今日で最終回かなぁと思いながら写真を撮る構図の関係で場所を移動する園長。それを見つけて、今までダンボールの中にいた三女が、走り出してダンボールで園長に突進!

 

これは第一回でもありましたね。その時も三女でした。そうです。まだ、この子の物語は始まっていなかった。

 

 

その時の様子(保育士撮影)

大家族が集まってきて、園長をロッカーとロッカーの間にダンボールで閉じ込める遊びが始まりました。ダンボールで攻撃するわけではなく、ただ閉じ込める。閉じ込めるというか高く積んで園長を見えなくする遊びに近いですね。

 

ダンボールで突進してきた三女も、ダンボールを積む遊びに夢中になっています。攻撃性の発揮はない。大きな声で笑っている。

 

ダンボールは入るものではなく、活用するもの。子どもたちの心にはもう不安はない。家族の力で支え合って乗り越えたからできることです。お母さんもいますが、ナイフで刺すようなこともない。そんなことはもう必要ない。

 

 

笑い声は人を惹きつける

それを見て集まる警察官チーム。この流れは私が待ち望んだものになってきているようです。

 

 

カメラが違うと画質も変わる(保育士撮影その2)

これです。全員で一つの遊びになること。それも巻き込まれたんじゃなくて、自分から主体的に集まること。

 

恐竜騒ぎは、恐竜に追いかけられることで半強制で行われた遊びですが、これは自分から駆けつけています。意味合いが全然異なる。

 

そして、これは協力して一つの目的に向かっている。園長を見えなくするくらいダンボールを高く積むというプロジェクトになっています。そうです。このダンボール遊びは、目的を共有し、協同的に目的を達成するために解決していく集団の基礎を育てることを真の目的として行なっていたのです。今回の第四回にして、そのレベルまで来ることができました。このダンボール遊びプロジェクトは大成功と言って良いでしょう。

 

大人がこれをやりましょうと提案して、それに対して子どもに協力する活動をさせるのではなく、遊びの中から自然にプロジェクトが発生して子どもたちが自然に協力する。これが良い。とても良い。

 

盛り上がりましたが、私が移動して遊びは解散。私が遊びの中心になるわけにはいかない。子どもだけの遊びで最後を迎えたい。

 

 

手前に見えるのはガムテープの武器の残骸

ダンボールの上から潰す人とダンボールの中で潰される人の遊び。さっきは入れなかっけど、今回はお母さんと一緒に入ることができました。この遊びはごっこ遊びじゃない。つまり、現実とファンタジーの境目にいながら、現実寄りの遊びになっている。ごっこ遊びが好きだった子達が、現実世界で遊べるようになってきています。

 

完全に最終回の雰囲気ですね。今までの伏線を全て回収していく。

 

 

ファンタジーからリアルへ

引っ張り合い遊び。ガムテープを引っ張り合うのは前回のラストにもありましたが、その再現遊びになっている。

 

特筆すべきは、メンバーです。大家族と警察官チームが混ざり合っています。自分たちの所属や役割は関係なくなってきている。つまり、ごっこ遊びからリアルの世界への遊びへ抜け出してきているんですね。設定が良い意味で壊れ始めている。ごっこ遊びで育った人間関係がリアルの世界で発揮されていている。これこそ、遊びの力です。子どもは遊びの中で育つ。

 

 

アルマゲドンみたい(わかる人います?)

次女と弟。何やら神妙な面持ちで、こちらに向かってきます。最後の戦いに向かう戦士のような。これはもう、いよいよラストシーンへと向かっている感じがしますね。

 

 

繋いだ手は決して離さない

しっかりと手を繋ぎ、長女の話を聴く2人。長女から何かの提案を受けているようです。手には先ほど引っ張り合っていた赤いガムテープ。

 

 

母を迎えに行く

2人が向かった先はお母さん。いよいよ最後の対決です。長女も見守ります。

 

色々あった大家族。ぶつかり合いながら向き合い続けた家族が出した、最後の結論とは何なのか。その答えがいよいよ出るのです。

 

 

フレーフレー紅組!

立派に育った弟に、母と次女でハチマキをつけてあげています。赤ちゃんだった弟が、恐竜になった(不良になった)けど仲間と家族に支えられて更生し、家に帰ってきた。そして、これから家を出る時が来た。一人暮らしでもするのでしょうか。

 

恐竜になった時は銃で撃って止めたお母さん。混乱してナイフを持ち出したことも合ったし、心を痛めて家に閉じこもった時もありました。

 

旅立つ我が子に、ハチマキをつけてあげて応援する母と姉。親は子どもを応援し、見守るものなんだ。そんな結論に辿り着いたようです。

 

フレー、フレー、弟!

 

地味に、ガムテープを使うことを提案していた長女のファインプレーでもあります。長女と次女がつなげた家族の絆。

 

 

運動会前(4ヶ月後)

このダンボール遊びは6月ですが、10月の運動会のリレーでは弟は一人でハチマキをつけてリレーに挑んでいます。仲間に支えられて今のこの子があるんだなと思って、撮影しながら個人的にはジーンと来てしまいました。

 

しかも同じ赤いハチマキ。まるで未来を予言していたかのような遊びの展開です。

 

 

ハチマキは形を変えて

そこからダンボールではなく、みんなガムテープを使った遊びの展開へ。中央、四女が赤いガムテープを小さくしている。

 

次女は今度はネクタイを締めてあげています。これはもう完全に就職ですね。就職して一人暮らしで間違いなし。

 

 

笑顔が素敵な警察官チーム

ガムテープは元々恐竜と戦う武器でした。それを弟に拒否され、長女に止められ、仲間にベルトとして転用することを教えてもらい、自分たちでハードルやゴールテープとして、平和的利用をしていました。

 

その平和的な利用方法を警察官チームが行なっていたからこそ、大家族のほうでハチマキやネクタイとしての利用方法が生まれました。

 

攻撃性の発揮と愛が混ざっていたのに今は分かれている。つまり、2つが分化している。愛には愛で応える。攻撃性は必要ない。

 

 

チケット トゥ ライド 呆れるくらい君へのメロディ

長女と三女。全員の遊びを平和的なものへ変えてくれた2人。さきほど四女が作っていた小さいガムテープを持っています。「はい、チケットをどうぞ。」

 

最後に園長に手渡して来たのはチケット。乗車券。

 

ダンボールで園長に突撃するのではなく、プレゼントをしている。チケットを渡すということは、相手を自分たちの世界へ招待しているということです。

 

園長を閉じ込めて見えなくするのではなく、自分たちの世界に招き入れている。

 

 

大体漫画とかドラマは姉妹のうち次女がヒロインになりますよね

お母さんと次女。微笑み合う2人。弟を母のところに手を繋いで連れていったのは次女。母は子どもたちに支えられて自分を取り戻し、家族はつながっていきました。大人が子どもに何かをするんじゃなくて、子どもから大人が教わることもあるし、助けてもらうこともある。

 

大人と子どもは一緒に育っていくんだ。そんなことを私たちに教えてくれているのかもしれません。

 

 

未来への乗車券

お母さんを先頭にみんなが駆け出します。誰が何を言ったわけではない。だけど全員で走り出す。心が、一つになっている。ただのダンボール遊びだったのに、いつの間にか見ている大人の方が子どもたちから愛を教わっている。

 

これからのこの子達の未来を想うと、とてもワクワクしませんか?3歳児と違った面白さと成長が、このクラスの子たちにはありましたね。

 

 

ダンボール遊び、以上です。どうでしょうか。初回の雰囲気と最終回の雰囲気は全然違いますよね。最初はダンボールという「環境」の領域で遊んでいたが、徐々に「人間関係」の領域に遊びが変化したんです。気づきましたか?ダンボールで遊ぶという目的が、お友達と遊ぶためにダンボールを使う、つまり目的が手段に変わったんです。

 

面白かったですね。読者の皆さんにわかりやすくするために弟とお母さんを中心に物語を構成してお届けしましたが、警察官チームを中心にお話しすることもできます。それくらい複雑で同時に物語が展開している。子どもの遊びって本当に素晴らしい。

 

どうしてこう、いい感じにまとまるんでしょうね。本当に不思議です。もしかしたら、子どもの世界っていつもこんな感じなのに、大人の観察や解釈が足りずに見落としているのだけかもしれません。子どもの凄さに大人がついていけていない。もっと子どもをリスペクトした方が良いんじゃないかなぁと、いつも思います。

 

大人はつまんないですよね。損得とか人の評価とか気にして、つまんなくなってしまう。それがない子ども時代だからこそ、本当の心の結びつきが発揮されるんじゃないかなぁと思いました。この純粋さを大人も見習った方が良い。

 

特に途中で出てきた「真面目に遊ぶ」という視点は大人も取り入れるべきです。真面目に遊ぶ。真面目にふざける。このブログもそんな感じですよね。真面目に遊んでいます。書くのはめちゃめちゃ大変なので遊びのレベルは超えていますが。

 

愛と攻撃性が未分化な状態から、平和的に愛を交換するところまで子どもたちが変化していく様子をお届けしました。このあとは、この関係性まで育った子どもたちが、七夕祭りの準備に取り掛かります。4歳児シリーズ、もう少しだけお付き合いください。