4歳児ダンボール遊びの第3回です。ダンボール遊びなのにイスを出したり、おままごとセットを出したりとやりたい放題だった前回。そこからどう変化するのかを解説していきます。

 

♯3

また2つに分かれた遊びになってる

始める前に担任から「ダンボールを使って遊びましょう。」と釘を刺してから遊びをスタートします。ルールも保育環境です。ダンボール以外を使わずに遊ぶというルールを思い出させます。前回と違うのはここだけです。必要最低限の関わりで子どもの遊びを促進します。

 

なぜダンボールだけを使用する遊びにしているのかというと、与えられた環境の中で工夫する力を育てるためです。例えば、大人でも会議かなんかで解決策を考えようとすると「人手を増やそう」「これだけ売れれば解決」など、今そこにないものや不確かなものを解決策に使おうとする人もいます。それは自分の置かれた環境から問題解決をするのではなく、机上の空論や一般論を持ち出しているのと同じです。

 

自分の置かれた環境を最大限に利用する。アイデア一つで乗り越える。それが問題解決能力。その力を育てていきます。

 

さて、ままごと遊びとダンボールに乗って壊れる遊びの2つにまた分かれていますね。3回目でも同じ展開です。

 

 

家族構成を発表します

左手前の3人が「お姉さん」で、右で立っているのが「お母さん」で、右でダンボールに入ってる2人が「赤ちゃん」です。大家族ですね。

 

よく見ると男の子の赤ちゃんは右手にダンボールの「銃」を持っています。赤ちゃんに武器を渡すとは、なんというハードボイルドな家族なんでしょう。

 

 

鬼の形相とはこういうこと?

一方、ダンボールが壊れる遊びの男の子たち。ダンボールを運ぼうとする子と、それを邪魔する子。前回のラストで警察だった子と泥棒だった子です。時間が経っても役割というか関係性が変わらないようですね。

 

ダンボールのダムテープを引っ張って妨害しています。

 

 

警察の勝利!

ダンボールの取り合いから発展して、ガムテープの取り合いへ。引っ張り合いの結果、警察の勝利です。倒れる泥棒。

 

遊びたい気持ちを妨害という手段で表現する泥棒の子。愛と攻撃性の未分化で説明しましたね。そして、こうやって人の邪魔をすることで人に関わろうとしている。良いことじゃないので、遊びの力で変えていきたい。そして実際に、彼はこの遊びの中で変わっていくことになります。

 

後ろでは、大家族へお届け物が。宅配ですね。荷物が次々と家の中に運ばれていく。

 

 

赤ちゃんは泣くのが仕事

赤ちゃんの部屋が荷物でいっぱいになり、泣いています(泣いているふりだけど)。それを見ても、みんな反応しません。ずっと泣いている(泣いてるという遊び)。

 

 

赤ちゃんだけの留守番はダメよ

そのうち家族全員が外出してしまいました。泣いている赤ちゃんを置いて。まさかのネグレクト家族。現代を反映しているかのような遊びの展開。

 

 

こんにちは赤ちゃん、私がママよ

お母さんが気付いて戻ってきました。さすが大家族のお母さん。子育てに慣れていますね。

 

 

グータラ母ちゃん

と思ったら、お母さん寝てる。赤ちゃん無視して昼寝。ぐーぐー寝てる。

 

子育てに慣れすぎてるのかも。ちょっとやそっとじゃ動じない。

 

世の中のお母さんたちはみんな疲れてるんですよね。そりゃ、昼寝くらいしますよ。野比たまこだって、野原みさえだって昼寝しますから。

 

そこへお姉さんたちも帰ってきました。

 

子育てには息抜きも大切なの、わかるでしょ?

お姉さんたちとお母さんでお風呂に入っています。泣いている赤ちゃんを無視して。めっちゃ笑ってますね。楽しそう。よく考えたら母姉姉姉姉弟だから、女性社会の家族ですもんね。家族の中に男の子一人だと弟は肩身が狭いかも。

 

 

引きこもり生活

「僕のことなんてどうでも良いんでしょ」と言わんばかりに不貞腐れて部屋に篭る赤ちゃん。一応、心配そうにお母さんが覗き込んでますね。お姉さんたちは離れに家を建て始めました。

 

家族の心がバラバラです。

 

 

こっちも引きこもり生活

もう一人の女の子の赤ちゃんも仲間に入れてもらえないからか、引きこもりへ。大家族で気持ちが満たされず、下の子たちがやさぐれていく感じでしょうか。子どもの遊びって、妙にリアルなのが面白いですね。

 

女の子が閉じこもっているのは、さっき男の子の方が閉じこもっていたダンボール。その場所を奪って中に入った女の子を、男の子が非難しています。赤ちゃんだったのに言葉喋るようになってますね。ものすごい時が早く過ぎていくようです。ドラマだと思ったら大河ドラマだったのもしれません。これは展開が早いということだから、遊びが大きく変化することが期待できそう。

 

 

犯人はあなたです!

喧嘩になった赤ちゃん含めた姉弟たち。そこへお母さんが「あなたが悪いのよ!」と男の子を指さします。

 

えー?なんでー!?

男の子に厳しくない?

 

ショックを受けて家を飛び出す男の子の赤ちゃん。

 

そしてお母さんに何かを渡すお姉さん。これが一体何なのかは後でわかることになります。

 

 

俺に逆らうと逮捕するぜ

部屋の全体像を撮影しようと思って移動した園長に、突然襲いかかる警察官。

 

なんでだー?!

 

これは、さっき泥棒とのいざこざで心がザワザワしてるままだからです。イライラしていると言っても良い。自分で自分の感情をコントロールできていないから、攻撃しても良い大人に向けているんですね。こういうイライラをお友達にぶつけないのが、この子の良いところ。ギリギリで感情と行動のコントロールができているということです。

 

まぁ、私をダンボールで襲っているのも本当は良くないんですけど、手加減しているし様子を見ましょう。誤解ないように言っておきますが、基本的には許すことではありません。遊びに入り込んでいる時だから止めないということです。あくまでも遊びと生活は切り離して考えています。

 

 

地味に後ろの大家族では「例のもの」を交換している

警察官の後ろに「恐竜」が!

「赤ちゃん」が「恐竜」に変身しています!

 

それに気がつかない警察官。

 

後を振り向く・・・ッ!

 

振り返るとヤツがいる

「ぎゃああああ!」

「がおぉぉぉぉ!」

お互いに驚いてる。面白いですね。出会うべくして出会う2人。

 

ジュラシック・パーク

部屋全体を巻き込んで恐竜と人間の追いかけっこが始まりました。恐竜が人間に襲いかかり、人間たちが逃げる。全ての遊びはストップ。全員がこの遊びに巻き込まれます。

 

インフルエンサーの警察官を巻き込んだから、こうやって部屋全体の遊びに発展しています。2人が出会ったのは偶然です。そういう偶然が重なって遊びが展開していく。

 

 

人間の知恵には恐竜も敵わない

人間たちの反撃が始まりました。追い詰められて檻に閉じ込められる恐竜。そこへ、人間たちに呼ばれて街を守る警察官がやってきました。

 

 

実際は何も喋ってませんでした

「もう悪さはしないな?」「ああ」(園長の妄想)

檻から出る恐竜。それを見守る人間たち。

 

実は檻から出してくれてるのはお姉さんの一人と泥棒だった子の2人です。愛ですね。

 

 

あまりに展開が早いのでカメラのピントが合わなかったです

檻から出て恐竜が向かった先は、生まれ育った家。

 

家の中から銃を恐竜に向けるお母さん。我が子の過ちに終止符を打つために。

 

あの銃は恐竜が赤ちゃんの時にお守りがわりに持たせていた銃。

 

今、お母さんがその思い出の銃で、我が子を撃つ・・・!

 

バキューン!!

 

 

落ちてる銃、見えます?

「待って!」

銃を投げ捨てて我が子を追いかけるお母さん。表情がナイス。表情見てください。

恐竜はどうなったのか。

 

 

家族愛のドラマが展開

さっき檻から出してくれた一番優しいお姉さん。悲しみの2人は抱き合うのです。お母さんの表情見てください。本当に我が子を失ったみたいな顔をしている。

 

ここにも「愛」がある。今日は、「愛」の話なのか?

 

 

おい、お前を倒すのは俺のはずだろ?目を開けろよ

母に自分の銃で撃たれ、瀕死の恐竜。

必死で看病するのは、まさかの警察官。

 

攻撃性を発揮していた警察官にも「愛」が発揮されている。

 

 

力が欲しいか?

「ここまで来るがいい」(と言っているように見える)。

突然の強そうなキャラクターが現われました。とりあえず「ボス」と名付けましょう。

 

ボスのところに向かう瀕死の恐竜。全てが繋がっていく。

 

 

ダンボールの上に倒れるとかジャッキーチェンの映画みたいですね(知ってます?)

そこへ行くことは許さないとばかりに、最初に奪い合った紐状にしたガムテープの武器で攻撃する泥棒。いや、もう泥棒ではありませんね。人間たちを守る「ヒーロー」です。

 

 

だいたい後一歩で間に合わないのが少年漫画の展開

ヒーローの健闘も虚しく、恐竜はボスの元へ。ボスの用意した箱に入り、傷を癒します。傷を癒している時には攻撃しない。まさにヒーロですね。

 

左下にお母さんが使った銃が落ちています。ここまで運んできたようです。

 

 

変身の最後は人間っぽくなるのも少年漫画の鉄板

治療を終えて出てきた恐竜。背筋もピンと伸び、その姿は恐竜ではありません。両手に武器を持ち、人間のように歩いています。変身して、大幅なパワーアップをしたようです。

 

向かう先は、やはり自分の家なのか。

 

家族への復讐?人間への絶望?

 

敵か味方かわからないキャラも少年漫画の鉄板

ボスは落ちていた銃を拾い、ビリビリに破いて捨てました。

 

恐竜を倒せる武器だから壊したのか。それとも母子で戦うことを止めたかったのか。ポーカーフェイスからはその真意は分かりません。

 

でもこれでもう母と子で傷つけ合うことはなくなりました。そして恐竜から人間にしてくれたのも、ボスのおかげ。恐竜にとって警察官やヒーローが同レベルの存在だとすれば、ボスはちょっと上のレベルの存在。学校の先生とかバイト先の店長とか、そういった感じでしょうか。家族以外の大人も、子どもにとって必要な存在です。それを遊びの中で展開しています。

 

 

恐竜を止めることはできるのか

ダンボールの中に隠れた人間を襲おうとした恐竜を攻撃し、人間を助けるヒーロー。

 

盗むことで遊びの妨害をしていた子が、ちゃんと遊びの中で正しい役割を演じています。妨害という行動は同じ。だけど、今は誰かを助けるために恐竜を妨害している。行動は同じでも意味が変わっている。誰かのためになっている。遊びのイメージを共有して、役割を演じている。これが適切な人との関わり方です。それを今学べている。

 

 

2度目の敗北

お母さんに銃で撃たれ、今度はヒーローの武器によって倒れました。倒したのに恐竜を気遣うヒーロー。

 

この伊右衛門のダンボールは最初に赤ちゃんの時に泣いてみんなが去っていったきっかけになった宅配されたものですね。スタートに戻ってきました。

 

このように倒れては蘇るというテーマの遊びは、子どもを大きく成長させます。どういうことかというと次の写真でわかります。

 

 

2度目の復活

再び立ち上がり、自分の家があった場所へ。武器も無くなったので、ダンボールを持ち上げ、警察官たちに投げようとしています。

 

奥にはお母さんとお姉さんが。家族の前で罪を重ねることができるのか?

 

 

投げてるのがホームパイというのが面白い。ホーム。家族。

あえて誰もいない方へダンボールを投げています。誰も傷つけない。誰も襲わない。

 

ついに、家族の前で自分を乗り越えたんですね。

 

赤ちゃんという無力な存在から、言葉で家族を非難する子どもへ。怒りがコントロールできずに恐竜(思春期)になり、母に銃で撃たれて(叱られて)、警察官やヒーローやボスに出会って自分を見つめ直し、ついに自分で自分をコントロールできる大人に成長したのです。

 

 

おかえり

もう家から出る必要もない。家族と暮らす恐竜、いやもう乗り越えたので「弟」と呼びましょうか。

 

警察官の子はまだ「戦いごっこ」をしたいので、弟に戦いを挑みます。しかし、弟はもう戦う意志はない。もう必要がないからです。

 

「やめてよ!」

「僕はもうやらない!」

 

警察官の子たちにちゃんと言葉で意思を伝えています。暴力で解決するのは子どものやることです。僕はもう、大人になったのだから。

 

 

咆哮

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

さっきまで一緒に遊んでいた子から突然「拒絶」された。その事実が受け入れられません。自分は何かいけないことをしたのか?ただ遊んでいただけなのに。どういうこと?

 

叫びながら部屋中を走り回ります。

 

 

一人でできないこともみんなと一緒なら

ガムテープの武器を取り人間を襲おうとした警察官。その武器をみんなで引っ張り、攻撃できないようにしています。

 

一人でコントロールできないなら、みんなで止める。さっき恐竜をみんなで止めたみたいに。今度は警察官の暴走を止めている。

 

そうです。人は助け合って生きている。誰かが過ちを犯しそうになったら、友達が止めれば良い。それが仲間です。

 

 

片付けの時間に事件は起きた

これで今日の遊びは終了です。なんという素晴らしい遊びの展開。いやぁ、良いものが見れたなぁと思ったその瞬間。

 

お母さんが私に向かって走ってきました。

 

その手には家族間で大切に持っていた「例のもの」。

 

まさか・・・?

 

 

急いでカメラを反転してインカメにして撮影

グサッ!

 

「これねぇ、ナイフだよ。園長を刺したの。」

 

え?今なんて?

ナイフ?刺された?

 

そうだった。この遊びのテーマは愛と攻撃性の分化。子どもや警察官たちは成長したが、お母さん自身にはまだ成長は見られていない。お母さんはまだ我が子を銃で撃ったという罪悪感が残っている。その感情の解消を自分一人ではできず、大人に攻撃性を向けることで発散した。

 

今回で終わりかなと思ったドラマは、まだ続くようです。こんなところでは終われません。

 

第一回も第二回もただの遊びの解説だったのに、第三回で急に3歳児クラスみたいに突然のドラマ展開ですね。ストーリー分析でお送りしました。

 

今回は一人の子どもの成長物語になっていましたね。人が成長するためには、様々な人の出会いが必要になる。それは家族だけでなく外の世界で出会う人たちによって自分自身が変化していく。まさに保育園生活のことを表現しているんじゃないかと思いました。

 

子どもたち自身は自分たちの遊びがこういう展開になっていることはもちろん自覚してはいません。無自覚だから良いのです。自覚すると「嘘」が入ってしまう。全くの偶然の積み重ねこそが、効果的な遊びの展開を産むんです。

 

また、保育士側の理解や力量によって遊びが変化するということも、第二回と第三回の明らかな違いでわかってもらえるんじゃないかと思います。ルールのはみ出しで楽しむだけだった前回から、全体を巻き込んだ意味のある成長する遊びへ今回変化しています。保育士という仕事は本当に難しく、そして素晴らしいんだということも、このブログで世の中に発信したいんですよね。

 

次回、4歳児ダンボール遊び最終回。大家族は、お母さんはどうなっていくのか。暴走した警察官は心を取り戻せるのか。この子たちのドラマの終着点にご期待ください。