さて、4歳児クラスのおうち作りプロジェクトの第二回です。第一回と同じように「ストーリー分析」を中心に解説していきます。
人類の歴史を再現するかのような壮大な話が展開された前回の続き。どうなるのかと思って見ていたら、やはり前回の終盤に見られたような複雑で立体化した建造物が各地で作られていました。
立体の家、井戸、イス、布団などが見られます。最初から全員人間です。ネコはいません。「寝る時間ですよー」「はーい」など最初から集団生活のごっこ遊びです。ここでは3つの家が存在するようで「ピンポーン」「どなたですか?」などとやりとりが見られます。
前回は家が一つでした。今回は最初から複数の家が存在し、コミュニティ(共同体)を形成しています。社会性が育まれています。
なんとパソコンが登場です。そして「お勉強の時間ですよ」と学校をイメージした遊びが展開されます。人類の発展は「教育」を行うところまで進んできたようです。
前回は1人で営んでいたパン屋ですが、今日は共同経営のようです。次々とパンが運び込まれます。前回は屋根もないところでの販売スタイルでしたが、今回はちゃんとお店の中にパンを陳列しています。
これが遊びの「深まり」であり「広がり」です。同じモチーフの遊びだとしても、1人から複数人数へ。ごっこの再現がリアルに近づく。こういった視点を感じ取れる保育者でありたいものです。
ここで前回お休みしていた子がパン屋を破壊しにやってきました。その格好はまるで原住民の衣装のようです。手には不思議な武器を持っています。
この子は前回の人類の歴史再現遊びを経験していません。そのため、前回を経験している子達とは違い、前回のテーマを遊びの中で再現する場合があります。つまり、前回ネコによる建物の破壊がありましたが、その遊びのレベルを再現することが予想されます。
このように、その日に登園しているかで遊びの経験値が変わり、遊びの成熟度が変わってくる場合があります。メンバー構成による遊びの変化は保育する上では欠かせない着眼点です。
はい。やっぱりこうなりました。楽しそうに逃げています。「壊さないでー!」というパン屋さんの悲痛な叫びが聞こえます。ここでも保育者は「なんで壊すの!」などと叱ることはしません。この遊びの中で、子どもたちが何を学んでいるのかを丁寧に観察していきます。
逃げ回っていた原住民をパン屋がついに捕獲しました。叩くとか暴力ではないので様子を見ます。もちろんすぐに止められる距離で保育者は待機しています。
一生懸命作ったものを壊されたという怒りと悲しみ。これが相手に伝わるのか。伝えることができるのか。そしてその気持ちに気付いて反省することができるのか。想いが錯綜し、場の雰囲気を変えていきます。
パン屋の悲しみを知った建築家が仲間と一緒にパン屋の再建に名乗り出ました。せっせと作っていたところ、またもや原住民がパン屋を破壊。建築家が涙します。「どうしてそういうことするの?」じっと見つめる原住民。反省している様子が表情から伝わります。
その後、どうなったのか。なんと建築家たちと一緒に原住民がパン屋を作り直すのです。これです。これを私は待っていました。大人が叱るとか教えるのではなく、仲間とのやり取りの中で感じ取り、自分で考え、どうすれば良いのか判断して実行しています。
これが遊びの中での教育。「主体的・対話的で深い学び」です。保育者が教えるのではなく、子どもが自ら気付く環境を遊びの中で作るのです。最初のパン屋襲撃の時に、私はこうなることを予測していました。子どもを信じることも大切な保育のスキルです。
ここで気をつけなければならないのが無条件に盲目的に子どもを信じるのは違うということです。子どもなら誰でもいつでも信じるということは、その子をしっかりと見ていない。過度の期待は暴力と同じです。子どものためになりません。
この環境でこの子たちだからここまでたどり着くだろうという深い洞察と予測の上で子どもたちを信頼しています。そうならないだろうと思ったら別のアプローチによる教育的効果を与えていく必要があります。本当に保育って難しいですね。
パン屋再襲撃からの再建設を行なっていたところ、パン屋ではなく別のものを作ろうという流れに変わりました。シーソーを作って仲良く遊び出したのです。シーソーがあるのは公園です。つまり平和の象徴であり遊びの象徴である公園が誕生しました。
争いの後に平和を望み遊ぶ場所が作られました。ここで思い出して欲しいのは、向こうでは女の子たちが教育の場である学校を作っていたということです。文明が洗練されてくると衣食住が満たされ生活が保障されてくるので、必要なものは学校だったり公園になっていくんですね。
パン屋を作った子と壊した子で仲良く新しいパン屋を建てようとしています。パン屋さんも相手を許し、協力している様子が分かります。子どもというのは大人が考えるよりも柔軟で前向きな生き物です。
パン屋を作り直すのに必要な資材を汽車で運ぶ遊びが始まりました。何も言っていないのに自然と助け合うような流れになるのは集団として育っているからでしょう。素晴らしいことです。しかし、これが新たな争いのきっかけになるとは思いませんでした。
資材として運んできたものは「私のもの」であるという主張が行われ、パン屋の引っ越しは失敗に終わりました。これをきっかけに各地で「所有権」の争いが起こっていくのです。ちなみにこの子も前回お休みしていた子です。変化を促してくれるありがたい存在となりました。
争いは全体へと波及していきます。部屋中を走り出し、追いかけっこが繰り広げられます。また様々なものが破壊されていきました。まるで戦争のように全てを変えてしまいます。
戦争の爪痕はこんなところにも。隠していた宝物が何者かに奪われるという事件が発覚しました。子どもの遊びでは度々テーマになる「おもちゃの取り合い」。それがごっこあそびの中で展開されています。
前半でパン屋を壊し、改心して仲直りしたあと新しい店を一緒に作ろうと思ったが失敗。その後に取った行動は「自分で店を始める」ということでした。店がないので店舗を借りて事業をスタートしているのです。パン職人として仕事に励む様子が分かります。
しかし、オーナーから叱られているという瞬間の写真です。所有権争いです。つまり、店を借りる際の契約がうまくいっていなかったことでトラブルに発展していき、最終的には店を追い出されてしまいました。人生やり直そうと思った矢先の挫折です。これは本当に4歳児の遊びなのでしょうか。ドラマや映画のようです。
結局、戦争により店は壊されてしまいます。もしうまく契約できていても運命は変わらなかったのです。
一方、場所を追われた初代パン屋が園長の目の前に店を作り始めました。すると「私は女神です」と言いながら女神がパン屋の前に登場。「か、かわいいですね」と驚くパン屋さん。宝物がなくなった子も近くにいます。
女神「何か欲しいものはありますか?」
パン屋「ショベルカー」
宝物無くした子「私はリカちゃん」
女神「分かりました。少し待っていてください」
女神「お待たせしました」
パン屋「女神さん、羽根がないよ」
女神「羽根は捨てました。こちらをどうぞ」
2人「ありがとう」
女神は自らの羽根を捨てて地上に降り立ち、悲しい想いをした初代パン屋と宝物をなくした子の願いを叶えたのです。
以上、ここまでが第二回のお話となります。
前回の人類の歴史の再現の続きとなりました。近代化が進み文化が洗練されていく一方、文化的な成熟度(経験値)の差により争いが生まれた。平和的に解決ができたものとできなかったものがあった。現実世界でも戦争はいつだって所有権争いから起こります。たった一つのきっかけでまた世界は再び壊されてしまいました。しかし、荒廃した世界で最後に人類の前に女神が降りてくるという、とんでもない展開で終わっています。
保護者の皆さんはお仕事に行っている間に、まさか子どもたちがこんなことになっているとは思いもよらないことだと思います。子どもの世界って本当に面白いですね。
個人的には改心して人生やり直そうとしていたパン屋さんのほうを救って欲しかったのですが、なかなかうまくいかないあたりも人生と同じかもしれません。次回に期待します。
ものを壊す。おもちゃの取り合いをする。遊びの中でよく問題として挙げられる2大テーマが壮大なごっこ遊びの中で展開されました。遊びの中で子どもたちが学んでいることが流れを丁寧に見てみると分かります。
人のために何かする。協力する。反省する。失敗を取り戻そうとする。そういった子どもたちの良いところをたくさん見ることができました。
さて、次回はどういった展開になるのか全く読めない終わり方になったので続きがとても楽しみです。