お化け屋敷本番まであと少し。そしてついに起こる大事件。子どもたちが本気でぶつかり合う様子を、自分たちが導き出した解決へのプロセスを、丁寧に解説していきます。どうか最後までお付き合いください。

 

♯10

こんなに全身から楽しいが伝わることって大人にあるんだろうか

第10回。この時間が楽しくてしょうがない。みんなで作り上げるお化け屋敷。

 

本番が近づくにつれてワクワクも増えていく。

 

 

踏み台がひっくり返らないように自分が座って安全を確保する保育士

本番が迫っているのにホワイトボードに落書きをしている子に「作ろうよ」と声をかける左の子。だけど「別に良いじゃん」と言い返されてしまいました。

 

このクラスは集団に流されやすい。だから先頭を切って不適切なことをする子がいるとみんなそれについていってしまう。その傾向はまだ変わっていません。

 

 

これが本来の姿

仕方がないので自分たちはタトゥーシールの量産に入ります。ぶつかり合うことを避ける子どもたち。実は仲が良いわけではなく、踏み込まないから仲良く見えるだけだということがわかります。

 

 

このメッセージをどう解釈するか

男の子たち。1人の男の子が、みんながテーブル代わりにしているダンボールを持って行こうとしています。

 

5人で作っていると思ったけど、2人ずつ一つのダンボールをテーブル代わりにして作っていることに気付いたのです。自分だけ1人。疎外感。

 

それに耐えられないからダンボールを持って行こうとしている。

 

「これ僕が作ったやつだよ」と言葉には出ている。だけど、それが言いたいんじゃない。寂しかった。僕もみんなと一緒に作りたかっただけなんです。

 

 

言葉ではなく心で理解する

「もういいよ、4人で作ろう」と言われてしまいました。

 

言葉で語られることが真実とは限らない。「これ僕が作ったやつだよ(だから使わないで)」という言葉通りで理解してはいけない。

 

本当の気持ちを本人が全部自覚しているとは限りません。むしろ気付いていないことも多い。言葉ではなく、心で理解する。そう意識して子どもたちを見ていくと見えてくる景色が変わります。何事も思い込まないこと。それを心がけています。

 

 

不適切行動の再現

ホワイトボードに落書きしていた子たちが前回同様、ガムテープを顔に貼ってメイクをしています。そして、パーテーションがたまたま近くにあったので誰かが持ってきて部屋と区切ってしまいました。

 

そこを覗きに来た子に内側から「見ないで!」と叫ぶという展開に。

 

これは小松菜事件の再現になっています。当事者だった2人がパーテーションを用意したわけでも「見ないで!」と言ったわけでもありません。区切ったのも「来ないで」と言ったのも別の子です。数回遅れて小松菜事件の再現遊びに入ってしまったのです。

 

良いものも悪いものも貪欲に自分の中に取り込んでいく。環境が子どもを育てているのです。

 

 

茶化すという解決方法

それを見ていた男の子たちがパーテーションに沿ってダンボールを高く積み始めました。

 

「見ないで!」と言われて小松菜事件を思い出し、断絶が始まったことが悲しかったのです。それを遊びの雰囲気で茶化しただけ。こうやってふざければ再び繋がれるかなという思いがどこかにあったのだと思います。

 

 

閉じ込められたと感じた

だけどそれは伝わらない。今度は中にいる子たちが外の子たちから拒絶されたと感じ、そのダンボールを内側から押して壊していく。

 

「やめて!」

 

 

当事者意識

心配そうに見つめる。

もしくは「関係ない」と決めて自分たちの遊びに集中する。

 

まだ全員の問題という「当事者意識」にはなっていない。「当事者意識」にならなければ、主体性が発揮されず協同的な関わりにはならない。そう。まだ他人事なのです。

 

 

純粋さは時に凶器となる

「そういうの、よくないと思うよ」

 

こういうのを真面目に言えるのが左の子の良いところ。純粋がゆえに、その言葉は相手に刺さっていく。

 

刺さり過ぎてしまう。

 

 

ユーモアでの解決

「あっちで4人が怒っています」の張り紙。

ユーモアで解決しようとするのも一つのやり方です。

 

結局、断絶状態で時間が来てしまったので片付けに入ります。もう少し時間があれば、何か起こったかもしれないのですが、ここは一旦終了です。別日に持ち越しとなりました。

 

 

片付けているが片付けていない

ギクシャクしていても、片付けはみんなで行う。それは変わらない。だけど、どこかみんな、くすぶっている。

 

ダンボールを片付けてはいるけど、心の整理ができていない。

なんだかモヤモヤする。

 

事が起こるなら、おそらく次回・・・。

 

 

♯11

アイデアに飛びつく

第11回。工作用の廃材の中からカプセルトイのボールを見つけ、そこに景品を入れることを思いついた女子たち。残り日数的にはそんなことをしている時間はない。だけど楽しそうなことを思いついてしまった。やはり流されていく。

 

4人で作っていきます。

 

 

喧嘩したい

何をしているのか気になって見に行くけど中からは「見ないで!」と言われてしまう。

 

小松菜事件のやり取りの再現が続いています。

 

小松菜事件の時に「もっと喧嘩したい」「大喧嘩が起これば良いのに」と言っていた子もいました。みんなその準備が整ったというか、ぶつかり合いたいと感じているような気がします。

 

何か、きっかけを探している。みんなが向き合うきっかけを。

 

 

集中の悪いところが出た

他の子が作った物を剥がして、自分の作り物にくっつけていく。

 

自分なりに作っていく中で、空のダンボールが欲しかった。ただそれだけ。それだけなんです。

 

だから誰かの作ったものを剥がすことが良くないことだと気づくことができなかった。それだけ真剣になっていたんです。

 

 

トリガー

壊れていることを見つけ、作っていた子に報告に行く女の子。

 

これは事件の予感。ついに来た!

 

これが「きっかけ」だ。間違いない!

 

 

防犯カメラ遊び

引きこもり状態だった女の子たちがパーテーションから出てきて、状況を確認する。

 

 

「ここにカメラをつけます」とダンボールでカメラを作って設置しました。

 

「これで誰がやったかわかるでしょ」

 

遊びとリアルが混じり合った雰囲気で進んでいく。リアルで喧嘩する勇気がみんなにはまだないのです。どこか遊びの雰囲気を混ぜないと今の空気感に耐えられない。

 

 

押し問答

「僕じゃないよ」

「じゃあ誰がやったの?」

 

そんなやり取りが何往復か続く。みんな誰がやったかはわかってる。だけど踏み込まない。お友達を疑いたくないし、傷つけたくない。

 

決め手が欲しい。だけどそれはない。

 

 

勢いの良し悪し

「本当のカメラで確認しよう!」と防犯カメラを確認しに事務室へ走り出す数人の子どもたち。その瞬間、担任と私が目で合図を交わす。私が追いかけ、担任が部屋に残ることにして追いかける。

 

虫事件やサイコロ、小松菜事件の時のように今日は勢いがある。いや、ありすぎる。安全面もあるので「勝手に行かない」ことを私から子どもたちに話をしました。

 

そして諦めて部屋に戻る子どもたち。

 

 

裏目

その間にカプセルトイのボールを盗み出していた男の子たち。それを戻ってきた子たちが目撃する。

 

男の子たちは本気で欲しかったわけじゃなく、冗談だったのでしょう。茶化すとかふざけるという行動で、場の空気を和らげようとした。だけど、それが通じる状況ではなかったのです。

 

喧嘩した事がない子どもたちには、適切な対応がわからない。やることが全て裏目に出ています。

 

 

荒地

帰ってきた女の子たちが見たのは、荒らされたあと。作っていたボールはなくなっている。

 

喧嘩の「きっかけ」としては十分です。

 

 

そして始まる大事件

「どこに隠したの?返して!」と怒って男の子たちが作っていたところを探し始める。

 

「やめて!」

「壊れちゃう!」

「どこ!」

「返して!」

「誰がやったの!」

「僕じゃないよ」

 

部屋の至る所で叫び声が上がる。

 

 

怒るという遊び

怒って蹴り出す。タイミングを合わせて一緒に蹴っています。

 

つまり、本気で蹴っているわけじゃないし、自分自身をコントロールできていないわけじゃない。半分遊びです。蹴りながらちょっと笑ってる子もいる。怒るという遊び。いやぁ、これは難しいですね。ほとんどの人はこれを見ても遊んでいるとは思えないかもしれない。ダンボールを蹴る行為自体がショッキングだから叱るという判断になるでしょう。

 

行動は激しいけど、まだ我を忘れているわけじゃない。人を傷つける意志は感じないし、そこまでの状況ではない。

 

私にはそれがわかるけど、喧嘩の経験がない子どもたちは、女の子たちがとんでもなく怒っていると認識しています。だから、どうしていいかわからない。

 

 

焼け野原

女の子たちがやってきて、男の子たちが作ったものを全て壊していきました。

 

本番前日にして、これまで作ってきたものが全て壊れてなくなってしまったのです。

 

 

責任の所在

壊れていたことを最初にパーテーションの中の女の子に知らせて「きっかけ」を作った女の子。この争いには参加せず、黙々と1人できっかけとなったものを直そうとしています。

 

壊れていたのを知らせたのは自分だけど、こういうふうになるとは思っていなかった。これは自分のせい?私が悪いの?

 

どうすればいいの?

 

 

大切なもの

作っていたものを壊されて泣く男の子。それによりそう女の子。女の子は、自分たちが作っていたボールを男の子たちに取られたことより、目の前で泣いている子の方に心を動かされている。

 

何が大事なのか。

何をすべきなのか。

 

見極める。一人ひとりが。

 

 

奇跡は起きるのか

そして仲直りの機会を作ろうとする。右の子が男女の間に入り、話し合いの場を設定しようとしています。

 

3歳児クラスの時はその優しさで何度もクラスの危機を救ってきた女の子です。

 

再び奇跡は起こせるのか・・・。

 

 

仲直り失敗

「もう来ないでくれる?壊すのはやめて」

仲直りの話し合いになる前に男の子たちに拒絶されてしまいました。

 

そう思うのも当然です。それはわかる。だけど、謝りに来た子にその発言はさらに良くない方向へ進めてしまう。

 

「行かないよ!」「行くわけないじゃん!」

 

完全にすれ違いです。奇跡は起きませんでした。

 

もう、1人の「優しさ」では状況を変えることはできない。個人の力ではどうしようもないほど集団が育っています。変えるとすれば集団の力しかない。みんなが協力しなければ解決はないんです。

 

 

仲直り失敗2

一度は来ないでと言ってしまったけど、そもそもボールを持って行ったのは自分たちが悪い。今度は男の子側が女の子たちに謝りに行きます。

 

「来ないでよ!」

 

失敗です。

さっきと全く同じことが起きています。

 

 

大喧嘩

どちらから始めたとかではなく両方が大声を出し、ダンボールを空中に向かって投げ合う。どこからどう見てもこれが「大喧嘩」。感情の大爆発。

 

止めるか。止めないか。

 

保育士として、大人としての判断が問われる。

 

投げてはいるが人がいない方向に向けて投げている。相手にぶつけようという意思はない。気持ちをお互いにぶつけ合いたいだけ。

 

だけどぶつかったら怪我をするかもしれない。

 

この子達を信じてはいる。だけど怪我をさせてはダメだ。加害者を作ってしまう。子どもたちを加害者にも被害者にもしたくない。

 

ギリギリを見極め、これ以上は危険というタイミングで間に入り、喧嘩を止める。

 

大人に止めて欲しかったのでしょう。すんなり言うことを聞き、全員その場から離れていきました。

 

 

無力感

部屋の隅で体育座り。

 

だめだ、止められない。わかってもらえない。どうすればいい?

 

3歳児の時は自由の象徴みたいな子でしたが、今はみんなのことを一番に考える子になりました。

 

 

それぞれの最大限

場所を離れて部屋の端へ行き、ダンボールでバリケードを作る女の子たち。

 

そのバリケードを取っ払う男の子。何かで壁を作る事が今の状況を生んだ。そうであれば、このダンボールは取り除くべき。そこまで考えていたかは分かりませんが、確かにこの子は女の子の周りのダンボールを取り除いていったのです。

 

 

優しさの限界

バリケードがなくなったところへ、再び近づく男の子。

 

仲直りの機会を伺う。

 

「ほっといてよ!」

「ほっとけないよ」

 

 

「嫌いになればいいでしょ!」

「ならないよ。なんでだよ」

 

男の子の言葉から優しさが溢れ出ている。それでも、素直に受け入れることはできない。

 

仲直りするとしてもお互いに傷つけ過ぎてしまった。喧嘩をした事がない子どもたちには、仲直りの方法が見つからないのです。

 

 

語り合う

3歳児と4歳児が帰ってきたので部屋を渡し、先に給食を食べてもらうことにしました。別室に5歳児を集めたところ、綺麗に男女で別れて座っています。

 

お互いに言いたいことをぶつけ合う。

 

「男の子が悪い!」

「なんで?」

「なんで取ったの?」

「じゃあなんで壊したの?」

「うちらが悪いってこと?」

「そんなこと言ってないじゃん」

「僕は誰も悪くないと思う」

「・・・僕が壊しちゃったかも。ごめんなさい」

「わかったよ、もういいよ」

 

「でも、もう一つの方はどうなの?誰が犯人?」

「そんなのわからないよ」

「それよりも仲良くしようよ」

 

 

それぞれが自分の心に正直に語り合う。

 

主体的・対話的で深い学び。

 

その言葉を思い出させる。これが、子ども同士で育ち合うということ。

 

 

 

かっこE

ボールを取ったこと、壊したことは双方納得し、最初に壊してしまったことも解決。残りは「トイレの花子さんが壊れていたこと」が最大の争点となりました。

 

これは男の子が壊したわけでもないし、女の子が壊したわけでもない。というか、今日壊れたわけじゃない。だけど、これを「仲直りのきっかけ」として「落とし所」としてみんなが設定したということでしょう。

 

「僕たちが探してくるよ。待ってて」

 

現実的な解決を望む男の子たちは、花子さんを探しに行きます。女の子たちのために自分たちが行動をすることを選びました。

 

相手を責めず、他人事にせず、現実的な解決へ仲間と一緒に向かって行く。かっこいい。かっこいいな、君たちは。

 

 

元々壊れていたけどそんなことはどうでも良いのです

探してきた花子さんは首だけで体から下が見当たらず、ちぎられていました。

 

「探そう!」

「みんなで探そうよ!」

 

花子さんを探して元通りにする。

 

壊れたものを元通りにする。

 

花子さんも、僕たちの関係も、壊れたって直すことができる。

その気持ちで全員の心が一つになったのです。

 

 

難しいから価値がある

今まで作ったものは全て壊れてしまっています。この中から、花子さんの身体と両腕を探し出す。

 

これは結構大変なことかもしれない。だけど、難しいからみんなで探さないと見つからない。全員が協力する必要があるという、このシチュエーションが子どもたちの仲直りの儀式としてはちょうど良いんです。

 

 

 

リビルド

みんなで探し出し、ついに花子さんの身体と両腕を発見!

 

思わず上がる歓声。

 

協力してテープで貼り直していきます。みんなの絆を修復するように、丁寧に貼っていきます。

 

 

カメラの撤去

壁に貼っていたカメラも協力して取り外しています。監視はいらない。もう仲間を疑う必要もない。

 

喧嘩は終わった。いや、終わらせたのです。自らの手で。子どもだけの力で。

 

 

自信は誉めても身につかない

片付けも終わり、仲直りしたことを全身で喜ぶ子どもたち。

 

これを読んでいる人は気付いていますか?

 

担任の保育士か園長がいないと輝けない子どもたちが「大人に頼らず、自分たちだけの力でぶつかり合い、解決して行った」のです。まさに、願っていたとおりの展開。

 

そしてそれは、子どもたち自身も願っていたことかもしれません。

 

担任が大好きなことは変わらない。だけど小学校には保育園の担任の先生はいない。小学校で困難なことが起きても今日のように自分で解決できるかもしれない。自分を信じる事ができるかもしれない。

 

自らを信じると書いて「自信」。

 

 

自分は変わることができる。化けることができるんだ。何にだってなれる。きっと。

 

 

階段を走ってはいけません

「園長先生に見せたいものがある!」

 

さっき「勝手に行かないように」って言ったばかりなんだけどな。嬉しくて嬉しくて、その気持ちを抑えることができない。というか、抑えなくて良いんです。嬉しいことを誰かと分かち合いたい気持ちは、きっと正しいのだから。

 

 

発芽

「小松菜の芽が出たんだよ!」

 

えー!

なんというタイミング!

 

これを私に見せたかったのか。初めての喧嘩は小松菜事件でした。あの時蒔いた種から芽が出たのは大喧嘩して仲直りした今日になるなんて、出来すぎてます。

 

やっぱりドラマは起こるんですね。

 

 

嬉しくて止められない

「鬼ごっこしよう!」

 

男女混ざって鬼ごっこが始まりました。

 

嬉しさが止まらない。完全に心が通い合っている様子が伝わってきます。お互いの事を思いやり、それぞれが考え、できる事をした結果、仲直りができた。これはすごい事です。

 

 

許す心

今回揉めた子たちが一緒にブランコで遊んでいます。

 

「さっきはごめんね」

「こっちこそごめんね」

 

そんなやりとりも聞こえてきました。

 

子どもは本当にすごい。許す心も持っているし、謝る心も持っている。大人の方が揉めた時に根に持つことが多いような気がします。大人の方が見習わないといけないなと思いました。

 

 

明日はお化け屋敷本番。作り物は全て壊れてしまった。

 

だけど、子どもたちの絆は再構築され、生まれ変わっています。大化けした子どもたちは明日の本番をどう乗り切るのか。

 

次回、お化け屋敷作り2025、最終回です。