卒園が近くなり、別れを意識し始めた5歳児たち。お化け屋敷作りをしたいのか絆を深めたいのか不安を解消したいのか、それぞれが複雑に絡み合って進んでいます。今回は今回のシリーズにおける大事件の発端となる「小松菜事件」からスタートです。

 

 

きっかけは些細なことから

さつまいもの収穫がうまくいかなかったことから、卒園までに何か別の野菜を育てたいという子どもたちの意思を汲み、卒園までに収穫可能な小松菜を育てることにしました。

 

土が入っている袋の開け方にこだわった手前の女の子たち。ハサミを使わずにどうやったら開けられるのかという挑戦をしたかっただけなのですが、「ハサミ使えばいいじゃん」と他のみんなが言うので、ギクシャクしていきました。

 

「こっちに来ないで!」「バカにしてるの?」と一方的に強い口調を使い始めました。

 

 

隔たり

部屋に戻る時間になっても復活できない。手も洗わず、関係は断絶されたまま。

 

「うちらは悪くないよね」

「みんな大嫌い」

「3人で暮らそうよ」

 

閉じた世界の中でなんとか気持ちを落ち着かせようとしています。

 

 

引っ込みがつかない

放って置けない子達から声をかける。

「ねぇ、お部屋入ろうよ」

 

だけどもう引っ込みがつかない。

「ほっといてよ!」

 

「ほっとけないよ」

「やれやれ・・・」

「どうしよう」

 

みんなの反応も様々です。積極的に仲直りを目指す子、冷静にみている子、どうしていいかわからずオロオロする子。

 

 

その場から離れるしかない選択肢

その場にいられなくなり走っていく。緊張感に耐えられないのでしょう。こんな喧嘩なんて6年間で一度もしたことがない。仲良しに見えた仲間たちは、ただ喧嘩を恐れてぶつからなかっただけ。

 

本気で喧嘩をしたことがないから、こういう時どうしていいかわからない。

 

そして「もう出ていってやる!」とフェンスを登ろうとして、他の子達に止められる。向き合えないときはその場から離れるしかない。それしか、知らないのです。

 

 

涙を拒否する

今度は逆に玄関から脱走しようとして担任に止められる。

 

「泣いたら負けだからね!」

「うちは絶対に泣かない」

「泣きたくない」

 

泣くこと、つまり感情を表すことを否定する。心の柔らかい部分を外に出したくない。

 

なんとか部屋に戻れるところまで担任が寄り添い、この後にみんなのところに戻ることができました。話したり遊んだりできていますが、どこかみんな引っかかっている様子です。この子達に必要なのは喧嘩することだとは思っていましたが、まさか今日それが起こるとは思っていませんでした。小松菜の種を蒔こうと思っていただけなのに。

 

 

 

ケアが必要かなと思った次の日、担任が急に休みになってしまいました。みんなが大好きで一番信頼している担任がいない。こんな時に。

 

だけどこれはピンチではなくチャンス。

 

いつも頼っていた担任が物理的にいない状況で負荷をかけて成長を促す機会になる。

 

園長の私の出番です。

 

 

成長を促す環境設定

次の日、私が園長特別企画を行いました。サイコロの旅。サイコロの目が出た場所に移動し、そこに着いたらサイコロを振り、移動する。これを繰り返して園に戻って来れるのか、という遊びです。

 

某バラエティ番組の企画ですが、今の子どもたちの成長を促すのにピッタリだと思いました。

 

大人の指示や注意や支えがない状態で、サイコロの目という偶然性に従って行動する。自分の思い通りにならない理不尽な状況でも受け入れ、みんなが楽しくなるにはどうするかを考えて行動する。

 

たくさん歩くから疲れてきて、さらに感情のコントロールが悪化する。そんな状況の中で自分で自分を乗り越えていく。それを仲間で一緒に体験する。

 

この企画は当日の朝に急遽行うことを考えて実行しました。物事にはタイミングというものがある。それは間違いなく「今日」のはずです。

 

 

やぁぁぁだ!

画像は保護者向けのyoutubeから。テロップが入っているのはそのせいです。

 

サイコロの目が良すぎてイオンに行って駄菓子屋でお菓子を買うという展開に大はしゃぎの子どもたち。あまりの楽しさにテンションも上がりっぱなしです。

 

園に帰ってくることを目標にしていたのに「帰りたくない。ずっとみんなで生きていく!」と言い出す子どもたち。園に帰る目が出て「やぁぁぁだ!」と赤ちゃんのように叫んでいます。

 

でも助けない。あくまで、これは遊びの形をした教育。自分たちで気持ちをコントロールして自分自身に打ち勝ってほしい。

 

前日に崩れていた子たちが帰り道に動かなくなり、どこかへ行こうとする。それを他の子達が連れ戻しに行く。何度も何度もそれを繰り返す。

 

帰らない子、連れて帰ろうとする子。そのやり取りを繰り返す中で、子どもたちの距離が縮まっていく。

 

なんとか、みんなで園に帰ってくることができました。

 

 

泣き真似の意味

「みんなで泣き真似しよう」

「えーん」

 

園に着いて泣き真似をする。

「泣いたら負けだ」と言っていた子たちが遊びの中で泣く真似をする。

 

これは疑似体験。自分の本心を仲間に曝け出す前に、私の前で感情を出すリハーサルをしているのです。

 

遊びには現実を変える力がある。

 

この子達が心を解放するのは、もうすぐそこまで来ています。

 

 

♯7

こんなことがあったよ

第7回。サイコロの次の日、出勤した担任に抱きついていく子どもたち。こんなことがあったんだよと嬉しそうに話をしています。

 

「お菓子買ったけど先生にはあげるね。園長先生は無理」

 

そんな発言も。これはネガティブな気持ちを出しても私が叱ったり嫌いになったりしないという確信があるから言えるセリフです。

 

つまり、信頼している。安心しきっている。

 

それをみんなにも出せるようになれば、本当の仲間になっていくはず。

 

 

残り日数の確認

このまま卒園までゆっくりとしたペースで続けていくことも考えましたが、生活発表会に集中していくのも大切なことなので、お化け屋敷の最終回の日程をこちらで設定してみました。

 

終わりができれば、そこに合わせてドラマが展開される。それは今までのプロジェクトでも実証されています。

 

 

必ず、何かが起きる。その予感しかしません。

 

 

たくさんの目

ミャクミャクを描いています。大阪万博のあった2025年。テレビなどメディアの影響を子どもは受けて育っています。

 

残り日数を聞いて、意欲が増しているようです。

 

 

1人の世界

逆に残り日数を知ってから閉じこもる子もいる。

 

1人になりたい。

 

自分は引っ越して別の小学校へ行く。みんなとは違う。仲良くなりすぎても別れが辛いだけ。

 

 

脅かす練習

ダンボールの中に入ってお化け役となって脅かす。コースや展示物を作るのではなく、お化けを作る動きがやっと出てきました。

 

本番を意識した動きが出てくるようになりました。

 

 

お化け屋敷の意味

自分たちの心を投影するように、ワンピースのチョッパーをお化け仕様に装飾していく。パラバルーンの曲は最高到達点。ワンピースの主題歌でした。そのみんなの思い出をお化けにしていく。

 

思い出をお化けにする。つまり、「大化けする」という意味合いがある。この子達が本来の形を大きく変えていく前兆を感じます。

 

最高の状態に到達したあと、もうこれ以上良くなることがない。そう思ってましたが、そうではありませんでした。最高到達点にいながら全く別の何かになればよい。質の変換。そういうことなのかもしれません。

 

 

暗いのでピントが合いません

突然部屋を暗くして、本番をイメージさせる。

 

こうやって環境に変化を与えることで、子どもたちの興味関心を膨らませていきます。

 

 

ゾンビ遊び、再び

どれだけ怖くするか。そこに集中しています。

 

ゾンビにしている。このクラスが3歳児の時の最初のプロジェクトが「ゾンビ遊び」だったのを思い出しました。まさに集大成。卒園の前にこういう展開が待っているとはあの時には思ってもいませんでした。

 

 

 

小さなトラブル

片付けの時間なのに片づけない子がいました。すると右の子がボールを奪って代わりに片付けようとしています。

 

そして、奪い取ったことをみんなから非難されることになりました。

 

 

正しさとは何か?

集まってくる仲間たち。

 

勝手に取ったのは悪い。

だけど片づけない人も悪い。

勝手に取ったことを非難した人も悪い。

傍観していた人も悪い。

 

なんとでも言える。何が正しくて、何が悪いのか。そんなことを考え出したらキリがない。誰かのせいにすることに、正しさなんてない。

 

誰かのせいにすることに、なんの意味もないんです。

 

 

謝るスキル

みんなが集まってきて「ごめんね」と謝る。

 

小松菜事件の時にはすぐに謝れなかった。だけど、今はすぐに謝れる。

 

誰かの成長が、他の子の成長を促していく。

 

 

♯8

保育園にずっといたい

第8回。始まる前に担任にくっつくことで不安を取り除こうとしている。

 

安心と挑戦の循環で子どもは育つ。その言葉の意味を思い知る。卒園は、保育園が良ければ良いほど不安になるのかもしれない。

 

サイコロの時にも「卒園したくない」とみんな言っていました。「ずっとここにいたい」と言ってくれるほど保育園を大好きでいてくれるのは嬉しいけど、別れは必ず来る。

 

みんなが旅立つ日は、絶対にやってきてしまう。

 

 

喧嘩しないという選択肢

誰かによって自分が作ったものが壊されたと言うことに気付く。

 

 

だけど、気付いただけ。どうすればいいのか、誰もわからない。深く考えない。

 

 

そのままにして別の遊びへ向かう。喧嘩したくないから他者に向き合わないのです。親も保育士も「喧嘩しないように」と子どもに言う人が多いように思えます。だけど、喧嘩しないということは本気で相手に向き合う経験をしないということ。それでは心は育たない。他者と本気で向き合えない子になってしまう。

 

喧嘩しないことが良いのではなく、喧嘩して仲直りするまでの体験をして成長することが子どもたちには必要なのです。

 

 

リハーサルによる気付き

担任をお客さんにして一度リハーサルをしてみる。何が足りないのか、何をしなくてはいけないのかに気付くかもしれない。

 

やってみると、それぞれが勝手に考えたルールやストーリーが混在して、ごちゃごちゃです。自分のルールを説明するときは嬉しそうですが、他人の説明には無関心。なかなかうまくいきません。

 

子どもたち一人ひとりが本気でやりたいことをしている時にそれを混ぜて一つの形、一つのルールにするのはとても難しいのです。保育士が主導でやってしまえば統一された雰囲気にはなりますが、それは子どもの意見ではなく大人の押し付けであり、意味がありません。

 

 

本当はもっと暗い部屋ですが最新のiPhoneで撮影すると明るく写ります

お化け役、案内役に分かれているはずが、お客さん役になったり急に逆になったり。めちゃくちゃです。役割を分けて考えられていない。

 

ただただ自分が楽しいことをしていたい。役割分担ができないということは協力ができないということ。協同性が育っていないんです。

 

国の考えの中では、小学校入学までに身につけさせたい10の姿の中に「協同性」があります。遊びの中でそれが育つような環境を作っていく必要があるのです。

 

 

誰1人取り残さない保育

片付けも終わり、自然と日向ぼっこをする子どもたち。

 

だけど、1人だけ輪に入らない子がいます。ロッカーに寄りかかり、何かを考える。自分はみんなと違う小学校へ行く。みんなはこの関係が続く。私は・・・。

 

不安に押しつぶされていく。

 

 

保育士はこれに気付ける人であってほしいなと思います。

 

 

♯9

時間をいじると子どもが変わる

第9回。本番まで日がなくなって来ました。みんな自然と協力し、全体のコース作りをしています。

 

やはり締め切りを設定した方が、子どもたちは本気になっていきますね。時間も環境です。環境が子どもを育てていきます。

 

 

繋げる力

1人でいる子に声をかける。全体を見られるようになると、こういう立ち回りの子が出てくるんです。

 

前回ずっと1人で端っこにいたのですが、今日は声をかけてもらい、ちょっとずつみんなの中に入っていけるようになりました。

 

 

繋げる力2

こっちも。1人でいる子に声をかけるのは、いつもこの子です。

 

人と人を繋げる力がある。他者に興味があり、行動力もある。この子もリーダーとしての資質を持っている。

 

 

表現方法は人それぞれ

ガムテープで蜘蛛の糸を表現していると、蜘蛛の糸に自分たちが捕まってしまうという遊びが起きました。

 

ふざけているように見える人もいると思いますが、この子は「楽しい」を作っていかないと不安に押しつぶされてしまうから次から次へと面白い物を探しているんです。

 

真面目にやること、真剣にやることが良いこととは限りません。その子なりの表現や現実への向き合い方があるんです。

 

 

レーザー光線と蜘蛛の糸

ガムテープを使った障害物の蜘蛛の糸。これは園長が環境構成をしたゲームコーナー遊びのレーザー光線の模倣です。毎日の遊びが子どもたちの中でつながっています。

 

印象が残っていると無意識の興味として落とし込まれ、その後の遊びに自然と出てくるのです。

 

 

お化粧ごっこ

ガムテープが顔にくっついてしまったことで思いついた、お化粧遊び。ガムテープを顔に貼り、ガムテープの上にペンで色をつける。

 

それを2人ではなく4人で行なっています。2人の世界はもうなくなっている。他の子との距離感が縮まっています。

 

子どものお化粧遊びは、母親の模倣、つまりごっこ遊びの意味合いがあります。卒園を意識して不安が高まる中、大人の真似をすることで強制的に成長して乗り越えたいという気持ちも無意識にはあるでしょう。

 

戦の前に化粧をするとか、祭りごとの前に化粧をするとか、古来より人間は自分を高めたい変わりたいという時に化粧をしてきました。

 

化けたい。変わりたい。そういう気持ちがこの遊びに現れている。

 

だからお化け屋敷と関係ないけど、これで良いのです。むしろ4人で始めたことが嬉しいなと私は見ていて思いました。

 

 

ゾンビメイクを披露

お化粧というよりゾンビメイクに見えますね。実際に「ゾンビが来たぞ、逃げろ!」と他の子も言っていました。

 

他の子達に披露したいということは、気持ちは他者に向いています。2人きりの世界を作っていた頃や、小松菜の時に3人で断絶していた時とは違うということです。

 

化粧、つまり化けている。チョッパーをお化けにする遊びの延長線がこれになる。自分自身を化けさせる遊び。自分自身が変わりたいという遊び。

 

お化け屋敷とは、「子どもたち自身が大化けする屋敷」という意味だったのかもしれません。

 

 

すっぴんチーム

メイクをしていない女の子たち。

 

私の手に何かをつけてくれました。

 

 

いちごの魔除け

いちごのタトゥーだそうです。これがあるとゾンビから身を守れるという謎のルールが生まれました。

 

そしてタトゥーもまた化粧と同じで、化ける意味合いがある。クラス全体が、生まれ変わろうという胎動を感じます。

 

 

感情の揺れ

遊びが終われば「お外でご飯食べたい!」の大合唱。毎回、恒例になりました。

 

不安に押しつぶされそうになったり、強烈に仲間意識を感じたり。感情を大きく揺さぶりながら、お化け屋敷作りは進んでいきます。

 

そしてついに、この後にこの子達にとって最大の試練が待ち受けているのです。