新プロジェクトは「異年齢・縦割り保育」「自由遊び」の設定で、幼児クラス(345歳児)だけでなく2歳児クラスまで組み込んでやってみようという試みです。そして「保育士が何も誘導しなくても自由遊びがクリスマスの遊びになるのか」を裏のテーマにしています。どんな結末になるのか誰も予想できない本当の意味での主体的・対話的で深い学びの実践をご覧ください。
♯1 (4歳児と5歳児の第一回)
流石に4クラス合同で始めるには人数が多すぎるので、設定を工夫します。年齢の近い2歳児と3歳児の遊び、4歳児と5歳児の遊びを別々に行い、数回繰り返したら最後に4クラス合体して遊ぶという環境設定です。
まずは4歳児と5歳児クラスの様子を見ていきましょう。
4歳児5歳児クラスの方は、牛乳パック、マット、バランス遊具、プラポイント(複数のパーツに分割できるマット)を用意しました。ちなみに今回の環境設定は私は関与せず、担任同士が話し合って決めています。前にも言いましたが、その方が私は面白い。これからどういう展開になるのか予測できないから、ワクワクしますね。
バランス遊具の上にマットを置いて、ゆりかごにする遊び。1人が始めれば、それが伝染していく。
ゆりかごというか「揺れる感覚遊び」は母親にあやされている感覚に近いので安心感を生みます。感覚遊びは原始的な遊びなので、赤ちゃん返りしやすい。だから遊びが工夫されず、ただ揺れるだけになってしまって遊びが広がらない可能性が高い。
私ならこの遊具は設定しません。もっと子ども同士の対話を促進したいからです。だけど、この遊具が良い感じでこれから子どもたちを振り回していきます。こういう「どうなるのかわからない」ジョーカー的なものは入れたほうが面白いですね。
5歳児が始めたゆりかご遊び。4歳児の2人も同じようにマットを乗せ、一緒に乗っています。ここでのポイントは、プラポイントの黄色い丸のアイテム。これを持っていることが仲間の印。同じものを持っていない人はゆりかごに乗ることができません。
プラポイントの丸を集めてお店屋さんをする5歳児が現れました。左の子が黄色い丸をお買い上げです。これでさっきの仲間に入れるはず。
こんな感じで黄色い丸を持っている子だけが一緒に乗ることができる。右で青い丸を持っている子は乗ることはできません。
これも遊びです。仲間はずれにしているわけではなく「資格」がなければ入れないという「ルールのある遊び」になっているんです。
ルールを理解する年齢になってくると、自分たちでルールを生み出し、それを守ったり破ったりする遊びをしていきます。その繰り返しによって、ルールを守って遊ぶ大切さがわかってくるのです。
大人はこれを見て仲間はずれにしていると思ってはいけない。子どもたちにとって、仲間に入るためにはどうすれば良いのかを考える学びの場になっています。
プラポイントの丸を頭に被せて前が見えなくなったお店屋さんの手を引き、誘導する店員さんが現れました。
遊びの中で自分の役割を見つけることができるのも遊び上手の証拠。そして、これは役割分担が生まれる遊び方です。遊びが高度になっていく。
黄色い丸を持っていることが「資格」ではなく、お腹の周りに装着することが「資格」になっています。つまり、ルールが変化した。このルールの変化に気がつけない子は一緒に遊ぶことができません。
そして、その変化に気がつけない保育士は、子どもの遊びの理解ができていないということになる。だから、遊びをじっくり、しっかり見ていく必要があります。理解できなければ褒めることも、叱ることもできない。
部屋の端っこの方に徐々に集まってきました。面白そうなところに人は集まっていくからです。集まれば距離が近くなるので関わりが増え、もっと面白いことが生まれてくる。
だけど距離が近くなればトラブルも増えるから、どうなるかは今後の展開次第ですね。
部屋の反対側を見ると、そのみんなの流れに乗れない子達が。
1人でいるからダメというわけではありません。1人でいる時間も大切。1人になりたい時もある。なぜ1人でいるのかを大人が見極めていく姿勢が大切です。
マットを滑り台のようにして遊んでいます。向こうでは並んでいる子もいるので、これもルールのある遊びになっています。
普通の園だと4歳児クラスや5歳児クラスになると保育士がルールのある遊びを設定して、それを子どもたちにやらせるということが多いのですが、学びとしては子どもが自分で作ったルールの中で学ぶ方が、深い学びになるような気がします。
ここでも「ここに並んで、こうやって楽しむ」という集団の暗黙のルールを理解できない子がコースの真ん中で邪魔をしています。
邪魔をするという不適切な関わり方しかできない。それは集団の中にある暗黙のルール、正解のルールがわからないからです。当たって砕けろ的な関わりになってしまうというか、自爆行為の意味合いが近い。嫌われても良いから一緒にいたい。
これって、叱るべきことなのでしょうか。私は違うと思います。一緒にいたいのに関わり方がわからない。とても切ない。私は見ていて苦しい。
ルールがわかれば、ちゃんと子どもはルールの中で遊びます。集団に入れない子のほとんどはルールがわかっていない子なのです。邪魔をする悪い子というレッテルを貼ってはいけない。この子は今、ルールを学んでいる途中なんだから。
邪魔されたので滑り台遊びから抜けて、おままごとを始める女の子。ここでも同じ帽子をかぶって仲間になっています。ここに入るためには帽子という「資格」が必要なんです。
一緒に遊びたかった子がプラポイントの丸を頭に乗っけて帽子にして別の子と遊んでいる。その様子をじっと見つめています。頭の中フル回転です。何をすれば一緒に遊べるのか。あの2人の間に何が起きているのか。分析し、仮説を立て、検証する。そして自分なりの正解を導き出す。
これを「観察遊び」と呼びます。立派な遊びです。
大人がルールを守りなさいと指摘することなんかより、こういうシチュエーションのほうが絶対に学べる。学びたいという意欲があるからです。
何よりも意欲は学びを促進します。
どうやら一緒に遊ぶためには「ルール」が必要らしい。それを理解し、男の子たちのところへ移動します。男の子たちは今、部屋中の牛乳パックを集め、ある場所へ運んでいる。つまり、一緒に牛乳パックを運ぶことで仲間になることができる。それが遊びの「ルール」。運ぶことが「資格」になる。
この子が集団遊びの本質を理解した瞬間です。
みんなが集まっていたのと反対側に牛乳パックや遊具を集める男の子たち。高さが出て危険なので、保育士がスッと動いていますね。落ちそうになったら支えるためです。自由遊びだからといって保育士が何もしないわけではありません。
アイテムを多く集めることで、個別のアイテムではできない高度な遊びをすることができるようになっています。アトラクションを作っているようです。
男の子たちの移動を見て、5歳児の女の子たちも移動してきました。遊びが活発化してくると場所の移動が頻繁に起こります。
壁を作っているのは、自分たちの「遊びに入っている人」と「それ以外」を明確に分けているからです。完全に5歳児の女子だけで世界を作っています。
これも年齢的によくある現象です。遊びに「入る」「抜ける」という概念。これを繰り返すことで、所属の意識が身につく。グループとグループを理解していく力。個人で遊ぶのではなく、集団に意識が向いているという成長の証になります。
「みんなで仲良く遊びなさい」ではダメなんです。それだと、みんなで遊んでいるように見えて個人で遊んでいるだけになる。「入る」「抜ける」を何度も何度も体験して、その先に「全員入る」状態が「みんなで遊ぶ」になるんです。
いずれ、壁を破ってみんなで遊ぶ展開になってほしい。そうしないと最後にみんなでクリスマス遊びにたどり着く可能性がなくなってしまう。
お化け屋敷プロジェクトでも、最初はグループを作って争いが起きていましたが、遊びの初期にはグループごとの遊びが展開されることがほとんどです。今日だけで遊びを評価しないほうが良い。この先の変化を期待しながら見ていきます。
みんなの輪に入れなかった4歳児の女の子。部屋の端っこからよく観察していたので、みんなと仲間になるための「資格」をすべて身につけています。帽子、お腹の丸、牛乳パック、そして目の前の子と繋がるための四角いプラポイント。
すごい観察眼。誰かと一緒に意味のない遊びに入るより、一人ぼっちでいる時に周囲の遊びを観察できたから、たくさん学んでいた。だから1人の時間も大切なんです。
さぁ、「資格」のフル装備で、仲間になれるのか。
すべてのアイテムを捨てて、生身で遊び出す4歳児女子3人。これはすごい。
人魚姫ごっこ。仲良く遊ぶのに「資格」なんていらない。大人びた女子2人にそのまま受け入れられました。いいですね。
「資格」と私が名づけているものは「一緒に遊びために守るべきルール」のことです。だから、物じゃなくても良い。合言葉でも良いし、雰囲気でも良いし、同一の行動でも良い。つまり、何でもありです。お互いが仲間意識を持てるものであれば。だから、何も持たずに人魚姫になるというルールが「資格」になるんです。
全てを手放すのも「資格」。遊びの世界は奥が深い。
そして3人は壁の向こうのみんながいる方へ。遊びが交わっていく。
「何してんのー?!」
「遊園地だよー!」
「私たちもやっていいー?!」
「いいよー!」
5歳児男女の交流により、バラバラだった世界が繋がりました。
壁が倒れ、全員がアトラクションのある遊園地へ。これまでは一緒に遊ぶ「資格」が必要だったのに、最後には「資格」がなくても遊べるようになりました。さっきの人魚姫遊びの影響を無意識にみんなが受けています。
遊園地になったのは去年の同じ時期にやっていた遊園地プロジェクトの再現です。今の5歳児クラスは当時4歳児クラスなので、遊園地プロジェクトを体験しています。子どもは前の遊びを引きずるから、去年のイメージを持ち越してきます。
だから、これでは遊びを作り出していることにはならない。私が求めているのはこういうことではありません。再現ではなく、創造。次回以降に期待したい。この子たちには、0から1を作り出す人材になってほしい。
♯2 (2歳児と3歳児の第一回)
2歳児と3歳児クラスの第一回。用意したのはダンボール、雨どい、ジョイントマット、カラーボール。
3歳児の前に雨どいを置いていたので、スタート時にすべて持って行かれてしまいました。どこに何を置くかで遊びの方向性が変わってしまうのです。特にスタート位置は極めて重要です。
こういう展開を見て、保育士も学んでいきます。環境設定の技術がイコール保育技術に直結します。
アイテムをすべて部屋の中央に用意したことで、遊ぶスペースがなくなり、それぞれバラバラに遊び出してしまいました。これも環境設定。部屋の端にアイテムを用意したほうが中央に広いスペースができるので遊びが広がります。
こんなことを考えている園は見たことがないですけどね。実際、そうだからしょうがない。
2歳児はいつもと雰囲気が違うので戸惑っています。右奥は保育士にカラーボールをぶつける遊び。左奥は保育士に甘えてそばを離れない。中央にいる子たちも動こうとしない。
保育士が安全基地だということがよくわかります。だけど、ここは「安心」を提供するのではなく「挑戦」の場です。甘やかす雰囲気を保育士が出すと何もできずに終わる。
「安心」と「甘え」は違う。保育士としても親としても、この線引きはとても難しいんですよね。
例えば、お母さんが不安が強かったり、過度に子どもを心配していると、子どもはお母さんから離れられなくなります。慣らし保育の時なんて、よくある光景です。だけどお母さんが見えなくなったら普通に笑顔で遊んだりする子がほとんどです。
保育士も同じで、子どもが近くに来たからといって「優しい雰囲気」「受け入れの雰囲気」を出すとダメです。子どもが遊べなくなる。ニュアンスで説明すると「不安ならくっついて良いよの雰囲気」ではなく、「そばにいるから安心して遊んでおいでの雰囲気」が良いんです。これを間違える大人は本当に多いなと思います。
要は、おもちゃや他児よりも大人を意識させてはダメだということです。子ども自身が遊びの世界に向かうのを邪魔しないようにしましょう。
一緒に遊ぶという状況は大きく2つに分けられます。一つは「遊びたいものが共通している」という状況。もう一つは「やることは関係なく、この子と一緒に遊びたいだけ」という状況。
3歳児女子の2人。手前の子は「一緒に遊びたい」という人間関係中心のモチベーション。奥の子は「遊びの内容」が中心のモチベーション。つまり、興味関心がズレている。
箱を作って牛乳パックを詰めるという遊びを2人でやっているわけですが、手前の子からすれば、この行為が仲間になるための「資格」になるわけです。だけど、奥の子にとって牛乳パックを詰めるというのは遊びの過程に過ぎない。目的ではないから、他に興味があることがあればそっちに移動してしまう。
3歳児女子が牛乳パックを集めるのを見て2歳児女子も牛乳パックを集めています。誰かがやっていることを真似る。2歳児によくある光景。そして遊び方が「集める」だけというのも1歳児2歳児でよくある。
「集める」というのは立派な遊びなんです。大人だって、昔は切手集めとか趣味の一つでしたよね。キャラクターグッズ収集もそうだし、今だと携帯のゲームで課金してレアなキャラクターを集めるとか。お金持ちがスポーツカーを何台も所有するとか。
実はただ牛乳パックを集めているわけじゃない。よく見れば、同じ種類の牛乳パックを集めています。この子達からすれば、この種類に価値があり、他の種類に興味はない。物の価値は人が決めていく。ガラクタも宝物になる。
同じアイテムを集めるというのは、他との違いを見つけ、区別する能力を育てます。
右手前の3歳児が一生懸命箱を作っています。それを見て、2歳児たちが箱を作り出しました。
牛乳パック集めと同じように箱作りが広がっていきます。こういう感じで、異年齢で遊ぶと上の学年の遊びが下の学年に降りてくるんです。
つまり、異年齢の方が遊びのレベルが上がりやすい。幼児にとって遊びは教育なので、育ちが促進されます。明治維新みたいなものですね。それまでの文化になかったものが流入してくることで文化レベルが底上げされる。
異年齢や縦割り保育を批判する意見もありますが、それは本当の異年齢や縦割り保育を知らないからだと私は思います。だから今回、異年齢、縦割り保育の良い面も悪い面も書いてみようかなと思っています。ぜひ、この遊びの結末まで読んでほしい。異年齢保育で何が生まれるのか。その奇跡に至る過程を丁寧に解説していきます。
3歳児の女の子。箱に牛乳パックを「詰める」遊びをしていたはずが興味が変わり、牛乳パックを「立てる」遊びへ。一緒に箱に牛乳パックを詰めていた子は「箱に詰める」のが「資格」だと思っているのでその行為に没頭している。ルールが変わったことに気がつきません。
この子と一緒に遊ぶためには「牛乳パックを立てる」という行動を一緒にすることが「資格」となる。こうやってルールが変化していくことに気がつくのかどうか、そして変化についていきたいと思うか、これがこの子と一緒に遊ぶための条件です。女心は秋の空と言いますが、人の気持ちというのはうつろいやすい。変化に気付くのも人間関係を作るために必要なスキルです。
立てた牛乳パックを次々に倒していく2歳児。この子は「3歳児が牛乳パックを立てていた」という認識がなく「牛乳パックが立っていた」と認識しているから壊しています。前提条件が違うんです。大人からすれば「どうしてお友達が作っていたものを壊すの?ダメでしょ?」という評価になると思いますが、「お友達が作った」という認識がないので叱ってもしょうがない。
やっていいこと悪いことというのは、状況の理解力や物事の因果関係を理解していないと判断を間違える。「ダメだよ」と言うだけでは「何がダメだったのか」がわからないので、次も同じミスをする。これを繰り返すと何をしても叱られるから、もうなんでもいいやと開き直って行動するようになります。叱るのなら、その子がわかるように叱らないとダメってことです。叱られたという傷つきだけを心に残してはいけない。
下の学年がやることだからと大目にみて、今度は大きな箱を作る遊びに変えた3歳児。争いは同じレベルで起こる。どちらかが大人になれば争いは起きない。だから倒していた男の子は間違いに気がつくことはなかった。
レベル差がありすぎてもトラブルが起きないので学びにならない。異年齢で過ごすとこういうことも起こる。何事も一長一短なんです。逆に言えばトラブルが起きないと成長しない。トラブルを起こさないようにする親や保育士は多いと感じますが、それでは子どもは育たない。
停滞する2歳児と関わらず、3歳児たちが集まって遊びだしました。大きなダンボールに雨どいを使ってボールを転がす遊び。雨どいを持つ子、ボールを転がす子、ボールを集める子、応援する子。
普段遊んでいる仲間だから、時間が経てばこういう展開になる。だけど今日は2歳児もいる。ここからどう交わっていくのか。
3歳児女子2人で作った大きい箱に勝手に入る2歳児の男の子。壊すわけでもないので3歳児は受け入れていますね。
実は3人で一緒に遊んでいるわけではなく2歳児の存在を無視して3歳児2人で遊んでいるんです。いないものとして遊びが展開している。
こういうのって、2歳児側も気付いている。だから楽しくはない。無視というのが一番人を傷つけるんです。4歳児や5歳児なら、何かしら2歳児に関わっていくのですが、3歳児だと2歳児の扱いがわからない。何をすれば良いかわからないから無視をすることになる。
無視をされた子は自分の存在を周囲に表明するかのように、よくない行動を取るようになります。嫌われてもいいから、僕を見てほしい。そうなってしまうかもしれない。これは心配ですね。
たった一つしかないジュースのパックを取り合う2歳児。この後、力づくで引っ張り合います。お互いに手が出る。
いつもは保育士が止めに入っていますが、今日はよっぽどのことがない限り止めません。自分たちで解決する体験をさせていきます。手が出ていますが「相手を傷つける意図」の場合と「自分の意見を主張するために手が出ている風」になっている場合がある。ここの見極めも大切です。言葉の代わりに行動で主張しているのであれば相手を傷つけないから、いつでも止められる位置にいて少し待つ。ここでは私だから見極めています。日常の保育ならすぐ止めている状況です。
手前は2人が揉めるのを見ている3歳児。何かを考えている。
ジュースのパックを手放し、牛乳パックだけで2人で遊び出す。物を取り合って争うより、争いの種になる物を捨てて一緒に遊ぶ方が良いという体験になったわけです。
そう。「ジュースを捨てる」という「資格」を得て2人で遊ぶ。そういうルールになった。だから、ジュースのパックは2人には不要になったんです。
これも一度揉めたから2人が学んだということです。大人がトラブルを止めると、止めた大人に攻撃性が向いて癇癪を起こしたり泣いたりする。だけど子ども同士でトラブルを解決すると、自分の選択の結果だから自信となり、深く学べる可能性が増える。
2人が揉めていたジュースのパックをこっそり回収していた3歳児。揉め事の原因を取り除くのも解決方法の一つですね。ジュースを手放す選択を2歳児が行ったとしても見える位置にジュースがあったらまた手に入れようと動いてしまうこともある。だから見えない位置にジュースを隠した3歳児のサポートはとても良い。子どもだけの解決。
そしてついに箱が完成し、ボールを次々と集めています。自分の遊びをしながら2歳児のトラブルにサラッと介入している。3歳児の学びにもなっています。
一緒に遊びたかったから、牛乳パックを箱に詰める遊びを手伝っていた。だけど、気がついたらあの子はいなかった。どこに行ったのか探しています。それだけ遊びに夢中になっていたんでしょう。
3歳児たちがやっていたダンボールと雨どいとボールを使う遊び。3歳児のサポートを受けながら2歳児たちが行なっています。ちょっとずつ学年を超えた繋がりが生まれています。慣れるまで時間がかかるんです。
あんなに苦労して箱を作ってボールを集めていたのに、女の子の指示で箱を壊して集めたボールを渡しています。
実は箱を作る前に女の子にボール集めを頼まれていたんです。だから、バラバラに遊んでいるように見えて、役割分担して遊んでいたということになる。それこそ40分くらい1人で箱を作っていましたから、一見すると1人遊びだったようにしか見えない。集団遊びの評価は本当に難しいですね。
箱を作っても2歳児が来てしまう。だから1人しか入れない箱を作る。形は三角。それを2人だけで作る。これも2人が仲間であるという「資格」になっています。
4歳児5歳児の黄色い丸を持っていないとゆりかごに乗れないという遊びと同じです。3歳児でも同じようなことが起こる。となると、いずれ2歳児でも「資格」を中心とした遊びが生まれるかもしれない。
この写真のちょっと前に、雨どいを取り合って喧嘩をしていた2歳児の3人。1時間近くかかり、3人だけで遊べるようになりました。
土台を押さえる、雨どいを持つ、ボールを転がす。役割分担の遊び。素晴らしい。2歳児でもこういうことができるんです。
やはり、子どもの成長にはある程度の時間が必要ですね。子ども同士が向き合って学び合う姿はいつ見ても良いものです。
右の子が「牛乳パックを集めたよ」と話をしていますが、左の子の興味は別のところにある。だから2人が楽しく一緒に遊べる状況にはならない。
興味の違い。ただそれだけで一緒に遊べない。
だから、子どもが集団で遊べるようになるには「興味が一致している」ことが必要になる。イメージと興味の共有。お化け屋敷でも七夕まつりでも、私はこの話をずっとしてきました。お友達と遊ぶには興味が合わないといけない。大人でも仲良くなる人って興味や趣味が一致している人ですよね。
2人で運んでいますが、この後手前の子が嫌がって怒り出します。後ろの子は「一緒に運ぶ」こと自体が遊びになっているけど、手前の子にとっては「ただの移動」なので1人で雨どいを運びたい。
つまり、これも興味の違いです。わかんないですよね。難しいです。子どもの気持ちになってみるって、口で言うほど簡単なことじゃない。
雨どいの取り合いで喧嘩になる2人。手前の子が「こうやって遊びたいんだよ」という雰囲気でボールを転がすことをやったところ、奥の子がすぐに納得して一緒に遊べていました。「ボールを転がす遊びがしたい」という興味が一致したからです。
「仲良く遊ぼうね」と保育士が言っても何の意味も無い。仲良く遊ぶ状況を体験しないとわからないんです。言葉で伝えようとする保育士は、子どもが理解できないから学ばずにまた同じことをする。体験で学ばせるようにするのが良い。
子どもの中には「興味の範囲が狭い子」がいますが、そういう子がお友達と遊べないのは興味が一致しないのが大きな理由です。だから心理と発達の専門家として言わせて貰えば、例えば「電車が好きな子だから電車のおもちゃや動画ばかり用意する」というのはやめた方が良いんです。興味は広がれば広がるほど、誰かと繋がりやすくなる。
飽きてきて牛乳パックで武器を作り、戦いごっこを始める3歳児の男の子たち。
戦いごっこは「手加減」を知る遊び。相手の反応を見て自分の行動を変えなければ楽しく遊べない。例えば仮面ライダーになりきるごっこ遊びをしながら、怪人役の相手を痛めつけたりはしない。現実とファンタジーが混ざり合うという意味のある遊びです。
戦いごっこがしたいとき、子どもは誰かとのつながりを求めています。争いは相手の存在を知るから生まれる。トラブルの本質は「誰かと繋がりたい」という純粋な感情なんです。
実はカラーボールの中に一つだけアンパンマンのボールを入れてあります。それを誰にも取られないように箱に入れたり持ち歩いたりしていた3歳児。さっきから寝ていると思ったら、自分の下に隠していました。
寝ているんじゃなくて「アンパンマンボールを誰にも見つからないようにする遊び」です。七夕まつりでピンクにこだわっていた女の子。当時はピンクが好きだから集めていたわけですが、それは個人の興味による選択です。しかしアンパンマンボールは一つしかないものなので、他の子も欲しがるレアなアイテムだから自分も欲しいという、他者の興味による選択です。
同じようにアイテムにこだわっているように見えて、意味が全然異なります。他者を強く意識するようになったということです。
物の取り合いで手が出る2人。その2人がまたダンボールの取り合いをしていました。その過程で偶然2人で寝っ転がるという展開に。笑いながら怒っている。手を出しそう。
危険を感じて止めに入る保育士を私が制止し、様子を見ます。今の2人ならこの状況を楽しめるのではないかと考えたからです。
そして胎児のようなポーズで2人で見つめ合う。手を握り合い、笑い合う。このシチェーションを面白いと感じているのが「2人」であるという事実に喜びを感じています。これが興味の共有であり、心の交流です。ダンボールをどちらかのものにせず、その中に2人で入った方が楽しい。これも体験。
3歳児女子2人。今度は奥の子がダンボールの中に入る遊びになってしまい、最後まで2人の遊びが交わることはありませんでした。
さっきの2歳児2人は、偶然一緒にダンボールに入ることで面白さを共有しました。3歳児の2人は、言葉でやり取りをしているから、体験を共有していない。例えば「私も入っていい?」と聞いたら「いいよ」と答えて2人でダンボールの中に入ったと思います。変に遠慮したり、批判するから交わらない。
この問題は次回に持ち越しですね。
2人で胎児のように入っていたダンボールに特別な思い入れができてしまい、片付けの時間になっても2人で遊んでいます。3歳児たちが近くに来てじっと見つめていますが「片付けするんだよ」とは言えません。まだ別のクラスという認識というか、自分には関係ないというスタンスです。無関心。そうです。これも興味がないから何も起こらないんです。
あまり広がらないまま第1回の遊びは終了です。
以上、4歳児5歳児と2歳児3歳児の第一回をそれぞれ解説させていただきました。
前回のお化け屋敷プロジェクトと違い、今回は自由遊びなので「目的」がない。だから興味が一致しないし、やるべきことを特にないから「正解」もない。そもそも「ゴール」がない。逆に言えば、それぞれがやりたいことをやるだけでも良い時間になっています。
主体的な保育が流行し、やりたい遊びを子どもが選択できますという園は多い。だけど、それでは「対話」が起きないし「深い学び」になりにくい。
主体的・対話的で深い学び。
それが起こる遊びの環境を作るのが今の日本の保育の目指すところです。
それぞれの第1回なので、まだ物語は動き出していません。ここからどうなっていくのか、長くなりますが最後まで読んでほしいなと思っています。後悔はさせません。うちの子どもたち、すごいんですから。