ついに始まった5歳児のお化け屋敷プロジェクト。開始早々、ギクシャクしてみんなで楽しく作るという雰囲気にはなりませんでした。そんな中、物語が大きく動き出す第4回。子どもたちのぶつかり合いからご覧ください。
♯4
第4回。つなげることを諦め、それぞれがやりたいことをしています。うまくいかない時に別の方向から進めるというのも悪くはない選択肢です。
男の子3人は、かくれんぼのお化けのデザインに盛り上がり、それぞれが同じお化けを描いていきます。面白さは共有しているけど、具体的な行動としてはそれぞれが1人で作る平行遊び。協同的な遊びにはまだなりません。
強い口調で指示を出されていた2人が別の子のダンボールハウスに入り、3人で作り始めました。ここにきてメンバーの入れ替わりが起こっています。指示というか命令通りに作っていても面白くないし、自分で作っている感じがしない。責められない関係性で自分でやりたいようにした方が楽しい。そう思ったのは明白です。当たり前の展開かもしれません。
前回の経験が子どもたちに気付きと変化を与えています。
笑いながら、自発的に屋根を支え、協力して作っていきます。
クラスみんなでお化け屋敷を作るというイメージから、それぞれがダンボールの中にお化け屋敷を作っていくというイメージに変化してしまいました。ますます心が離れていく。
「私たちの真似をしないで!」と新リーダーから文句を言われる元リーダー。
トランプゲームの大富豪における「都落ち」の構図ですね。一位だった大富豪が負けると最下位に転落する。みんなから責めれる立場に転落しました。
「別に真似してないよ・・・」
弱々しくそう言うのが精一杯です。静かになってしまいました。
真似しないでという争いは子どもの世界によくあるものです。良いと思えば無意識に真似てしまうのが子どもですし、関係性が深まると真似るという行動が出てくるのが当然。しかし「真似するな」という雰囲気になると「他者と心を通わせてはいけない」という断絶の雰囲気に変わってしまいます。どんどん心が離れていく。
そんな争いには関わり合いたくない。壁の内側で黒く印刷された部分をガムテープを貼る作業に没頭します。たった1人で。誰とも話さない。
単純作業に没頭する。頭を空っぽにできるから。
男の子たちが自分が描いたお化けを貼る場所を探しています。3人で作っている段ボールハウスに向かい、「これ貼っていい?」と聞いています。
「えー!?なんでよー!・・・まぁいいけど」
なんとか許可をもらったようです。実はこの新リーダーは別に争いたいタイプじゃない。みんなでやりたいと思っています。
一方、責められた2人も作業に没頭することで気持ちを落ち着かせます。何も言わずに自然と協力してドアを作っています。上から切る人と下から切る人。一言も言葉を交わさないけど、協力する。無言の対話。
そこへ、またしても言いがかりを受けてしまう。もう喧嘩が止まりません。
完全に立場が逆転してしまいました。
都落ちチームは、心を落ち着かせるために、赤いペンをダンボールに何度も突き刺す行動に出ています。
包丁を持った呪いの人形のイメージが残っているので、同じ持ち方でペンを持ち、刺していく。
「僕もやろっか?」
「・・・・・うん。」
2人に言葉はいらない。
僕だって、こんな空気の中でいられない。だけど君の悲しみもなんとかしたい。手伝わせてほしい。
わざと箱にしたダンボールの上に座って、ダンボールが潰れて転ぶという遊び。空気感を変えようとするムードメーカーの男の子。
そうなんです。場の空気を変えようと男子が動き出していますね。保育士があえて介入しないことで、男の子たちがなんとかしようと主体的に動くことにつながっています。
ここで誤解されそうなポイントを解説しておきます。保育士が何もしないことが良いわけではないという話です。
まず私が女の子たちの争いに心を痛め、子どもたちと同じ悲しみを共有するのが第一段階。男の子たちがなんとかしてくれるはずだという信頼と確信を持ってじっと待つのが第二段階。子どもは大人の信頼に応えようとするんですよ。言葉に出さなくてもそれは伝わる。
大人が何も考えずに子どもを「見守る」だけではおそらく何も起きません。険悪な状態のまま終わるだけです。
ダンボールの上に座って潰れて笑う遊びから、潰れないベンチを作る遊びになりました。嫌な気持ちのまま壁の中に閉じこもっていた女の子も、ベンチのおかげで外に出てきましたね。
女子が喧嘩みたいになっていて空気が悪いわけですが、それを男子が変えようとするんじゃないかと私は期待していたと先ほど述べました。予想通りというか、私の期待通りの男子チーム。良いですね。
周囲のぶつかり合いに全く干渉せず、黙々と骸骨を作る男の子。1人だけ楽しそう。一見、みんなに興味がないよう見えますが、違います。
1人だけお化け屋敷に向き合っているんですよね。
そんな争いなんかどうでも良いから楽しもうよ。みんなも僕みたいにさ。
そう思ってるような気がします。
この子が集中しているのは、この文字を書くこと。「この夏の思い出は一生消えない」という言葉が、なぜか気になる。
この子にとってしっくりくるのは絵ではなく、言葉。
何に興味を持つかはその子次第。言葉への興味がいずれ勉強への興味へ変化していくんです。
紙をめくると「ろくろっ首」のお化けが出てくるという仕掛け。みんなでお化け屋敷を作っていると男の子が思っているから、女の子たちの大きなダンボールに貼り付ける。先ほど、「まぁ、いいけど」という許可を得ているので、男の子たちがダンボールに貼り付けています。
ちゃんと許可を得ている。そういうルールと契約が成り立っている。
・・・はずだった。この時までは。
「なんで私たちのダンボールに勝手につけているの?」
「そうだよね。こんなのゴミだよね!」
男の子たちが貼った紙をビリビリに破いて床に投げ捨てる女の子2人。
えー!?
いきなりどうしたー!!?
大事件の勃発です!
「なんで僕の作ったのが捨てられているの?」
緊急事態を察知して、みんな集まってきました。
「誰がやったの?」
「○○ちゃんと〇〇ちゃん!」
犯人探しですね。うーん。良くない展開です。
「〇〇君が一生懸命作ったんだよ!なんでそんな酷いことするの?!」
「・・・・・。」
部屋中に大声が響き渡る。本気で怒ってる。
ここの解説をしておきましょう。そうじゃないと紙を破った2人がものすごい悪者になってしまう。
メインで破った子は都落ちチームのリーダーではない子。ここで新リーダーを含め女子たちに気に入られれば自分がそっちに入れてもらえるかもしれないと考えた。共通の敵を作れば仲間になれるんじゃないかと無意識に思ったんでしょう。最底辺から上位のカーストへ上がろうとした。媚を売ったということですね。そして「このダンボールは女子のもので男子が貼るのは間違っている」と本気で思ってしまっているという理解力の問題もある。
一緒に紙を破ったのは旧リーダーに強く命令されていた子の1人。今は新リーダーと一緒にいるので前回のイメージもあり、新リーダーに許可を得なければいけないと思っている。新リーダーが男の子に貼っていいか聞かれた時に「えー!?なんでよー!まぁいいけど」と言っていますが、ダンボールの中にいたこの子には「えー!?なんでよー!」の大声のところしか聞こえていない。「まぁいいけど」は小声だったから聞こえなかった。そこで中での作業が終わって外に出た時にダンボールに貼ってあるのを見て、新リーダーがダメだと判断したものが貼ってあると認識した。だから貼ってある紙を否定する行為に繋がった。
2人は同じ行動をしていますが、それぞれ違った理由があるんですよね。これがわからないと、大人は頭ごなしに2人を叱ることになってしまう。
子どもたちに真の成長を促したいのでもう少し様子を見ることにします。
みんなのトラブルは全く気にせず、自分の作品に没頭する。骸骨の頭が取れるというギミックになっています。直立しなかったので箱に設置しています。
実は大きな意味を持つ行動です。大きなダンボールではなく、小さなダンボールもお化け屋敷として使えるんだよ、という無言のメッセージになっているんです。大きなダンボールの所有権を主張して小集団で争う世界に、違うダンボールを使おうぜ、というメッセージ。世界を広げる提案です。
セロハンテープではなくガムテープでしっかり付け直しています。
簡単には剥がされないように。
つまり、また誰かに剥がされると思っている。仲間を信用していない証拠です。
クラスとして、何も解決していない。
片付けの時間になりました。
さっき破られた子ではなく、別の男の子の描いた絵を女の子たちが次々と踏んでいく。
見えていないという問題ではなく、物を大切にするという心が育っていない。物を大切にするということは持ち主や作った人を大切にするということ。相手を思いやる気持ちが不足していると言わざるを得ない。
このままでは反省もしないし、やられたほうも気持ちが良くないままになる。みんなを集めて、こういうことがあったがどうする?と私が尋ねました。
すぐに破れた紙と踏まれてくしゃくしゃになった紙を伸ばし始める2人。鼓笛でも周囲に気を配っていた2人。このクラスの良心として、みんなを変えていくことができるのか。
文句があっても相手に言えない。睨むか、無かったことにするだけ。向き合うことができない関係性。
何も解決しないまま、この日は終了します。
・・・苦しい。
♯5
第5回。前回の続きとして、破れた紙をどうするかを子どもたちに考えさせていきます。
前回、すっきりしないまま終わらせてあるのはわざとです。給食の時間になってしまったから次回に持ち越したというのもありますが、「もやもやしたまま」耐えるという練習になっています。これを「欲求不満耐性」と言いますが葛藤状態のまま耐える力が生きるためには必要です。安易な解決を図らず、本当の解決まで耐えていく力。
保育士というか大人側が葛藤を抱えたまま耐える力が弱い場合、子どもの教育に影響が出ていきます。理由は簡単です。子どもが「悩んでいる・苦しんでいる」という理解と「乗り越えていけそうだ」という予想。これらはそもそも矛盾しているから早く解決したいと大人が思っていると、成長させるのではなく表面上の解決をしてしまう。成長の機会を逃すことになる。
だけど「苦しんでいる」という子どもの心を無視しすぎてもダメ。本当に教育って難しいなと思います。
このへんの「安心」と「挑戦」のサイクルについては鼓笛の回で解説させてもらっていますので、まだ未読の方はぜひお読みください。
前回直接紙を踏んだり剥がした女の子たちは何もしません。被害者側の男の子たちだけで修復しています。しわしわの紙を持っているのが絵を描いた子です。
実は前回のラストでしわしわの紙を伸ばしたりとか率先して動いていた2人がたまたま今日は休みなのです。今日は誰かのために動ける子がいない。
・・・これはチャンスです!
いつもそういう役をしてきた子たちがいないから、別の誰かがその役をしなくてはいけなくなるはず。そう。優しい行動を獲得するチャンスタイムが他の子達にやってきました。
いつもご飯を作ってくれるお母さんが入院したから、料理したことがないお父さんが料理するみたいな展開です。必要性があれば人は変われる。
そのチャンスが今日です。
「踏まれた絵」を「破られた男の子」が預かり、ダンボールハウスに貼ろうとしています。
「貼っていい?」
「いいよ」
前回と同じパターン。貼っていいか許可を求める。今回は「いいよ」とすぐにOKしています。前回は「えー!なんでよー!」とちょっと照れて否定みたいな言い方をしてしまったから、否定したと思った子が出てしまったので、はっきりと肯定する言い方をしています。
失敗を、成功で塗り替えていく。
破られてしまった絵から無事な部分を切り取り、新しいお化けとして再利用していますね。
これは左の子の知恵です。優しい解決方法。友達の作品は無駄にはしない。
この子の描いた「ろくろっ首」に影響さえて、青いスズランテープで「ろくろっ首」を作っています。どこかで影響しあっているんです。
破った2人に、なぜ自分たちで貼り直すことをしないのかと問い詰める。
やっと自分の気持ちを相手にぶつけることができた。今までは嫌なことをされても黙っていたり笑って誤魔化していた。だけど、本音をちゃんと相手に言えるようになりました。
これにより、言われた方も学ぶ。相手が嫌な思いをしたということを。やってはいけなかったということを。大人に叱られるより、もっと深いところで理解できました。
自分で貼ったり作り直したりしたたけど、直接文句も言ったけど、何か納得がいかない。
ベンチの上で気持ちを落ち着かせます。
相手に感情を出してしまったことに少し落ち込んでいるのかもしれない。心が優しい。
気持ちを立て直し、ろくろっ首をブツブツの穴の上へ貼る。都落ちの女の子たちの嫌な気持ちが作った穴を隠すように、寄り添うように貼っていきます。
ここは嫌な気持ちの溜まり場になっています。
全員集合して、みんなで作っているんだという意識をもう一度確かめる。
今日は女子が何もしていない。このまま終わらせては意味がない。自分の失敗は自分で乗り越えるところまで見届けたい。男の子の変化は見れたけど、まだ女の子たちの変化は見ていない。
誰のダンボールとかではなく、みんなのお化け屋敷。分担して作り始めました。この子たちはダンボールを切ってチケットを作っています。これをお客さんの3歳児と4歳児に渡すわけです。
今まで自分たちの関係性だけを考えていたけど、この場にいないお客さんである3歳児と4歳児の存在を認識している。視野が広がり、みんなで作るイベントなんだというイメージが出てきた証拠です。
それぞれが自分にできることをしていく。ふざける人は誰もいません。
無駄話を誰もしない。変なテンションにもならない。
作業を通して自分自身を見つめ直しているのかもしれません。
そんな時、左の男の子の描いた絵が剥がれていたことに気がつきました。集まる子どもたち。
・・・緊張感が漂います。
前回男の子が貼った紙を剥がしてしまった女の子たちが集まり、コウモリの絵を貼り直そうとしています。あの日の自分たちの失敗を取り戻すかのように。
コウモリといえば、イソップ物語の「鳥と獣とコウモリ」を思い出します。自分に主体性がなく動物と鳥それぞれの仲間だと話して双方にいい顔をしたコウモリが最終的に双方から嫌われたという話ですね。
男の子か女の子か。前リーダーか新リーダーか。そういう争いは違うよねというメッセージかもしれません。
率先して動く子がお休みだったことで他の子が成長するかもしれないチャンスタイム。見事に成功したようです。
クラス全体が良い雰囲気になった瞬間、私が部屋の電気を消しました。お化け屋敷当日のイメージをみんなで共有することで、今の気持ちを強化し、仲間意識を高める狙いです。
成功体験の強化。そして方向付け。保育士による子どもを導く方法とタイミングの工夫です。
今日お休みの男の子の骸骨が倒れていたのを発見し、直す子どもたち。仲間意識はこういうところも変化を生んでいく。この場にいない子だって仲間なんだ。
クラスのみんなという仲間意識が作られていきます。
もう1人お休みの女の子が作っていた大きいダンボールを運ぶ際に千切れてしまったのを見てすぐに集まり、ガムテープで修理を試みる女の子たち。
紙を貼り直すだけじゃなく、誰かが作ったものを大切にし、直そうとするアクションをすぐに行えるようになっています。
前回の最後に自分が破いた男の子のろくろっ首の紙。そこから再利用できる絵を切り抜いた残骸を見つけました。
その紙を拾いました。前と同じように破るのか。捨てるのか。
さぁ。どうする?
「これゴミだよね」と言って破いて捨ててしまったあの日。
今日は本当のゴミを拾うために紙をお皿にして活用する。残骸となった紙に価値を生み出す。これはゴミなんかじゃない。
最後はお化け屋敷を隠すためにパーテーションを運びます。これで3歳児や4歳児から見えなくなる。子どもたちは本番まで内容は見せないようにしたいんです。
「秘密の共有」ですね。「秘密の共有」は仲間意識を強固なものにします。「3歳児4歳児というお客さん」と「作っている5歳児」で分けることで「5歳児クラス」の仲間たちが強く結びつく。そういう効果があります。
以上、第5回までの様子をご覧いただきました。5歳児クラスの初めてのぶつかり合いの回となりました。まだまだお互いにギクシャクしたままで写真からも緊張感がわかるんじゃないかと思います。
人は体験からしか学べない。お友達を傷つけてしまった体験、傷つけられた体験。それをしっかりと意味のある「経験」に変えていくのが教育です。
これらのぶつかり合いの体験が今後にどう影響していくのか。続きをご覧ください。