運動会を経て仲間で支え合いながら目標を達成する喜びを感じ取った5歳児クラス。すぐに新プロジェクトをスタートさせます。今回のお化け屋敷プロジェクト、歴代最長シリーズとなってしまいました。ちょっと長いですが、ここまで丁寧に遊びと子どもの成長をご紹介している媒体もないと思いますので、ぜひお付き合いください。

 

それでは、5歳児クラスのお化け屋敷プロジェクト、スタートです!

 

♯1

活動開始の時間だけど始められません

運動会の閉会式でクラス全員で行った「閉会の言葉」を何度も何度も繰り返しています。私の姿を見て鼓笛と運動会を思い出し、自然と心が一つになっていく。この子達にとって運動会がどれだけ特別なものだったのかがわかります。

 

もちろん参加しない子もいますが、クラスの雰囲気としてはまとまりを感じますね。

 

 

子ども会議は難しい

子どもの興味関心に合わせて何をするか決めて進めていくのがプロジェクト保育です。まずは子どもたちに何をやりたいか聞いていきます。キリがないほどたくさんの候補が出ていきますが、これは幼児ならではの現象です。発言する前に適切かどうかを吟味できていないから、思いついたものを全部しゃべってしまう。

 

子ども会議というのは、ファシリテーターとなる保育士の技術が大きな意味を持ちます。いくら面白いお笑い芸人さんたちを集めてもMCが下手だったら番組が回りません。それと同じです。

 

幼児が小学生と違うのは、話し合いだけでは飽きてしまうということです。飽きて動き出していますね。参加しないで踊ったり走り回る子たちが出てきました。

 

このプロジェクトは園長の私がメインで行っていません。私が行えば七夕まつりや鼓笛の時のようにまとまっていくのはわかっていますが、それだと面白くない。今回は担任が初めてプロジェクト保育を行っているため、うまくいかない場面が出てきます。

 

だけど、うまくいかないから面白いんです!

 

最短距離で目的地まで辿り着くより、道に迷ったり回り道をしながら辿り着く方が、いろんなドラマが生まれるはず。私はそこに価値があると思うんです。

 

これを読んでいるみなさんも、5歳児たちの「回り道」をお楽しみください。

 

 

じゃんけんでしか決められないのはレベルが低い証拠

たくさん意見が出すぎたので、決められずにじゃんけんをすることになりました。しかし、ちゃんと全員が参加しているかを確認しないで子どもたちが進めているため、全員納得ではない決め方になってしまいました。

 

じゃんけんで決めるには人数が多すぎて、自分が負けたのか勝ったのかを理解するのも大変です。一部の子が誰が勝ったかを瞬時に判断し、勝者を決めていきます。

 

全員が何を出しているかを一瞬で判断して勝った人を選ぶ。瞬間的な視覚的認知が必要ですがその能力には個人差があるので「自分は負けたんだなと認識する前に、誰かにあなたは負けたんだよと言われる人」が出てくる。

 

 

悲しい気持ちを楽しい気持ちに変えていく力

自分が負けたと理解できないまま勝負から外されたことに不満をもつ左奥の子。そこへ男の子たちが集まって励まし、笑わせていきます。鼓笛でも見られた、楽しい雰囲気で解決していくやり方です。

 

このクラスの子達の持ち味というか、良いところですね。ユーモアで乗り越えていく力。

 

今までは、この力で乗り越えてきた。

 

だけど今回のお化け屋敷プロジェクトでは、ユーモアでは乗り越えられない壁にぶち当たっていきます。子どもたちが、ユーモア以外の力でどうやって乗り越えていくのかがお化け屋敷プロジェクトの一つの大きなテーマになっています。

 

楽しいだけじゃ、世界は変えていけないのです。

 

 

カーテンというよりカオナシ

カーテンにくるまっている女の子は、みんながちゃんとやらないこと、自分の話を聞いてくれないことに不満を持ち、じゃんけんにも参加していませんでした。そこへ、女の子たちが集まって笑わせていきます。こちらも同じですね。楽しくする解決方法です。

 

笑顔の連鎖が起きていく。

 

 

こういうさりげない優しさが素敵ですよね

じゃんけんで決まった遊びを実際にやってみようということになっても動こうとしない子を迎えにいく心優しき男の子。納得はいかないけど、友達が来てくれたのなら行ってみよう。そういう気持ちになっています。

 

 

運ぶ遊びは不発

カーテンにくるまっていた女の子も動かないので、みんなで笑いながら運んでいこうとしています。しかし、女の子は拒否。

 

「やめて!」

 

静まり返る子どもたち。仕方なくみんなは諦めて自分たちで遊びを開始することに。

 

鼓笛の時にも運ぶ遊びで盛り上がった回がありましたが、あれはみんなの心が一つになっていたから起きた現象です。「練習で上手くできた」という喜びを共有していたから、行動も気持ちも自然と一つになっていた。

 

しかし、今日は話し合いのやり方や決め方に納得がいってない。気持ちがバラバラだから、運ぶ遊びが楽しくない。強制的に運ばれている感じになるので拒否をする。女の子からすれば当然です。

 

だけど、他のみんなは「なぜ今回失敗したのか」がわからない。今まで成功していたパターンが通用しない。これが「乗り越えるべき壁」です。

 

この子たちが次のステージへ行くんだなという予感。成長のためのトラブルが起きる。

 

 

綺麗にふたつに分かれていますね

担任は2つの遊びを試しにやってみようという方向づけをしました。手前が泥棒ごっこ。奥が射的です。2つのチームに分けてしまったことで、ますますクラスがバラバラになってしまいました。

 

保育士の判断や環境によって、子どもたちが仲良くなるかどうかも集団として育っていくかどうかも、個人の成長も大きく変わります。例えば、気持ちがバラバラになっている状況であれば、私なら一つの遊びを設定する。そうすれば同じ遊びをすることで楽しさを共有し、心がつながっていくからです。でも、普通の保育士はそんなこと考えて保育をしてませんからね。私のやり方はどこの本にも載ってない。

 

保育士が成長すれば子どもが成長する。当たり前だけど、重要な事実です。このプロジェクトでは、担任の保育士の成長が子どもにどう影響を与えていくかも語っていくことになりそうです。

 

 

気持ちってそんな簡単に変わらないよね

遊びがスタートしても、気持ちが乗らない2人。みんな自分たちの遊びを展開していて、こちらには見向きもしません。それはそうです。先ほど誘ったり運んだりしたけどダメだったので、みんなには2人を復活させる方法が他に思いつかない。

 

ここは一旦距離を取るしかない。

 

 

寄り添うってこういうことさ

そこへ青いビブスをつけた泥棒チームの女の子がやってきて、隣に座って笑顔を見せる「だけ」という行動に出ました。言葉もかけません。

 

笑い合う2人。

 

何かをするんじゃなく、そばにいる「だけ」。何かをして欲しいわけじゃないし、言葉が欲しいわけじゃない。

 

そばにいてくれる友達がいる。その事実が大事なんです。

 

 

 

テントは射的の休憩室だそうです

そして遊びに参加できるようになりました。まだみんなと素直に笑い合うことはできないので、こういうテントのお家みたいに、壁に囲まれている空間があると安心できる。気持ちと遊びがピッタリ揃うとこういう展開になることがあります。

 

テントがなければ復活できなかったかもしれません。

 

 

ぬいぐるみを盗んで警察に追いかけられています

外れていた男の子の方もテントのお家に入りました。これで全員が遊びに入れたことになります。遊びに入っても、柔らかいぬいぐるみの奪い合いのように、アグレッシブな遊びしか参加できません。ただ、今のこの子にはこの遊びが必要なのです。

 

泥棒と警察という役割があるので、擬似的な対立の構図の遊びになった。自分が「泥棒」という役割を演じ、相手が「警察」として追いかけてくる。つまり「泥棒」と「警察」という形で向き合うことができた。ごっこ遊びの良さがここにあります。役割がないただの自由遊びなら、誰かと関わり合うこともできずに最後まで1人だった可能性もあります。

 

保育の環境設定ってすごく大事なんです。

 

 

二つの遊びは最後は混じり合う

射的チームは廃材とカラーボールで射的場を作り、2つのチームを超えて遊びに来るという展開を迎えてこの日は終了。最後にはクラス全体である程度まとまりのある遊びを行うことができました。

 

プロジェクト保育は毎回、私と保育士で振り返りを行っています。毎回100から500枚くらい写真を撮っていて、それを見ながら何がどうなってこうなったのかを私が保育士に解説する。そして次どうすれば良いかを話し合う。

 

初回の反省を活かし、次に臨みます。

 

 

♯2

子どもの主体性だけでは正しい方向へは進められないのです

第2回。前回の反省を活かし、何をしたいのかをもう一回整理していきます。何が本当にやりたいのか、何が適切なのかをみんなで吟味していきます。

 

今回のプロジェクトは「秋の企画として、3歳児4歳児と一緒に5歳児が遊ぶ」という枠組みです。これまで5歳児は毎年焼き芋を行う日の午前中に保育士が考えた企画を行っていました。去年がマリオを題材にしたゲーム企画、その前の年はコナンをテーマにした犯人探しのオリエンテーリング企画でした。今年はそういう企画を5歳児の子どもたちだけで作り上げてみようと思っているんです。

 

 

保育士が作る遊びから、子どもが作り上げる遊びへ。今の子どもたちならできるはず。

 

 

目的と気持ちの共有が大切

話し合いの結果、全員一致で「お化け屋敷」をやることに決まりました。子どもの成長には何よりも意欲が大切です。意欲がない活動をしていてもみんなの心が一つになることはありません。

 

お化け屋敷プロジェクト。これは私が園長になった時にいつかやりたいと思っていた企画です。10年かけて、ついに実現しました。とても楽しみです。子どもの意欲もそうだけど、保育士側の意欲もとても大切なんですよね。子どもの活動を見守る大人が楽しそうにしていれば、子どもも楽しくなっていきます。その空間にいる人全員の雰囲気が、相互に影響を与えるんです。

 

 

このダンボールは5歳児の保護者が以前にくれたものです(感謝)

連続する活動をする場合、最初に何をするかでその後の遊びの方向性が大きく変わってしまいます。この大きなダンボールを初回に子どもたちに見せてしまったことで、遊びの展開が大きく変わることになりました。これを見ただけで、ある程度この後どうなるか予想できるんです。皆さんは分かりますか?

 

 

それぞれがこだわりを持って分かれて遊ぶ

大きなダンボールが複数あるということは、メンバーが分散されるということです。つまり、Aチーム、Bチーム、Cチームみたいに明確にダンボールごとに分かれて遊ぶことになってしまう。自分たちの作品という意味が強くなり、ダンボールごとにメンバーが固定化される可能性が高い。つまり、クラス全員でまとまりを持って遊ぶ展開にはほぼならないことが確定する!

 

小集団になってしまうということですね。そしてダンボールを使わない子は個人で遊ぶことになってしまう。

 

展開を予想できなければ保育の環境を適切に設定できないんです。「保育は誰でもできる」と言ってる人もいますが、そんなわけないです。非常に難しい。小学校は教科書があるけど、保育園には教科書はない。保育士の力量が大きく影響する。

 

 

男の子が描いた袋のお化けが採用される

ここは最大派閥4人。「一緒に作ろう!」と声をかける子がいて、集団が作られていきました。この時期このクラスは「〇〇ちゃん今日遊ぼう」などと遊びの予約を取り合う行動が多く見られていました。七夕まつりや運動会で仲間意識が高まったことで、逆に「一緒に遊んでいる子」と「遊びに入っていない子」を明確に分ける行動に出やすくなってしまっています。子どもの発達段階としては当然の流れです。

 

だけどこれは「仲間外れ」の構図に近いんですね。誰かと仲良くなるということは別の子と距離を置くということになる。

 

 

だから、このお化け屋敷プロジェクトは、間違いなく荒れる。ぶつかり合うことは間違いない。そこからどう立ち直っていくかになるはず。

 

 

 

ハロウィンが近いからそういう作品になりやすい

こちらは2人組です。ダンボールそのものより、まずは装飾品を作ろうという細部に目がいくタイプの2人が偶然近くにいたことで一緒のダンボールを共有することになりました。

 

さっきの4人組は「誰と遊ぶか」に焦点付けされており、この2人は「何を作るか」で繋がっています。人間関係重視か、個人の制作重視か。実は同じように仲間を作っていても構成理由がまるで異なるんですね。

 

 

視野の問題は大きい

こちらは1人で大きなダンボールを独占しています。自分のやりたいイメージが明確にあり、それを大きなダンボールに表現している。

 

さっきの2人組は細部にこだわる制作重視タイプだったのでダンボールを共有することができますが、この子は1人制作の延長線で自分のでやりたいことをやるという気持ちで作っている。制作の対象がたまたま大きなダンボールになっているから、結果として独り占めしている。だから1人遊びなってしまう。

 

それはなぜか。視野が狭いからです。今目の前のダンボールしか見えていない。他の人が何をやっているかに目が向いていない。逆に言えば、ちゃんと周囲を見ている時は適切な判断を下せる力を持っている子です。鼓笛でも他の子と楽器を代わるなど周囲のために動けていたのですから。

 

 

集中力も良し悪しということです

男の子たちはダンボールに興味がなく、自分たちが一番作りたいものをそれぞれが作っています。お面だったり、袋のお化けだったり。

 

個人制作への興味がそもそも強い子達です。時間帯によっては廃材工作を自由に行える園なので物に取り組む集中力がある。集中力があるから逆に周囲に目が向かない。

 

だから集団としてまとまっていかない。

 

 

予想通りの展開

時間が来て片付けの時間になりました。自分たちが作っているダンボールは丁寧に扱うのに、他の子が作っていたダンボールは雑に扱う。上に乗って飛び跳ねたりしたことで、下の方が折れてしまっていますね。

 

右の子が、自分たちのダンボールを雑に扱われて怒っています。誰も他人のものを大切にしない。それが課題になりそうな予感がある展開です。

 

 

 

♯3

子どもの成長に絵本は欠かせません

第3回。前回、個人やチームに分かれてしまっていたので、再度イメージの共有を狙います。お化けの出てくる絵本を読み聞かせるところから活動をスタートします。

 

 

幼児に見せるには結構リアルな写真だなぁ

その後にいろんなお化け屋敷の写真や画像をみんなで見てみます。イメージの共有とは何かというと「体験の共有」なんです。体験したことがないものはイメージとして掴みにくい。特に子どもなら尚更です。みんなで写真を見たという体験。同じ写真を見たという体験の共有が、後々効いてくるんです。

 

 

呪いの人形

面白そうなものに自然と集まってくる。包丁を持った人形の写真ですね。みんなの中で強烈に同じイメージが刻み込まれます。

 

 

ダンボールを繋げることは心を繋げるということ

イメージの共有の作戦としてもう一つ、今回は「つなげる」という言葉を保育士が使用しています。そうすることで、それぞれのダンボールをつなげようという気持ちにみんなが自然と変化していくからです。大人の使う言葉の一つ一つが環境を変化させ、子どもに影響を与えていくのです。

 

大人の存在全てが子どもへのサインとなります。言葉、表情、視線、態度、価値観、熱意。良い保育士とは「子どもを動かす人」ではなく「自分自身を変えることで、結果として子どもを変えていく人」なんです。あまり知られていないけど。

 

「つなげる」というところに注目すれば、自分が作ったものだけでなく他の子が作ったものにも目を向けるようになる。視野を広く持てるようになるので、積極的に人と関わろうとすることができます。前回「制作に意識が向いていた子たち」はすんなりとダンボールを繋げる作業に取り掛かれています。

 

一方、「誰と作るかに重きを置いていた子」は、他の子のダンボールと繋げることに抵抗を感じます。中央で2人の女の子がぶつかり合いました。

 

「繋げるんだよ?」(ダンボールに入っている子)

 

「えー、でも・・・」(ガムテープを持っている子)

 

つまり、興味の違いです。これがすれ違いの元になる。

 

 

左の男の子は何もしていない(興味を感じていない)

素直になれず、みんながつなげていくところから離れて1人で作り始めました。ダンボールを切ってドアを作っていますね。つまり、出入り口を作っているので、他の子のことを意識はしています。つなげる気はあるけど、素直にみんなに向き合えない。

 

 

押さえる人、貼る人、支える人

一方、他の子たちは協力しながらガムテープでダンボールをつなげていきます。作りたいものを作るのではなく、今あるものをつなげるという目的を共有できれば、自然と協力する力をこの子たちは身に付けているからです。

 

ガムテープの数は1人1個にはしていません。少し不足するくらいの方が貸し借りのやり取りが生まれるからです。1人1個のガムテープを用意してしまうと、それぞれがバラバラに好き勝手に動いて貼ってしまうので、協力の雰囲気になりません。平行遊びになってしまう。こういうところも環境設定の工夫の一つです。

 

 

ドアを切るのも協力している

こちらも「つなげる」のではなくダンボールを切ってドアを作っている。前回4人組だったうちの2人です。

 

こっちのドアと、向こうで1人で切っているドアがあれば、お化け屋敷の入口と出口になるはず。無意識の世界で、前回一緒に作っていた3人はつながっています。

 

 

動き出す人間関係

しかし、1人で作っている子が気になり、女の子たちがお引越しを始めました。せっかくつなげていた部分を外して運んでいく。女子あるあるですね。やることが正しいかどうかではなく、相手との関係の維持を優先して行動してしまう。

 

自分からつなげることを拒否した子のために全体が歩み寄る。一見すると良い行動のように思えますが、そうではありません。ちゃんとやっていた人の反感を買うからです。自分たちがつなげた部分を外してまで、協力していない子のところに持っていく必要があるはずがない。当然の思考です。

 

子どもなので、全体的に考えられないんですね。誰かのことが気になったら行動に移す。その結果、嫌な思いをする子が出てきてしまうことを予測できない。

 

1人で倒れそうな壁を支える男の子がいますね。この子は多くを語らないけど全体を見ている。常にバランスをとるように動いています。かっこいい。

 

 

複雑すぎて幼児には理解しにくい構造のダンボールハウス

みんなは歩み寄ったのに、1人で作っていた女の子はみんなに指示を出し始めます。口調が強く、みんなが命令されているような雰囲気に。嫌な雰囲気が流れます。逆に指示の通りに動くことで作業スピードは上がり高度な作品になっていくけど、効率重視を目指していくとそれはもう遊びじゃなくて作業です。みんなそんなことをしたいわけじゃない。

 

なぜ強い口調になったのか。30分以上みんなが来てくれなかったことを拗ねているからです。今さら機嫌を伺うように集まってきたみんなにも納得がいっていない。みんなが来てくれたからこそ甘えが出て怒っているんですね。

 

複雑な構造になっていったため、何人かがちゃんと要所要所を押さえないと崩れてしまう状況に。指示出しの子のイライラもヒートアップします。

 

 

みんなちゃんとやろうよ

あまりにも強く言われるので嫌になって離れてふざけ出す子も出てきました。下から段ボールに潜り込んで遊んでいる。それをまた強く咎める指示出しの子。

 

それを元いた場所から眺める女の子。

 

みんなでつなげたものを破壊してまで向こうに引っ越したのに、結局ちゃんと繋げられていないじゃん。怒ったりふざけたり。なんなの?

 

そう考えているのかもしれません。

 

 

嫌な雰囲気って伝染するんですよね

「〇〇ちゃんが作りたいっていうから、うちがやってあげてたんじゃん。やらないの?」ダンボールの中から尋ねます。

 

「う、うん。やらない」

 

「もういいよ!」

 

こっちもギクシャクしてきました。「やらない」と言った子は、指示出しをされている状況から離れたら強く言われるので、元いた場所に戻ることができない。

 

 

そしてそれを見つめる指示出しをしていた子。全体的に空気が悪くなってきていることには自分でも気付いている。だけど、どうしていいかわからない。

 

 

鎖国

大きなダンボールをメインで使う場合に小集団になって対立が起こる可能性が高いと言いましたが、もう一つ問題があります。それは、他の子が何をしているか「見えない」ということです。この子はずっと初期位置から動いていません。自分の制作に集中していて、私が見ている限り45分くらい1人で作っていました。壁に囲まれているがゆえに、外界の状況がわからないので、他の子との交流がなくなってしまっています。

 

刺激がない分、自分の作業に集中できてしまう。予備校の自習室みたいなものですね。個人遊びになってしまう。

 

 

制作は立体物へ

そこに、元々みんなのためにつなげたり壁を支えたりしていた2人が合流し、3人で何かを作り始めました。

 

「これね、階段なの」と言っていました。

 

つなげることを諦め、作りたいものを作り始めたのかな?と思いましたが、実はそうではありません。階段、つまり、壁の外を見るための踏み台を作っているのです。このクラスは、誰かがもっと全体を見る必要がある。それが無意識に階段を作る動きに繋がっている。

 

周囲に流されない3人。マイペースといえばマイペース。だけど間違った方向にも流されない。ギクシャクの外にいるこの3人がクラスを変えていくのでしょうか。

 

 

はい、第1回から3回までを解説していきました。お化け屋敷プロジェクトは全12回。ちょうどアニメやドラマの1クール分くらいの量ですね。物語が動き出す前の導入説明回になっているのがここまでです。

 

お互いに遠慮して本音が言えず、命令する・されるの関係、喧嘩、関係の断絶と鎖国、まさに私が予想した通りの展開になっています。大きなダンボールという環境一つでこんなことになるんですね。実に面白い。

 

さて、これから子どもたちの対立は激しさを増していきます。読んでいて途中苦しくなるかもしれません。しかし、ご安心ください。これまでと同じように当園のプロジェクト保育は、必ず子どもたちが関わり合って成長し、乗り越えていくのですから。