仲が良いがゆえにお互いに遠慮して個人が輝かない5歳児の子どもたち。七夕吹き流し作りを通して、この子たちに足りないのは自分の限界を超えていく個人での「挑戦」の環境であることが分かりました。それを踏まえて園長自ら運動会に向けて動き出します。
鼓笛プロジェクトでやるつもりでしたが終わってみれば「運動会全て」が子どもをたちを成長させてくれる場となっていました。今回は「運動会プロジェクト」として、少し引いた視点でダイジェストでまとめてみましたのでご覧ください。

ふざけとは何か?
鼓笛の練習初日。まずはリズム遊びから。子どもたちはタンバリンを叩く気が全くなく、タンバリンを頭につけたり、ファッションショーが始まりました。
良い感じです。これで良いんですよ、これで。
大人は「ふざけている」と評価して「ちゃんとやりなさい」という対応をするのが一般的だと思います。しかし、この子達はふざけてはいないんです。「真面目にバカなことをしている」だけです。つまり、遊んでいるんですね。
遊びは教育になる。ふざけは教育になりません。この違いの見極めが難しい。遊びは自分自身で制御可能で、ふざけは制御不能です。簡単な極め方法はこれですが、遊びは主体的に行うもので、ふざけは流されている、という解釈でも良いと思います。

思いつきという面白そうな誘惑
指揮者の指揮棒回しの体験をしてもらおうと思ったんですが、すぐに飽きてしまって棒を伸ばして天井に届くかどうかの遊びになってしまいました。
1人がやり出すとみんなやる。これがこのクラスの特徴の一つです。誰かが思いつきで言ったり、やったりする。それがみんなに伝染していく。よく見られる現象です。それが遊びなら良いんですが、思いつきで適当なことを言ったりやったりする子がいるとそれがふざけとなって伝染して全員で間違った方向に向かっていくことがある。
「仲が良い」とされる集団に起こり得る問題点は、間違った方向へ向かった時に誰も修正できないこと。全員で暴走するだけになる。
この子達を正しい方向へ導く存在が必要です。

担任による指導は入る
担任によるパラバルーンも練習が始まりました。こんな感じで保育士主導の環境であればちゃんとやるけど、大人の指示待ちになり固くなる。自分から考えず、動かない。だけどふざけることもない。
導く大人がいると、今度は何も考えない人になってしまう。両極端です。
5歳児の運動会は園長の鼓笛と担任のパラバルーンの2つを行うことが例年続いています。この2つを組み合わせて、この集団の課題をどうにかできないか、というのが今回の活動のねらいです。
保育士主導ならちゃんとできるけど、子どもの主体性に任せるとふざけに流されて学びにならない。この子達の課題は明白です。

子どもたちのメッセージを受け取る
子どもたちの興味関心は、本物の楽器そのものにある。タンバリンや棒に興味はないんです。だからちゃんとやらなかった。これは子どもたちのメッセージだったんです。
「本物に早く触れたい!」
そういうメッセージ。子どもの行動の意味を考えれば、どういう環境を用意すれば良いかが見えてくる。
メッセージを汲み取り、例年より早く楽器を触る機会を作りました。全部の楽器を体験します。時間が来たら右に一個ずれて次の楽器を叩く。ローテーションをしていく。実際に触れてみると楽器の印象も変わる。体験してから選ぶのが良いのです。
とにかく子どもたちのメッセージをこちらが受け取れるかが大事です。無理にこちらの計画や狙いを押し付けてはいけない。大人の指示に従うだけの子どもになり、何も考えなくなってしまう。子どもを変えたい時に「何を言おうか」と思うのが大人ですが子供変えたい時は何を受け取ろうか、そう考えた方が良い。こういう視点がないと、どうしても子どもをコントロールするような保育になってしまいます。
あくまで主役は子どもたちで、そのお手伝いをしているのが私たち保育士です。だから子どもたちの始めた「物語」に私たちがついていくようにします。
保育士が行事の指導をしているのに子ども主体ってどういうこと?と思う人も多いかと思いますが、最後まで読んでもらえると私の言いたいことがわかると思います。私たち保育士も子どもを取り巻く環境の一部にすぎず、あくまでも子どもが自分の物語を生きるためのお手伝いでしかないのが保育士なのです。

ここが僕らの出発点
これまた例年より早く楽器決めを行うことになりました。
写真に写っているのは「すでに自分がやりたい楽器をゲットした子達」です。反対側に「やりたい楽器が被ってしまった子達」がいますが写真には写っていません。自分は決まったと思っている子どもたちは、他の子が揉めていてもみんな興味がありません。あくびをしている子もいますし、つまらなそうに時間が過ぎるのを待つだけの子どもたち。
揉めたくない。興味がない。そんな雰囲気を感じます。
他人事。
自分さえ良ければ良い。一見、仲が良いだけに本当の姿というのは残酷に映ります。これが今の子どもたちの本当の姿。楽しい時は一緒にいるけど、嫌な時は切り捨てる。
ここが、この子達の出発点・・・!

嫌な気持ちを明日へ持っていく
楽器も決まり、いよいよ練習が開始されます。
私は子どもたちだけで何の楽器にするかは決めてもらいたいので介入しません。話し合いが苦手な子どもたちは、楽器が決まるまでに1時間かかりました。しかも、どちらかが遠慮するという形での決着。他の子達は知らんぷりだし、あまり良い雰囲気で決まったわけではありません。
だけど、この「嫌な気持ちのまま進む」という体験が大事になる。いつも楽しい毎日で生きていくと、ストレスに弱い人間になってしまうからです。
すべて大人が解決してあげると、自分で耐える力も、解決する力もつかなくなる。お友達に意地悪されたとか、仲間はずれにされたとか、悪口言われたとか、そういう体験は、乗り越えた時にその子の財産になる。
大切なのは嫌な気持ちになっていることを大人が気づいていて、しっかりと見守り、子どもだけで解決できない時ややりすぎてしまっている時が来たら介入できること。
鼓笛は嫌な気持ちのままスタートする。これが後で効いてくる。嫌なことも楽しいで塗り替えることができるという体験を、これから子どもたちは鼓笛の練習を通して理解していくことになるのですから。

これも個人の挑戦の一つ
太鼓を肩にかけることができなくて泣く。自分で頑張るとか、やってみるという体験がないと、誰かにやってもらわないと解決できなくなってしまう。最終的には泣くことでの意思表示になる。泣けば大人が解決してくれる。そうなってしまっては赤ちゃん返りです。子どもたちには自分で問題を解決できるようになってほしい。
私も幼児期によく泣いていたそうです。母親が言ってました。それが今では問題解決の鬼みたいになってますからね。経験で人は変われます。
また、ここでは誰も助けていないというのもポイントです。冷たいとか他人事とか、そういうことではありません。「それくらい自分でやりなよ」という周囲の子たちからの冷ややかなメッセージです。なんでも助けてしまってはダメだということをこの子たちも分かり始めているのかもしれません。
本当の優しさとは、助けることじゃないし、声をかけることじゃないのです。

緊張と解放のサイクル
練習終わりに走り回る子どもたち。
緊張と解放。両方が必要なのでしょう。終わった後に走ることで心と身体のバランスを取っています。これも自分たちで考えた解決策です。保育士の指示ではありません。自分で決定していく、これが大事です。

夜明けの時
パラバルーンの曲が「最高到達点」であることを話す担任の保育士。発表しても、なんの反応もありません。保育士が主導の時は借りてきた猫のように静かなのです。
曲は子どもの興味関心、歌詞、教育的効果、踊りやすいかどうか等を総合的に判断して担任と園長で決めています。なんでも子どもが決めれば良いというわけじゃない。
実は直前まで違う曲で行こうとしていたのですが、鼓笛とパラバルーンの練習の様子を担任と園長で話し合っていると、子どもの新しい状態像が見えてきて別の曲の方が良いだろうという判断になったのです。
今日は無反応でもやっているうちに大好きな曲になっていく。それが私には見えています。それもまた、子どもの興味関心に合わせた曲選びです。今興味があるかではなく、運動会当日までに興味を持てるものかどうかが大事なのです。数ヶ月後の姿を見据えて環境を整えていきます。
ここから最高到達点まで一気に駆け抜けていく。

わざわざタイマーをセットして自撮りする私の滑稽な姿をご覧ください
一方、鼓笛の方の曲は「かわいいだけじゃだめですか?」に七夕あたりで決めていました。
キャッチーな曲調が子どもの意欲を引き出すこと、歌詞の意味、そして何より一見ふざけているように見えて真面目に努力しているアイドルの曲というところが「真面目に遊ぶ」今年の5歳児と被ります。
かわいいだけじゃだめですか?と問いかけながら、実は可愛いだけじゃないという歌詞ですから、この子達の目指す姿にピッタリです。
可愛いだけじゃないところを当日、保護者の皆さんに感じてもらいたい。当日をイメージして構成を考えていきます。前からこのブログで言ってますが、私は音楽的には全くの素人です。ですが、この鼓笛を通して子どもを成長させることについては誰にも負けない自信があります。
今回のシリーズでは鼓笛の構成に仕掛けられた私の策の一部をネタバラシしながら紹介していこうと思います。最後までお付き合いください。

基本を一列とする
今回の構成のポイントの一つは個人での挑戦です。前回の七夕吹き流しプロジェクトの時に主役になれない様子を見て気が付いた視点ですね。
他人に影響されずに個人でやれるようになるため、そして前方のカメラ席の保護者の方に直接向き合うために、今回は一列で演奏する時間を増やしました。
二列にすると前方の人に隠れてプレッシャーが半減するし、前の人を見て動くことができてしまう。だから、あえて一列にする。1人で行うというプレッシャーをわざと与える配置です。
もう一つ、一列にすると良いことがあります。保護者の方が我が子を見やすいということです。常に保護者のことも考えながら保育をしています。もちろん子どもが第一ですけどね。

ソロパート中心の構成
構成のポイント2つ目は、楽器ごとにバラバラに動く構成にしたことです。昨年度までソロパートは一部分だけにしていたのですが、今回はソロパートだらけにしてある。アイドルのパート構成もそうなっていますよね。AメロやBメロでソロパートをたくさん作ってサビでみんな一緒になる。そういうイメージにしています。
しかも、音を聞かないと叩く場所がわからない箇所、急にみんなで叩く箇所を散りばめてあります。自分の番が終わっても気が抜けない仕掛けになってるんです。
そうです。難易度を上げています。今までの鼓笛で一番難しいのです。今年度のテーマは「挑戦」ですから。

にゃーにゃ、にゃにゃにゃにゃーにゃにゃーにゃーにゃ
練習終わりの挨拶。なぜか縦一列でやることになり、猫語で挨拶をすることで定着しました。子どもたちからの提案というか流れでそうなりました。
遊び心は大切です。私が教えている雰囲気にならないほうが良い。あくまでもこれは練習ではなく鼓笛遊びなんだ、終わり方がこれになれば、そういう雰囲気になる。
私が教えているから保育士主導だろうという単純な話ではないんです。あくまでも私は指導者を演じていて、子どもたちは演奏家を演じている。これは壮大なごっこ遊びなんです。お互いに了解の上で進む遊びです。ある意味では子どもが私を引っ張っている。
私は教えている気持ちは一切ないんです。私は真面目にこの子達と遊んでいるだけです。だから本番までに間に合うかなとか、そういうプレッシャーを私は一切感じていません。楽しいだけの毎日です。

高校生のクラスTシャツみたいなノリ
パラバルーンの衣装を自分たちで作ります。バンダナに自分の名前を書いていく。ちゃんと全員の名前があるかを自分たちで確認しています。
字を書く練習にもなってますね。あと半年で小学生ですから。

腕のバンダナは仲間の印
全員の名前の書かれた紫のバンダナを手首に結びます。これが仲間の印。子どもたちのテンションも上がっています。
衣装も手作り。子どもが自分で作り上げる運動会です。

朝顔のリレー
バンダナでも使用している紫は5歳児クラスのクラスカラー。ちょうどこの時期、子どもたちが育てていた朝顔が園庭で咲いていました。
5歳児クラスの子どもが朝顔を育て、その種を採取し、翌年の次の5歳児がその種を植えて育てる。
歴代の年長の想いがリレーしている朝顔が、今年も園庭に咲きました。

こういうのは得意なクラス
今年は運動会の会場で使用する入退場門を5歳児クラスが手作りすることにしました。デザインから形から、全部を子どもたちで考えて作っていきます。
子どもたちが欲しいと言ってきたものを担任が用意します。
青と水色で構成された門は一体何をイメージしているのでしょう。

個人と集団のバランス
お誕生日会の司会を今年は5歳児クラスの子どもが1人ずつ担当しています。そしてこの月の出し物は5歳児全員で踊りたいというので、クラス全員でみんなに披露しています。
個人での挑戦と、クラス集団としての一体感。それぞれを同時に経験しながら、少しずつ月日は流れていきます。

もうすぐ小学生
保育園の近くにある小学校の教室を借りて、お勉強ごっこをしています。
少しずつ卒園を意識する。もうすぐ小学生になる。そして全員が同じ小学校に行くわけじゃない。このメンバーで一緒にいられるのも残り半年。
だからこそ、今を大切にしたい。そんな気持ちになっているのかもしれません。別れを意識することで、逆に結束が強まっていく。

難しいから挑戦する
園庭にはない登り棒。小学校の校庭で、その大きさを体験する。
「全然登れないよー」
今は登れなくて良いんです。挑戦には「ちょうど良い挑戦」がある。鼓笛もパラバルーンも、今の君たちを伸ばすための工夫がたくさん入っている。
運動会が終わる時、君たちは必ず見違えるように大きくなる。私たちはそういう環境を用意して、君たちが乗り越えるのを信じているのです。
運動会本番まで、残り一ヶ月です。






