コロナ以降行っていなかったバスでの遠足。今回は数年ぶりに5歳児のバス遠足を復活させ、日常の活動もプロジェクト化したシリーズとなります。遠足が子どもたちにもたらすものは何なのか。今回は舞台裏の様子を含めたダイジェストで流れを追っていきます。

 

♯0

海への憧れ

今の5歳児クラスの子どもたちが4歳児クラスの時から、砂遊びに夢中になっていました。冬だというのに水を使い、海を表現して遊んでいます。

 

埼玉県は海なし県なので、海への憧れがあるんですよね。海が身近な存在ではない子どもたちにとって、海というのはほとんどファンタジーの世界なんです。

 

 

♯1〜3

何がブームになるかは予測できません

5歳児クラスに進級してからも砂場での海をモチーフにした遊びは続きます。海を作って魚を浮かべたり、雨が降って水たまりができたら海に見立てて近くに海のレストランを作ったり。何で遊んでいても海が出てくる。

 

子どもたちが海をモチーフにした遊びをしているときにとても輝いているため、担任から園長の私に「水族館に遠足に行きたい」という提案がありました。

 

 

国も保育士の負担を減らすために行事を見直すよう通知を出しています。日本全国の保育園で行事が減る中、あえて「行事を増やす」方向に舵を取るのはリスクがある。そして、行くとしても日程が限られる。年度の後半は発表会などの大型行事が続くので余裕がない。行くのなら5月しかない。今は4月。これから準備して間に合うのか?

 

カメラマンさん、市役所、水族館、お弁当屋さんと連絡調整を行い、偶然にも「この日であれば行ける」という日程が出てきました。

 

・・・これは運命なのかもしれない。

 

子どもの意欲・関心から保育環境を作るのが保育の基本であるのなら、この流れで水族館にみんなで行くことは正しい判断であるはず。

 

遠足、行ってみよう!

 

 

♯4

いえええええええええい!

水族館に遠足に行くことを担任から発表したところ、喜びを全身で表現する子どもたち。

 

ああ、そうだよな。行く決断をしたことは間違っていないんだな。

みんなの笑顔を見て、そう思いました。

 

この笑顔があれば、私は、私たちはどんな困難も乗り越えられる。

 

 

溢れ出す、楽しみ

遠足を発表してから子どもたちから「遠足が楽しみ!」という声がよく聞こえてくるようになりました。楽しみすぎて水族館のイメージを絵に描いていますね。

 

気持ちは行動に表れる。

 

こどもの日プロジェクトが終わり、気持ちも一区切りついていたため、ここから5歳児クラスだけ遠足に向けた活動を行っていくことにします。

 

気持ちを複数並行で持ち続けるのはなかなか難しい。大人でもそうですよね。何かに夢中になるためには、考えることは一つに絞った方が良い。ここからは遠足に集中していきます。

 

 

♯5

リアル買い物ごっこ

お弁当をご家庭から持ってきてもらうのは食中毒が怖いし、みんなで同じものを食べる方が仲良くなるような気がします。だから、お昼ご飯は水族館のフードコートのお弁当屋さんに特注で頼みました。

 

遠足といえば、お弁当も楽しみだけど、もっと楽しみなのは「おやつ」ですよね。

 

ということで、おやつを自分たちでイオンに買いに行くことにします。

 

まずは下見に行き、何を買うかのイメージをそれぞれ膨らませます。ちょうどイオンの中に駄菓子屋さんがあったので、そこで買うことにしました。

 

 

♯6

ペットボトルチャレンジ

日をあらためて、再びイオンへ。

 

お客さんに迷惑にならないよう、少人数ごとに担任とおやつを自分で選んでレジで買い物をします。その間、他の子どもたちは私と別の保育士と一緒に広場で遊んで待ちます。

 

看板の上に私がペットボトルを何気なく置いてみました。子どもから絶対に届かない位置です。

 

すると子どもたちは看板に振動を与えてミリ単位で少しずつペットボトルを移動させて落とすという方法を思いつき、協力して振動を与えて落とすという遊びが生まれました。

 

ちょっとした時間でも学びになるような工夫。こういうのができるようになると、隙間時間で子どもがぐんぐん伸びていきます。

 

 

楽しみを先にとっておく体験

それぞれ自分が好きなお菓子を買ってきました。これは今日食べるのではなく、遠足当日に食べるものです。

 

「今日食べたーい」

 

今食べたいのを我慢して、楽しみを取っておく。これも我慢するという学びになるし、ワクワクを持続する体験になる。「楽しい」「嬉しい」をその瞬間だけ刹那的に感じて生きていくのではなく、未来に希望を持って生きる子になってほしい。毎日の保育に、私たちの願いが込められています。

 

 

アスファルトの海へ

「裸足になっていい?」

 

裸足になって遊び出す子どもたち。イメージは砂浜なのかもしれません。海と水族館。そこへの期待が高まっていく。

 

危険な物はないか確認はしているけど、足の裏を怪我しないかの心配もある。だけど、その楽しそうな姿は止めるべきじゃない。これでいい。

 

担任と12人の仲間たち。あと数日で、ここから100キロ離れた海の見える水族館へ向かう。

 

大冒険はもうすぐです。

 

 

♯7

水族館遊びは不発

海や水族館に興味関心がどんどん高まっているので、そういう遊びができそうなものを集めてみました。魚カード、ダンボール。子どもから希望が出ればガムテープやペンなども出すつもりの設定です。

 

しかし、水族館遊びがメインにはなりませんでした。魚カードを使ったお店屋さんごっこが展開されています。遊びはやってみないとわからない。保育士のねらい通りにいかないこともよくあります。保育士から「水族館ごっこをしましょう」と指示するのも違う。あくまで、子どもたちから自然に始まらなければ意味がない。

 

そうは言っても、遠足の要素は遊びの中に表れます。ダンボールはバスに見立てているし、水族館のチケットも遊びの中で登場しています。

 

 

ゴーストマンション

そのうち、お化けが住む家が誕生しました。

 

お化けが集まってきてマンションみたいになっていきます。お買い物ごっこは終わり、お化けが主役の遊びになっていく。

 

 

ヤドカリハウス

こどもの日プロジェクトでも出ていたプールを逆さにしてヤドカリにする遊び。今回はお化けから隠れて身を守るために使用しています。

 

実は前回の「こどもの日プロジェクト」の環境設定は、水族館へつながるように考えていました。魚カード、魚釣り、プール、こいのぼり、ブルーシート。全ては海や魚に結び付き、遊びながら水族館への興味関心を育てる。これが「こどもの日プロジェクト」のもう一つのねらいだったんです。

 

何事にも2重3重に目的や意味を含ませておくのが、私のやり方です。そうすると普通では起きないような展開になったり、経験したものに深みが出てくる。

 

 

全てのものから送られるサイン

お化けから逃げる遊びが続きます。水族館とは関係がなくなってしまいましたが、これで良いんです。何か意味がある。このお化けからみんなが逃げる遊びには、何か大事なメッセージが隠されているはず。

 

でも、この時にはわかりませんでした。子どものサイン、メッセージがわからない。

 

子どもは無意識の世界で遊びます。大人が子どもの無意識の世界に触れ、見えない何かを視ることができた時、子どもが大きく変わるんです。「そういうことか!」という大人の理解が子どもに伝わり、子どもは「わかってくれた」という体験をする。その結果、子どもと大人がお互いの心がつながり、何かが生まれる。

 

子どもを大人が理解する時、子どもは「僕を見てくれている」「興味を持ってくれている」と思う。大人も子どもを理解できて嬉しく思う。それは「愛の交換」だと私は思うのです。

 

 

♯8

天気との戦い

水族館だから雨でも遠足が中止にはならない。だけど、何が起きるかわからないのが遠足です。数年前、遠足の日に爆弾低気圧がぶつかり、大雨警報や波浪警報が出て遠足が中止になったことがあります。目的地は海の近く。津波が来る予報が出ている場所に子どもたちを連れていくことはできません。

 

天気予報をみんなで確認し、雨予報であることを共有します。

 

「てるてる坊主を作る!」

「明日天気になーれ、やろう!」

「かっぱを着ていく!」

 

いろんな意見が出ましたが、まずはてるてる坊主を作ることに。

 

 

てるてる家族

作り方を保育士は教えない。自分たちで考えたり、仲間同士で教え合う。できる人はどんどん作っていくし、わからない人は他の子の作り方を真似したり、教わって作っていく。

 

「3個作ったよ!」というこどもの声に「3個も作ったんだ、すごいね」と答える保育士。何気ないやりとりが、この後の展開を大きく変えます。

 

作った個数を保育士が褒めた雰囲気になったため、大量に作る事が良いというイメージを子どもたちが共通してしまうことになったんです。晴れてほしいという願いを込めて一つ一つを大切に作ってほしいのに、雑にたくさん作る展開になってしまいました。

 

大人の何気ない一言が、こどもの価値観や行動を方向づけてしまっているんです。知らないうちに、子どもを大人が変えてしまっていることが結構あります。

 

大人はみんな子どもの問題だと思い過ぎる傾向にある。保育園だけでなく、小学校も病院も家庭もそうだと思います。

 

誰かと誰かの間に起きていることは双方が影響を与え合うことによって起きているのに、大人は自分のことを棚に上げて子どもの問題として捉えてしまいがちです。自分が見えている子どもの姿は、自分自身が影響を与えた姿です。だから大人側が自分自身の何かを変えれば、目の前の子どもがその影響を受けて変わります。

 

子どもを変えたければ、大人の方が変わればいい。

 

「3個作ったよ!」というこどもの声に「3個も作ったんだ、すごいね」と答えただけで子どもの遊びが全て変わってしまった。怖いことだと思うかもしれません。だけど、そんな何気ない一言が子どもを大きく変える可能性があるってことは、考え方によっては「希望」だと思うんです。

 

どんなに絶望の中にいても、どんなに道に迷っても、私たちの関わり一つで目の前の誰かの未来を変えることができる。それは「希望」と言っていい。私は、人の可能性を信じています。諦めない限り、必ず未来を変えることができる。

 

「主体的・対話的で深い学び」の教育とは「お互いの未来を変える」という教育なんです。プロジェクト保育によって子どもたちが大きく変わるのは、根本に私のこういう想いがあるからなのかもしれません。

 

 

 

幼児期における教育

それぞれが作った「てるてる坊主」を発表し合う。こういう振り返りの時間が子どもの仲間意識を育て、他者への興味関心、人と関わろうとする力を育てます。

 

自分が作りたいものを作って終わりの保育・教育では、人間としての温かみが育ちません。

 

多くの教育現場が個人の知識やスキルを育てることに力を注いでいます。それも大切だけど、幼児期にやるべきなのは、集団での体験です。人を好きになる保育。個人に向けた教育は、塾や習い事や小学校でたくさんやるんです。幼児期に個人の教育ばかりやらなくて良い。育ち合う体験こそ、幼児期に必要なのです。

 

 

誰ひとり取り残さない

作ったものをどうすればいいかを尋ねると「窓に飾る」という反応が。そのままてるてる坊主を無造作に置いていきます。

 

そもそも、当たり前に作り始めたけど、てるてる坊主を全員が知っているわけではないんですよね。何のために作るのかという意味を理解できていない子もいるはずです。だから普通の制作みたいに思っている子もいます。形としては「てるてる坊主」になっているかもしれないけど、その人形に「願い」や「想い」は込められていない。

 

「てるてる坊主を作ろう!」という声は子どもから出ましたが、それは「てるてる坊主を知っている子」の意見です。てるてる坊主を知らない子を置いてけぼりにしている。学校の先生も、問いかけに答えてくれる児童生徒とのやり取りだけで授業を進めがちです。賢い子、知っている子、声の大きい子、よく喋る子によってクラス全体が流されていく。一見、子どもと大人がやりとりをしながら進んでいるようですが、一部の子と大人が進めているだけです。

 

子どもの意見を聞こうというのは子どもの権利条約やこども基本法でも示されているとおりで大切なことです。しかし、「声なき声を聴く」という視点が保育士や教員になければ集団は成長しません。大切なのは言葉ではないのです。誰ひとり取り残さない教育。それはこういう視点を持つところから始まります。

 

声なき声を聴く。

見えないものを視る。

 

いやぁ、深いですね。教育って。

 

 

形だけ模倣する

「明日天気になーれ」をやってみる。

 

だけど全員が意味を理解しているわけではない。形を真似ていて、合っている。だけど、深い理解にはなっていない。晴れてほしいという想いはそこにはない。てるてる坊主と同じです。

 

晴れて欲しいと願う気持ちがない「明日天気になーれ」。もしこれに教育的効果があるとすれば、みんなで靴を飛ばしたという体験です。それは記憶に残るし、仲間意識を育てることができる。

 

何一つ、無駄なことなんてないのです。

 

遠回りしたっていい。道を間違えたって良い。逆走しても、時には立ち止まって休んだって構わない。

 

前に進む意思があれば、歩き続ける限りいつか目的地に辿り着く。私たち保育士はこの子達と一緒に成長していくだけです。それはきっと保護者の方の変化にもつながり、その変化はまた別の誰かを変えていく。私たちは影響し合って生きているのです。

 

 

 

大切にされない、てるてる坊主たち

無造作に置かれたてるてる坊主。てるてる坊主の意味をわかっていない子たちだから、作って満足してしまい、晴れを祈るために飾るという展開にはならないんです。

 

大切なのは何を作るかではなく、何を作りたいか。そして、何のために作るのか。この子たちには、てるてる坊主の意味を理解できるような体験をさせたい。そうすれば、遠足の日に晴れてほしいという願いを共有することができる。そして、遠足に行きたいという気持ちがもっと膨らんでいくはず。

 

 

♯9

前日の夜に絵本を求めて探し回る保育士の熱意

というわけで次の日は「てるてる坊主の絵本」を読み聞かせています。てるてる坊主が何なのかのイメージをあらためて全員で理解する時間を作ります。何のために作るのかを、もう一度みんなでイメージできるようにする。

 

これで、てるてる坊主の意味を共有できた。子どもたちの中でてるてる坊主への向き合い方が変わるはずです。

 

 

 

思考の前に体が動く

絵本の中では窓の上の方に紐で吊るしていました。高いところに登る必要があるというイメージが共有されているから、自然と台を持ち寄る行動に出ています。

 

だけど、ものすごく低い台しかこの部屋にはありません。高さが目的達成のために足りているか思考して動いているわけではなく、感覚で動いているに近い。高いところに手が届くようにという目的を達成するのであれば、こんなに低い台を出しても意味がないんだけど、そこに気が付かない。台を置くことで満足しています。

 

このクラスの子どもたちの「ひらめき」や「発想」は確かにすごい。これまでのブログで何度もその輝きを紹介してきました。前回の「こどもの日プロジェクト」での最後のブルーシートのシーンがその典型ですが、純粋さで動いたときのこのクラスの子どもたちは本当に素晴らしい。

 

だけど「思考」「判断」「表現」が弱い。考える前に動いてしまっている。考える前に動くメリットもあるけど、やっぱりデメリットもある。あと一年で小学生になることを考えると、もう少し考えられる子になってほしい。

 

先日、警察の方を呼んで人形劇で防犯教室をやってもらった時に、担当した警察の方から「他の園の子どもたちとは全然違う。純粋でとても優しい。先生の話も良く聞ける。だけど、誰にでも優しいということは不審者にも優しくなってしまうことになる」という評価をいただきました。

 

心を育てるのを大切にしているけど「それだけ」ではダメなのです。考えて、判断できる子にしていかなければならない。

 

 

ノリという歪み

てるてる坊主作りに必要なものを探してくるという流れになり、園内を歩き回ります。

 

すると、たまたま配送業者が荷物を届けにきた場面に玄関で遭遇。ペーパータオルの入った重いダンボールをみんなで保育室に運んでいます。

 

てるてる坊主作りにペーパータオルは必要ないし、もし使うにしてもこんなにたくさん必要なわけがない。そして重いものを運ぶのは危険かもしれないという予測もできていない。

 

ノリで動いているんです。誰かの意見に流されて、何も考えずに同じ行動をしている。協力しているように見えて協力しているわけじゃない。仲が良い集団というのは、水を指すようなことを言わなくなるから、間違った方向に進んでいる時に修正が効かないという弱点がある。まさにそれです。

 

このクラスの課題が浮き彫りになってきました。

 

 

自分たちで挽回する

一度みんなを集めて、私から話をします。ペーパータオルで何をするのか?今みんなは何をしていたのか?軌道修正というか「考えるきっかけ」を与えます。

 

「ペーパータオルはいらないよね」

「しまおう!」

 

我に返ったような表情の子どもたち。さっき何も考えずに出してしまったペーパータオルをダンボールにしまっていく。

 

変化は常に態度と行動に表れます。

 

思考

判断

表現(行動)

 

このサイクルを意識づける体験になりました。

 

 

「もったいない」の体験

さらに中身を出してしまったペーパータオルをちょうど良い袋に入れて保管する。「もったいない」という思考。「物を大切にする」という思考。考える。みんな考える。

 

考えてから行動する喜びを体験する。

 

失敗を自分で取り返す体験をする。

 

 

可愛いだけじゃだめですよ

晴れを願って、てるてる坊主を窓に貼るということになりました。

 

「この台じゃ低いから意味なくない?」

「もっと高い椅子とかにしようよ」

 

低い台は使わないことに決めて運び出します。

 

 

そうそう。そういう思考が年長だったらできるはず。ではなぜ今までそれができなかったのか。それは、みんなで同じことをすることを無条件で良しとしてしまっていたから。だから、周囲に流されるのではなく、各自が良い悪いの判断ができるようになる必要がある。

 

 

可愛いだけじゃダメだし、優しいだけじゃダメなんです。

 

 

秩序とルールによる安心

そして高い椅子に乗って、一列に並んでてるてる坊主を窓に貼っていく。子どもたちが考えたルールです。時間はかかるけど、安全に確実に行うにはこれが一番良いという判断をしたようです。

 

各自が考え、意見を擦り合わせて、一つのアイデアを導き出して実行する。

 

これが「主体的・対話的で深い学び」です。

遠足の準備は、子どもたちの成長を促してくれました。

 

 

明るい未来

窓いっぱいに貼られたてるてる坊主。吊るすというアイデアまではいかなかったけど、正解はそこじゃない。

 

「明日天気になーれ」というのは、天候が晴れることだけを望む言葉じゃない。

 

落ち込む事があっても、心に雨が降っても、明日はいい事があるさ。明日を希望に変えてくれ。そういう意味もきっとある。明日晴れることを願うというより、明日が良い日でありますように、という祈りなのかもしれません。

 

 

さぁ、いよいよ次回、遠足当日の様子をお届けします。