異年齢・縦割り自由遊びプロジェクト。2歳児と3歳児チームの第2回の様子です。ついにやってきました2歳児クラスの主役回。ハラハラする展開になりますが、どうか最後までお付き合いください。

 

 

♯5 (2歳児と3歳児 第2回)

配置の変更は何をもたらすのか

2歳児と3歳児の第2回。雨どいを左右に2本ずつ分けておき、2歳児クラスの子でも雨どいを使えるように配置します。3歳児独占を崩すためです。4歳児5歳児のバランス遊具の配置を変えたのと同じですね。

 

基本的に初期設定のみをいじり、あとは子どもの遊びについていく感じにするのが基本ですね。

 

 

アンパンマンは君さ

アンパンマンボールの取り合いに勝ったのは3歳児の男の子。

 

そしてアンパンマンボールの取り合いの隙をつき、2歳児が雨どいを手に入れましたね。作戦は成功です。これで2歳児の遊びが広がるはず。

 

 

部屋中に響き渡る絶叫

と思ったのですが、雨どいを3歳児が独占している時には起きなかった問題が発生しました。2歳児同士による雨どいの取り合いです。

 

中央の2人がお互いに一歩も引かず、すでに10分が経過。お互いにしつこいというか、諦めません。しかも「キャァァァー!!」と甲高い声で絶叫するので、全員ドン引きです。

 

ちなみに左の2人は雨どいを一緒に運ぶことができていますよね。前回、雨どいを運ぶことは一緒に遊ぶことなんだという体験をした左手前の男の子は、雨どいをシェアして遊ぶことができるようになっているんです。これが体験による学びです。それに比べて中央の手前の取り合いをしている子は前回お休みしています。つまりこの状況は初めてなので学びがない。だから、うまく対応ができない。

 

 

you win!(周囲のドン引きと引き換えに)

力づくの争いは手前の子の勝利で幕を閉じました。スタートから実に15分経過。3歳児たちも集まってきますが声をかけず、また止めようとしません。こんなに激しい争いは自分たちが経験したことがないので、どうすべきかわからないのです。

 

これは良い学びになりそうだなと、私はワクワクしていました。普通はハラハラすると思うのですが。

 

今回の2345歳児合同プロジェクトは、2歳児クラスが大きく成長することを目指しています。ものすごく大変なクラスなんです。そして345歳児の子どもたちがどうにかしてくれるのではないかという期待を込めている。そして、この激しい2歳児クラスの相手をすることで345歳児クラスの子どもたちも成長するはず。それが理想です。

 

だけどそれは、あくまでも保育士側の願い。子どもたちが実際にどう動くかは誰にもわからない。

 

 

そして誰もいなくなった

力づくで勝利した彼が手に入れたものは雨どいではなく「孤独」でした。誰も近寄らない。「怖い」と言っている子もたくさんいました。

 

離れていく子どもたち。それが自分の行動のせいであると感じ取ることができるかどうかで、この子が成長できるかどうかが変わる。この子は賢い子だから、きっとこの状況で学びとるはず。

 

 

守るポーズには意味がある

15分にもわたる2歳児2人の雨どい争いは全体に大きな影響を与えます。奥では大きな箱というか壁を作って自分を守るような動きになるし、手前の2人も自分の居場所をジョイントマットで作ることで他人を入れないようにしている。ポーズも「入ってくるな」のポーズです。

 

部屋中を漂う緊張感は、遊びを、人を分断していくのです。

 

 

孤独は嫌だ

1人で遊び出す2歳児の男の子。だけど賢いから、ボールが転がった先に2歳児たちが作っているジョイントマットがあるように角度を調整しています。まだうまく言葉を喋れない2歳児クラスは、このように行動で人と関わろうとするのです。

 

しかし、誰も相手にしてくれないので、雨どいを持って部屋中をウロウロし始めました。

 

そこへ、2歳児の女の子が自分の雨どいを持ってきて、さっきの子と同じ場所で遊び始めました。イスを使って傾きを出してボールを転がすところも一緒。つまり、孤独になった子の雨どいを使って遊んでいるように見える。

 

これは良くない展開になりそう。

 

 

round2、fight!

自分の雨どいを取られたと勘違いし、女の子の雨どいをさっきと同じように力づくで奪いに行く男の子。なぜ自分の雨どいを取ろうとしてくるのか理解できずに抵抗する女の子。

 

そして、そこを通りかかる2歳児の男の子。女の子の味方をして、男の子から力づくで雨どいを奪い返しました。正義感ですね。力づくは良くないけど。

 

負けてその場から離れる男の子。さっき自分がやった「力づくで奪う」をやり返されたわけです。これで、奪われた相手がどういう気持ちになるかを体験できました。喧嘩で学ぶこともある。子猫や子犬も小さい時に喧嘩をして遊び、学びます。人間だって同じです。

 

もちろん、叩いたり、噛んだり、引っ掻いたりという加害行動はダメです。しかし、私が写真を撮っているということは止められる位置に常に大人がいるということです。それを子どもたちも感じ取っているので、本気で怪我を負わせるような動きにはなりません。大人に見守られながら喧嘩しているというイメージですね。

 

私が優しいだけの保育士ではこうはなりません。叱ることもするし、子どもから一目置かれている。だから安全に喧嘩する。ちゃんと叱る大人の前でなければ子どもというのは他の子どもを怪我させてしまうでしょう。

 

私が怖いからやらないのではなく、私が「君なら手加減するよね」という、あなたを信じているというメッセージを出していて、子どもがそれを受け取っているからです。喧嘩しながら、どこかこちらを意識している雰囲気なんです。こういう時は怪我をさせることはありません。自分自身をコントロールしているからです。

 

もちろん、コントロールが外れた時には止めに入ります。この1時間でも何回か止めています。

 

 

君に慰めてほしいんだ

戦いに負け、癒しを求めて2歳児の仲の良い女の子のところへ。

 

「手伝おうか?」と気さくに話しかけてマットを繋げる作業を手伝います。カッコイイ言い方で入りますね。自分が傷ついていることは微塵も出しません。

 

単純作業に没頭すると心が落ち着きますからね。しばらくこれが良いでしょう。

 

 

どうすれば一緒に遊べるのか観察

3歳児の女の子。前回に続き、一緒に遊びたい相手は「興味がコロコロ変わる」ので別の遊びに行ってしまう。さっきはジョイントマットを一緒に繋げていたのに、今はダンボールの中に入ってます。

 

寂しくなって担任にくっつきます。「安心」をもらいに来ている。

 

子どものスキンシップはいつでも受け入れるのではなく、何に不安を感じているのかを見極めることが大切です。そして、くっつく必要があるのかを吟味する。くっついた後も、子どもが再び「挑戦」したくなる気持ちを妨げてはいけない。

 

そしてもう一つ大事なこと。この子が部屋中をじっと観察できているということです。観察遊び。遊びに入るための「資格」を探している。ここから何かを学びとるはず。だから、ここで保育士が話しかけたり触ったり一緒に遊んであげたらダメなんです。観察の邪魔をしてしまう。

 

 

仲間の印

一緒にマットを繋げているといっても、一緒に遊んでいるとは言い難い。そんなとき、別の2歳児の女の子がマットの端っこのパーツを一つ男の子に渡しました。白と黒の2つのパーツ。そのうち、白いほうを渡します。

 

同じものを持つ。そうです。これが仲間の印。一緒に遊ぶための「資格」を手に入れました。ついに2歳児でもこの流れが来ましたね。

 

 

暗闇の中で自分を探す

だけどまだ、これを使ってどうやって遊ぶかのイメージもないし理解もない。2歳児クラスでは「資格」を手に入れてもうまく機能しないこともしばしばです。遊びの経験が乏しいから、うまく遊べない。とにかく2歳児はいろんな遊びを体験することが大事。同じことばかりして遊んでいると、工夫できない子になる。

 

ダンボールの中に1人で入ってしまいました。暗闇を1人で見つめる。

 

これは、前回の5歳児の男の子が秘密基地にこもって自分の感情を処理していたのと同じです。1人で気持ちを整理している。だから、1人で正解です。今はそっとしておきましょう。

 

こういう時に話しかけてしまう保育士も多いんですよね。そうではなく、大丈夫そうであれば1人で乗り越える体験をさせてあげましょう。

 

 

電車ごっこのスキル獲得に時間がかかる

すっかり一緒に遊ぶイメージを手にいれ、物の取り合いをすることは無くなりました。ただし、後ろの子が足をダンボールの中に入れる前に電車を発車させています。このように、遊ぶイメージもあり遊び方を理解していても、まだ相手の状況まで考えて遊ぶことは難しい。2歳児とはそういうものです。

 

だから、この場合、私が一度電車を止めて、足を入れたのを確認してから手を離し、2人で電車ごっこをしてもらうようにしました。2歳児クラスの自由遊びは必要に応じてサポートが必要です。成功体験にしていくサポートです。そしてサポートを少しずつ減らしていき、自分たちだけでできるようにしていく。いつまでも手伝ったらダメです。必要最低限のサポート。これが重要な要素です。

 

 

俺は戦いの螺旋から降りる

前回のラストで始まった牛乳パックを使った3歳児の戦いごっこ。中央の子はもうその遊びはしたくない。だけど周囲の子達は継続している。これも興味の違いですね。急に遊びから降りたので、一緒に遊んでいた側は理解できていない。

 

この場合は「牛乳パックの武器」という「資格」を捨てているので、仲間ではないというアピールを中央の子がしているわけですが、夢中になって遊んでいる子たちはそれに気がついていない。

 

夢中って、夢の中ってことですからね。気が付かないんです。

 

これも見方によってはいじめみたいに見える。注意深くこの子の様子を観察していく必要があります。

 

ブログを読む限り、かなり子どもたちに自由にさせている印象を持たれると思いますが、それは私がほぼ全ての子どもたちの動きを同時に把握しているからできることです。視野が狭い保育士だけでやるとトラブルがトラブルのままで終わる可能性が高い。そして、この空間内で私以外に4名の保育士が見守っている。私が見落としても誰かが見ているはず。だから安全が担保されているからできる、ギリギリの勝負です。

 

プロジェクトの日は、すごく疲れます。一瞬たりとも気を抜けない真剣勝負をした後のように。それくらい自分を疲弊させないと、子どもたちにこんな素晴らしい変化は起きません。

 

 

暗闇からの脱出

ついにダンボールから出てくる。向かう先は隣に作られた壁で囲まれたお家。そこなら安全だし、3歳児たちもいる。

 

最初に向かうにはちょうど良い。みんなにとって安心安全の家があることは、遊びの中に安心感をもたらします。

 

 

平和を望む侍

戦いの日々を捨て、ひたすらに平和を望む。

黄色いボールだけを集め、戦いたい3歳児に背を向け歩き出す。

 

 

あたし、争いは好きじゃないの

集めていた黄色いボールをお家に持っていき、住人に配る。これが平和を望む仲間の印。これが「資格」となる。これを持っている人間は平和を望んでいる。

 

元々争いを好まない3歳児2人と、争うことで孤独を知った2歳児が、平和を求める仲間になりました。

 

 

上に乗っている子が無理やり奪おうとしています

3歳児の戦いごっこは、時間差で2歳児に降りていく。つまり、攻撃しているイメージだけが部屋中に広まってしまうのです。本質は大衆には伝わりません。形骸化されたイメージだけが広まる。相手が嫌がる戦いはしないという本質は伝わらず、暴力だけが伝染する。

 

ダンボールの取り合いで戦いが始まる2歳児の男の子たち。それを見つめる3歳児の女の子。前回もじっと見つめていたけど何も声をかけませんでしたね。やはり、激しい争いには入ろうとしません。

 

保育士が止めないから子どもも動かないんです。まだ大丈夫なのかなと判断基準を保育士に委ねている。だけど、保育士の動きは関係なく、自分が動きたくなって動くのが大事。心の底から相手に関わっていきたいという気持ちが爆発するのを待ちます。

 

4歳児の優しい女の子のように。理屈や損得じゃなく心で動いてほしい。

 

 

仲間の印はただの武器になってしまう

ダンボールに入っているのは3歳児の女の子。そのダンボールをマットのパーツを武器にして何度も叩く。先程2歳児の子達で仲間の印となって渡された物です。それを見ていたのでしょう。この子も同じものを持って行動しています。

 

完全に遊びというより攻撃性の発散です。昨年度の4歳児のプロジェクトでも解説した、愛情と攻撃性の未分化。楽しくなって興奮すると攻撃してしまう。相手が好きであればもっと攻撃してしまうというメカニズム。

 

そして叩いているうちに感覚遊びになってしまい、相手のことは考えられなくなる。悪循環です。

 

 

頭ポンポンによる救済

不安を感じると、人はダンボールの中に入るのかもしれません。

 

一緒に遊べない不安と戦いごっこから降りることを許されない不安のある子。その2人の頭を撫でながら「赤ちゃん大丈夫?」と頭を撫でているのはずっと一緒に遊びたかった女の子!

 

不安を解消したい子と、お母さんごっこがしたい子の興味が一致して、一緒に遊べるようになりました。

 

これ、前回の4歳児5歳児の回と全く同じ展開なんです。すごいですよね。時間と空間を超えて2つの遊びがシンクロしていく。

 

 

ガンジーと同じ行動

2歳児2人のダンボールの取り合いは続いており、平和を愛するお家も戦場になってしまいました。自分の家が壊される様子をじっと見つめる右の3歳児の女の子。もう争いたくないから下を向きやり過ごそうとする孤独を知った2歳児。手前の3歳児は壊されたものを直そうとしています。

 

誰も止めないんです。助けようともしない。嵐が去るのを待っている。平和を願うということは、争い自体を放棄するということなのか。無抵抗主義となっています。

 

 

壊されたものは直せばいい

手を取り合って、壊れた家を直していく。その手は何かを奪うためにあるのではなく、守るためにある。

 

3歳児に教わる2歳児。異年齢保育の良さです。物は独り占めするのではなく、一緒に使うほうが良い。1人遊びになりがちな2歳児クラスでの遊びではなく、集団遊びをする3歳児と一緒に遊ぶから、2歳児にとっては学ぶことが多い。

 

 

外に出てすぐ保育士から安心をもらえる喜び

ダンボールの中から先程2歳児にパーツで叩かれていた3歳児の女の子が出てきました。安全を確認する保育士。保育士がいつどのようにか関わるかは難しいのですが、完璧なタイミングで関わっています。

 

大人が心の底から心配した時はすぐに行動に起こして良いんです。それが愛を伝えるってことだから。子どもだけで解決するのは目指すべき方向性であって、決定事項じゃない。それがわからない大人は多いんですよね。基本があって特例がある。子どもの世界に大人が入るべき時もある。それが今です。

 

 

閉じた関係は他者を拒絶する

紫のボールが「資格」になっています。だから2人は仲間に入ろうとした右の女の子を仲間に入れません。

 

孤独を知った男の子は一緒にいてくれるピンクの女の子との特別な絆を優先して、それ以外の子との関係を閉じています。前回説明した通り、閉じた関係に人は安心感を得る。さっきは平和を守る家の住人という閉じた関係の中で安心感を得ていましたよね。

 

新しい子を仲間に入れた場合、ピンクの子と自分の関係が変わってしまうかもしれない。彼はそれを恐れているのです。

 

それが紫のボールのシェアという形となって表れている。

 

 

間違って学ぶ2人

他の子も一緒にやりたいと言ってやってきますが、紫のボールをシェアする2人は雨どいを持って移動してしまいました。仲間はずれの行動と言えますが、これも子どもたちが何が良くて何がいけないのかを学んでいる途中。

 

こうやって仲間に入りたい人を排除する行動に出るということは周囲の子を傷つけるわけですから、間違っています。

 

だけど「間違う」のも「正解」なんです。「間違う」という「過程」の先に「改善」がある。

 

 

力づくという不適切行動の模倣

仲間に入れてくれなかった悲しみがあるから、少しのことでもイライラしてしまう。仲間に入れなかった女の子は別の男の子とダンボールの取り合いになりました。

 

雨どいを力づくで奪われそうになった経験をしたばかりなので、同じように力づくで奪おうとしています。やっていけないことだとしても、経験したことは模倣してしまう。子どもとはそういうものです。真っ直ぐに育った子が中学くらいで不良の友達ができたら変わってしまうとかありますよね。そういうものです。環境って、とても大事。

 

 

だけど、必ず誰かが見ていてくれている

また取り合いになり、落ち込むダンボールの男の子。雨どいを取り合い、ダンボールを取り合った。僕の何がいけないのか。2歳児でも落ち込みます。大人と同じです。

 

その一部始終を見ていた女の子も2歳児クラス。手には2歳児の仲間の印である「資格」のパーツが白黒2対。そう。この子も観察遊びタイプ。いつも周囲をじっと見ている。まぁ、じっと見ているから行動もマイペースになるんですが、それは目で見て遊んでいるから。観察が遊びになっているからです。

 

 

すぐ謝れるのってすごい

ごめんねを言いに戻る女の子。受け入れる男の子。何が良くて何がいけないのかだけでなく揉めた後にどうすれば良いかを自分たちなりに考え、実行しています。

 

そして、シェアすることに喜びを感じるようになった男の子はダンボールの中に一緒に入って落ち込んだ子を慰めているのです。

 

2歳児とは思えないやり取り。みんな急激に成長している。

 

 

「資格」の入手方法を理解できない

そして「資格」であるマットの白黒パーツのうち白を男の子に渡す。

 

「ありがとう」

 

嬉しそうにしていますね。これが仲間の印。「資格」を得た。

 

だけど、女の子の方はもらえなかった。何が足りないのか。自分ではわからない。

 

 

ピンク縛り

ピンクのボールが仲間である「資格」のため、一緒に遊べる3人。どこまで自分たちでそれを理解しているのかは分かりません。実際に黄色いボールも持っている。これを使うと仲間から弾かれる可能性があります。

 

同じ色を使っているからといっても、偶然なだけかもしれない。本当の意味で暗黙ルールである「資格」を理解できているのかは慎重に見極めないといけません。

 

 

悪夢再び

集まってくる仲間たち。ピンクのボールを持ってきて転がそうとしている男の子はこの集団においての仲間の「資格」を理解している。

 

だけど、座っている男の子は赤いボールなども転がしています。こっちはわかっていないようですね。しかも、増えてきた子たちを仲間に入れません。ピンクの子と自分の2人が良いという気持ちが強すぎる。

 

「きゃあああ!」と大きな声で周囲の男の子を威嚇します。

 

ピンクのボールが仲間の資格として、この集団のルールとしてピンクの服の子は遊んでいました。男の子の「ピンクのボールを持ってきた子を仲間に入れないルール」には違和感を覚えます。そして大声は好きじゃない。

 

孤独を知った子は「ピンクの服の子と遊びたい」という人間関係中心のモチベーション。ピンクの服の子は「ピンクのボールを転がしたい」という遊び方中心のモチベーション。

 

はい、これも興味の違いです。興味の違いによって、2人の関係は決裂しました。

 

 

 

ピンクから紫へ

女の子の方はその場から離れてしまいました。手には紫のボールだけ。ピンクはダメだった。やはり、紫だけがこの子の心にピッタリ来る。こういうのは理屈じゃないんですよね。この子には紫なんでしょう。

 

 

孤独、again

そしてまた誰もいなくなった。再び押し寄せる孤独。何がいけなかったのか。今度は力づくで奪うこともしていない。

 

考える。今は考えるしか出来ない。

 

仲間に入りたがっていた子を排除した。

 

それが原因?

 

ピンクのボール以外を転がしたから?

 

それがルールだった?

 

わからない。

 

 

その思考が君を成長させるはず。考えて、仮説を立てて実行する。トライアンドエラー。それをここで学んでいこう。

 

 

学び合う仲間がいる

右の2人はさっきダンボールの取り合いで揉めた2人。今度は仲良く2人で入ることができている。そうです。ダンボールは1人で入るより2人で入るほうが何倍も楽しい。それに気付いた。これが体験で学ぶということです。「仲良く使おうね」と大人が言ったって意味がない。こういう自分自身で深く気付く体験をさせられるかどうかが、保育の質です。

 

もちろん左の2人も一緒に遊ぶことが一番好きになっている。良いですね。

 

 

何が正しいのか、仲間同士で教え合う

3歳児たち。この倒れたダンボールの中には、戦いから降りたはずの男の子が入っています。「出てこいよー」と不良みたいなことを言っている男の子たちに、平和を愛する女の子が「やめなよ」と言っています。

 

仲間の印の黄色いボールを分けてもらった女の子。違う遊びをしていても、その時の絆が残っている。そして平和を愛する気持ちは今も変わっていない。

 

女の子の願いが、男の子たちを変えていく。

 

 

連鎖する仲間の証

ロングヘアの女の子に近づき、マットのパーツを渡す右の女の子。みんなのやりとりを見ていたから、パーツをあげたくなったのかもしれません。ずっと大事そうに白黒2対のパーツを持っていましたが、そのうちの白を渡したのです。

 

ついに中央の子も仲間の「資格」を手に入れることができました!

 

 

認められるって嬉しい!

「資格」をもらって嬉しくなって走り回っています。やっと、認められた。嬉しい。

 

なぜ今まで、1人が1人に渡すという一対一の展開だったのかには理由があります。みんな白と黒のパーツを2対にして持っていて、その片方を誰かに譲渡するというルールだったからです。最初の女の子も、さっきの男の子も、今回も。だから、誰か1人を選んでしまったらもう他の誰かには渡せない。そういう目に見えないルールの中でこの子たちは生きていたのです。

 

自分の赤ちゃんは1人だから、他の子を赤ちゃん扱いできなかったという4歳児5歳児の赤ちゃんごっこと同じです。1対1対応の遊びだったということですね。

 

これも気が付きにくいルールでした。誰かを意図的に選んでいるとか排除しているわけではないのです。

 

だから、まだ誰にも片方を譲り渡していない子からもらうしかなかったんですね。遊びって奥が深い。

 

 

いきなりの展開に現場はピリピリ

先程ダンボールを奪い、平和の家も破壊していた2歳児の男の子。ボールを集めて奪ったダンボールに入れていたところ、パーツを持った子に突然ダンボールをひっくり返されました。

 

え?

取り合いというわけじゃない。争いの雰囲気もなかった。

 

ではなぜ?

 

 

やれやれだぜ(ドーン!)

倒れている男の子を指差して「んー!んー!」と何かを強く言っています。

 

どうやら、「それは違う子のダンボールだったはずだ!」ということを言いたいようです。再び正義感による行動。乱暴だけど性格は優しい。誤解されやすい男の子ですね。

 

ただし、ひっくり返っている子からすれば意味がわからない。ダンボールを奪ったことがダメだったということと、今ひっくり返されたことは結びつきません。ただ襲われたようにしか理解できない。学びにはなっていない。ただの暴力にしかならない。

 

もちろん、力で解決するやり方を覚えてしまっている手前の男の子は、他の解決方法を身につける必要があります。実は、言葉をもっと使えるようにならなければ改善はありません。行動できてしまう子は、言葉を使う必要がなく解決できてしまうので言葉が育ちにくいんです。意図的に言葉を使わせていく体験を繰り返していく必要があります。

 

だから、この子に必要な体験は「言葉で説明しないといけない状況」です。言葉を喋りたくなる体験。それがこのプロジェクト内で訪れるのがベストですが、日常でもそれを狙っていくのが良いのです。

 

 

 

みんなでダンボールを叩く

せっかく手に入れた仲間になるための「資格」も使い道がわからない。自分がやったことがないことは、誰かがやったのを真似るしかない。さっき、ダンボールを叩いて3歳児の女の子を倒してしまった2歳児の男の子の真似を、2歳児みんなでやってしまっています。

 

ダンボールをみんなで叩く。中に3歳児の女の子がいるのに。

 

こうやって不適切行動が連鎖していくのが子どもの世界。特に2歳児クラスはこういうことが起きやすい。善悪を判断する力が幼児クラスほど身に付いていないから、なんでも真似をする。年齢的にそういうものなのに、子どもの主体性を発揮させるという意味を履き違えて何でも許す保育をするともうめちゃめちゃになります。全国いろんな園でこういうことが今起きています。子どもの主体性は悪い方に発揮させてはダメに決まっている。

 

私たち保育士は教育をしているのだから。子どもを正しく導かなければならない。

 

 

自分で失敗を取り返す!

そこに助けに来る2歳児の男の子。さっき叩いて自分が倒してしまったことを実は気にしていたんですね。今度は3歳児の女の子を守るために体を張っています。

 

やってしまったことは変えられない。だから、これからの行動で示していく。自らの意思で生まれ変わっていく。

 

大人も見習いたいものですね。この子の純粋さを大切にしていきたい。

 

 

仲間に教える、仲間から教わるという学び合い

紫のボールが「資格」であることを分からない子がいたら自分から教えていく。そういう選択肢もある。一周回って、自分の紫のボールを男の子に渡すという行動に出ています。これで一緒に遊ぼう。そう言っているのと同じです。言葉ではなく行動でコミュニケーションを取るのが乳児クラス。

 

言葉に頼る保育士ではこういうやりとりを理解できない。言葉の世界に生きていない乳児クラスの子どもたちには、言葉ではなく行動をよく見ておく必要がある。行動の裏にある「意味」「意思」を感じ取るようにする。

 

孤独からの脱却は仲間からの誘い。そして今度こそ理解する。ルールを守ること、そして誰かを排除しないこと。一緒に遊ぶために周囲に自分を合わせていくこと。

 

この1時間は彼にとって大きな学びとなりました。もう何かを奪うために大きな声を出すこともないでしょう。それがマイナスの結果になることを嫌というほど理解したのだから。

 

 

2人の時間を過ごす

最終的に3歳児の女子2人は、2人でダンボールに入ってまったり過ごしています。ダンボールに入りたいという興味が一致し、2人で触れ合うことに心地良さをお互いが感じている。

 

これも4歳児5歳児クラスでゆりかごの上に5歳児2人が乗るシーンがありましたね。興味と喜びを共有できれば、最高の時を一緒に過ごせるのです。

 

一緒にダンボールに入って「何もしない」という遊び。ただ友達が「そばにいる」という遊び。親密さを、空気感を味わう。

 

 

「寝る」という「資格」

ダンボールの中の男の子を攻撃するのではなく、自分たちも一緒に寝る。そういう選択肢もある。平和を願う女の子に説得され、戦いではなく同じことをすることで仲間意識を感じ取る。

 

寝ることが「資格」になる。それがイメージの共有。仲間である印。寝る遊び。「何もしない」という遊び。

 

3歳児は最後にみんな武器を捨て、壁を越え、丸腰で横になるという仲間の絆を手に入れました。

 

「何もしない」ことが許される関係って素敵ですよね。気を使っていないということだから。良い判断をしました。素敵です。

 

 

笑顔いただきました!

人と遊ぶためには「資格」が必要であること。人と争わないこと。力で解決しないこと。排除せずに共有すること。

 

1時間の中でたくさん学びました。最後の笑顔を見れば、この時間が2人にもたらしたものがわかります。経験が宝物なのです。

 

しかし、背後には何も変わっていない2歳児の男の子の後ろ姿が。まだ全員が学べてはいません。

 

そして、全員が同じ目的に向かう活動になるのがプロジェクト保育。まだ、そこまで来れていない。

 

まだ、旅の途中。

 

 

1人で歩き回るのはいつものこと

片付けも終わり、最後の挨拶なのに歩き回る2歳児。まだプロジェクトの中では学びが起きていない2歳児ですね。この子の物語は次回以降で語ることになります。

 

3歳児たちから「座るんだよ!」と教えてもらい、座ることができました。これまでは2歳児が争っていても片付けをしなくても何も言わなかった3歳児たちですが、やっと関わろうという意思が出来たようです。おそらく、3歳児同士の絆が深まったから。3歳児全体で2歳児に向き合う準備ができたということでしょう。1人で向き合えないことでも、仲間と一緒なら向き合える。そういうことです。

 

大人に言われるのではなく子どもに言われるほうが効果があるんですよね。やっぱり一緒に遊ぶ人たちに嫌われたくないですから。大人はわがままを言っても許してくれる存在であることがバレているから、大人が指摘しても逆に言うことを聞かなかったりする。

 

子どもは子どもの世界で育ち合うのです。2歳児と向き合う準備ができた3歳児。トラブルから学びつつある2歳児。異年齢の縦割りという環境で、次回ついに2クラスが向き合っていきます。

 

 

以上、2歳児3歳児の第2回でした。

 

今回は2歳児クラスの子どもたちを主役に置いて解説しましたが、3歳児たちにもドラマはあります。全部語るには長すぎてしまうので、焦点を絞らせてもらいました。

 

さて、体験で学ぶという意味をわかってもらえたのではないかと思います。2歳児という年齢でも、十分に遊びを学びの時間にすることが可能です。保護者の方も保育士も、2歳児を赤ちゃん扱いしすぎているんですよね。そう感じます。

 

私たちが思っているより、彼らはいろんなものを見ていて、たくさん考えていて、落ち込んだり、悩んだり、喜んだりしている。一度、偏見を捨てて1人の人間として見てみると良いと思います。守るべき子どもとしてではなく、1人の人間として尊重して観察してみる。そうすれば、赤ちゃん扱いすることは子どもたちに失礼であることがわかるはず。

 

喧嘩した後にすぐ反省して謝った後に仲良くなる。自分がやってしまったことを八つ当たりせずに1人で抱えて処理する。失敗した後にそれを取り返す行動をしようとする。自分の大切にしていた宝物の半分を落ち込んでいる人に渡す。

 

2歳児がこれだけのことをしているわけです。私たちは今の年齢で、これと同じことができるでしょうか?失敗して諦めたり、関係悪化した人と距離を取る。そういう大人ばかりではないでしょうか。この子たちはすごいですよ。そんな素晴らしい子どもたちに、私は偉そうに命令したり頭ごなしに説教なんてできない。

 

いつも子どもたちからたくさんのことを教わります。もっと人間として成長したい。この子たちの素晴らしさに私も負けていられない。もっとこの子達から尊敬される大人でありたい。そんなことを考えた回でした。

 

 

さて、ここから後半戦です。ここから怒涛の展開を見せていきます。