だんだん集団としてまとまってきた5歳児クラスのお化け屋敷プロジェクト。まとまってきたからこそ別の問題が発生してくる後半戦のスタートです。全12回のうち第8回と第9回の様子をお届けします。長いシリーズになってしまいましたが、そのぶん子どもの変化を丁寧に解説していきます。

 

それでは、どうぞ!

 

 

♯8

パーテーションは世界を分断する

第8回。今日も園長をパーテーションに閉じ込める。前回の遊びの再現であると同時に「大人は子どもの世界に入ってこないで」のメッセージかもしれません。

 

「今日のトラブルは自分たちで解決するよ」という静かだけど強い意思を感じます。

 

 

周囲の変化に気付きやすくなっていますね

「あー!だれー?これを壊したのはー!」

 

大きな声で破損したゴミ袋が落ちていたことを右の子がみんなに報告します。

 

「○○君がやったんでしょー!ダメでしょー!」

 

見てもいないのに決めつける。というか、これはごっこ遊びですね。「叱る大人」を演じているだけです。こういう言い方を保育士はしませんのでドラマか何かの再現でしょうか。大人は嫌な気持ちはしないけど、きっと子どもたちはこの発言にも傷ついてしまう。

 

 

言ってしまった自分が一番わかっている

「あのさ、そういうの良くないと思うよ。○○君はやっていないんじゃないかな」

 

真顔の男の子に正論で突っ込まれる。もちろん本気で「○○君がやった」とは女の子の方も思っていない。ノリというかふざけて言っただけ。楽しくなって余計なことを言っただけ。

 

自分でも言ってはいけないことを言ったことがわかっている・・・。

 

 

呪いの人形、再び

壁の中に入って、赤鉛筆で壁を刺す。何度も何度も。

 

指摘されたことが嫌だったのではなく、自分自身が許せない。

 

前にも「真似しないで」と責められた子が同じように赤鉛筆でダンボールを刺して穴をあけていましたね。同じような行動に出るあたりも、無意識に子どもたちが影響し合っていることがわかります。

 

特にマイナスの行動は周囲に影響を与えやすい。大人も同じですけどね。ネガティブな感情や行動のほうが影響力が強い。これは覚えておいて損がない法則です。

 

上手な保育士はネガティブな感情や行動が集団に伝染していくのを放っておかない。もっと上手な保育士は、ネガティブな感情や行動が集団内に出たとしても、その体験を学びに変えていく。

 

失敗から学ばせるのが教育です。失敗させないのが教育ではありません。

 

 

大事なことなので、もう一回言っておきましょうか。

 

 

失敗から学ばせるのが教育です!

 

 

全体的にふざけの雰囲気になっている

その「〇〇くん」ですが、別の子が逮捕していました。

 

「僕やってないよ」

「逮捕でーす」

 

「〇〇君がやったんでしょー!」の発言しか聞いていなかったから、犯人だと決めつけている。犯人扱いすることで女の子の仲間になろうとしてやっています。ろくろっ首の紙を破った時と同じです。自分で考えずにキャッチーな刺激に流されてしまう。子どもあるあるというか、深く考えていないし、話をよく聞いていない。

 

流れてきたネットの情報を真偽も確かめずに信じてしまうのと同じ。フェイクニュースが最近話題になっていますが、これからの時代は「情報を自分で判断できる子にするべき」というのが世界中の教育者の共通認識だそうです。

 

私はそれをこのプロジェクトでも学ばせたい。何が正しくて何が間違っているのか。それを自分の頭と心を使って判断できる子になってほしい。

 

 

呪いの人形、三たび

さっきの子と同じように、みんなから「○○君はやってないよ」「やめなよ」と指摘され、ダンボールの中へ。真似をしてダンボールに穴をあけています。

 

負の連鎖。ナガティブな感情と行動が部屋中に広がっていく。

 

 

ダンボールをちぎる幼児の握力やばい

自分はやっていないのに犯人扱いされ、追いかけられ、不当に逮捕された。気持ちの整理がつかないのでしょう。お化け屋敷作りの最初の方で他の子が作っていたダンボールの看板をちぎり始めました。

 

物に当たることで整理をつけようとしています。壁に穴をあけるのと同じです。

 

 

気持ちを自分の中で処理できないんですね。大人でも八つ当たりをする人っていますが、なかなか自分自身で複雑な感情を上手く飲み込むのは難しい。

 

エネルギーをどこかに向けなければ心の中を整理できない。

 

例えば、そもそも犯人扱いされなければ、ダンボールを千切ることはなかったはず。この子だけが悪いと判断するのは違う。

 

 

トラブルのほとんどは誤解から生まれるんです。

 

 

みんなで作った入口は不思議の世界への入口

一方こちらは前回のラストで男子みんなで作った入口が完成。見本となった写真を完全再現です。確実にお化け屋敷の完成に近づいています。

 

 

 

みんなで作った受付は現実とお化けの世界を繋ぐ

女の子たちが作っていた受付の小屋も完成。屋根があるのがポイントですね。ちょっとした秘密基地感があります。

 

 

入口と受付が完成したことで、全体の制作としては、細かいものを残すだけになりました。

 

 

 

園長がヒロインの物語

女子2人は、ダンボールに穴をあけるという八つ当たりから、園長をパーテーションに閉じ込める八つ当たりへ。直接的な破壊行動から、閉じ込めるごっこ遊びへ移行したことで、危機的な状況からは抜け出したと考えられます。

 

物へ当たる行動から、自分の気持ちを大人に向ける段階に変えています。他者に気持ちが向き始めている。お友達にネガティブな感情をぶつけるわけにはいかないから、大人に向かって感情を吐き出しているんです。

 

外で頑張ってストレス溜めた人が、家庭内で八つ当たりするのと同じです。園長にはネガティブな感情をぶつけても受け止めてもらえると思っている。「この人は大丈夫」という信頼というか確信がある。

 

その行動を見て園長を助けようとする男の子たち。女子2人と男子の戦いごっこへと発展します。

 

 

とっても楽しそうな笑顔(悪いことは楽しい)

一瞬の隙をついて園長をガムテープでぐるぐる巻きにする女の子たち。

 

囚われの園長。

 

抵抗することもできましたが、男の子たちが助けようとしてくれていたので、子どもたち同士の対話が生まれるかなと思って、されるがままになって様子をみます。

 

 

さぁ、助けに来てくれ!

 

 

拘束具を破壊していく

予想通り、助けに来る男の子たち。この子は前回ふざけて走り回っていたことで女子に逮捕されていた子ですね。立場が逆転しています。

 

 

間違っていることを間違っていると言い合える関係性がなければ、その集団は歪んでいく。自浄作用というか、自分たちだけで改善していけるだけの機能を備えていく必要がある。今はそのリハーサルをしているのと同じです。園長を助ける遊びを通じて、「良いこと」と「悪いこと」の対立を経験しながら、学び合う関係になっています。

 

 

子どもの世界に大人はいらない

そこから園長を間に挟まなくても、追いかけっこが始まりました。それを見て、私は静かにその場から離れていきます。つまり、子どもだけの遊びが広がるようにします。

 

いつまでも大人が一緒に遊んであげたら、子どもの対話が広がらない。引き際が肝心。

 

 

興味関心という諸刃の剣

追いかけっこをしてみても、結局、気持ちは収まらない。物に当たるしかない。犯人扱いする発言をしてしまった罪悪感が消えません。

 

男の子の1人が真似をして穴をあけようとしたら「ここは女の子だけしか入れないんだよ!出ていって!」という大声が。

 

うーん。意味不明のルールを作り出していますね。

 

自分で気持ちを落ち着かせられないからペンでダンボールに穴をあけるというのは理解できるけど、関係ない子まで穴をあけていくのは破壊行動を求めていくことになるので保育としては適切ではありません。

 

自由にやりたい事だけとか楽しいことだけさせるような保育を繰り返すと、善悪の判断をする力が育たない。個人の興味関心やノリで行動する子になってしまう。

 

子どもは前後の文脈や意図を考えずに、「面白そう」だけで真似してしまいますからね。こういう不適切な行動を日常の保育で保育士が許していると、全体的に良くない行動が流行してしまいます。

 

 

だから、プロジェクト型保育では、子どもたちの育ちを重視しているんです。善悪も子ども同士の体験で学べるようにしています。

 

 

 

小窓からの正論

「女の子しか入れないとか、そういうルールはないんだよ!」

 

小窓から顔を出し、正しい方向へ修正しようとする女の子。先ほどの男の子たちと同じように、集団の中で自浄作用が発生しています。子ども同士で間違いに気付けるようになってきています。

 

 

失敗は繰り返すものです

男の子だけでなく女の子にも正論を投げかけられ、また穴をあけるという行動へ。一度獲得したパターンはそう簡単に消えない。子どもは同じ行動を繰り返す。

 

 

しかし、今回良くないのは穴を開けた先に男の子が貼った絵があったこと。そして、その絵は過去に一度自分が破り捨ててしまった「ろくろっ首」の絵。

 

 

なんてこった。

壁の反対側に何があるかを意識していないから、こういうことが起きてしまう。

 

 

だけど、壊された「ろくろっ首」を見れば、みんなは怒ることは確実です。

 

 

 

出入り口からこんにちは

穴をあける音が部屋中に響き渡る。

 

「音がうるさいんですけど!ちゃんと作りなよ!」と言われてしまいました。穴をあけることをやめる2人。

 

もう完全に、大人はいらない。子どもだけで解決していく集団へと変化したのかもしれません。

 

 

子どもだけの対話による解決

そして気が付く。再び破壊されている自分が作った「ろくろっ首」の紙に。

 

集まる仲間たち。

 

またやったの?そんな雰囲気が漂う。

 

仲間たちから穴をあけた女の子に「なんでそういうことするの?」「また同じことしてんじゃん」「やめなよ」「作った人の気持ちを考えなよ」と次々と指摘がありました。

 

「う・・うん。」

 

すぐに自分がやったことの間違いに気が付きました。前回の反省が生きています。

 

穴をあける動きが、まさか誰かの作ったものを壊すことに繋がるとは思っていなかったのでしょう。何がどこに繋がるのかわからないから、慎重に考えて動くべきだった。そもそも貫通させるのは危険な行為なのでやるべきじゃない。そういう気付きを与えてくれる体験になりました。表と裏という空間認識についても強烈に学びました。

 

 

「やめなさい」と大人が叱るだけでは何も学ばなかったでしょう。子どもにとって何が学びになるのかをよく考えていかないといけません。

 

 

みんなの心が繋がっていく

そしてもう1人。ダンボールをちぎっていた子に対してもみんなの意識が向く。

 

「それは〇〇君が作っていたやつじゃん!」

 

 

誰かのために怒ることができる子

「○○君のやつ、壊さないで!」

「う、うん」

 

さっき自分の紙が壊された時は怒らなかったのに、友達の作ったものが壊された時に本気で怒っています。

 

他人を思いやる心、そして相手にぶつかっていく勇気が育っていく。

 

 

そして、指摘されたほうも何かを感じる。学ぶ。何が良くて、何が悪いのかを。

 

 

 

見えにくいけど、穴を開けてしまった女の子のことです

自分がふざけてぶちまけたスズランテープに絡まって転んだ男の子に駆け寄り、スズランテープを解く。せめてもの罪滅ぼしか、自然発生した行動なのかはわかりません。ですが、正しい行動とは何かを学んでいる「途中」なんです。

 

「ろくろっ首」を2回壊してやってしまった。これが彼女にとってどういう意味を持つのか。大きな反省として心に刻み込まれていれば良いのですが。この時点では見えてきません。

 

子どもたちはまだ「発達過程」。これから、いくらでも伸びていく。私たち大人の関わり次第で。

 

 

保育士という職業

最後は、みんな笑顔になってお化け屋敷の制作を進めていました。

 

担任の保育士がいるから、ぶつかっても気持ちがバラバラにならない。

 

保護して育てるから保育。私たち保育士が大きな心で子どもたちを包み込み、守っているからこそ、子ども同士がぶつかり合いながらも安心して育ち合うことができる。

 

保育士に愛がなければ、きっとギスギスした関係のままで終わる。子ども主体の保育というのは、保育士の愛が主体的に発揮されていなければならないのです。

 

 

♯9

気持ち悪いのは見た目ではなく、そこに宿るマイナスの感情

第9回。開始早々、「このブツブツなに?」と集まっています。前回、八つ当たりでダンボールの内側から赤鉛筆で穴をあけた子がいましたが、外側から見るとこう見えるんですね。

 

「なんかこれ、気持ち悪い」

 

 

他人のアイデアで輝く骸骨

骸骨は直立するためにダンボールに設置したわけですが、女の子のアイデアで骸骨のバスになりました。当日はお化け屋敷内をバスが運行することになり、そのリハーサルを行なっています。

 

自分の作品に他人が意味を与える。他人のアイデアで価値が生まれていく。

 

 

お化け製作所

男の子たちは自然と集まって制作を開始しました。全体のコースや壁はできたので、中身を充実させようということです。お客さんを脅かすためにお化け役のお面を主に作っていきます。

 

輪になって内側を向いていますが、みんなで作るという意識があるからこうなるんです。だから初回の方では壁に向かってバラバラに作っていましたよね。空間の使い方一つで子どもたちの関係性もわかります。

 

みんなで歌を歌いながら作ってる。良い雰囲気です。ずいぶん仲良くなりました。

 

 

ちょっと男子、ちゃんとやってよね

女の子たちはお化け屋敷の本体の方の最後の仕上げを進めています。クラス全体で、自然と役割分担ができています。

 

「ちょっと男子!うるさいんですけど!」

 

男の子たちが歌っているのを聞いて、女子が文句を言っています。なんか中学校みたいで面白い。男子ってバカねって感じでしょうか。

 

 

 

ブツブツ隠し大作戦

やはり気になるブツブツ。

「隠そう!」

 

そう言ってガムテープでブツブツを見えなくするように貼っていきます。

 

引きこもっていた時にダンボールの壁の中で黒い文字をガムテープで貼っていた女の子。この子がこの穴を見たら必ずこうなると私は思っていました。

 

隣では自分が作ったお化けをブツブツの上に貼っている男の子。それもナイスアイデアですね。

 

ブツブツ隠し大作戦の開始です!

 

 

絆創膏と同じ効果ってことです

他の女の子たちも集まってきました。

「中をやるね」

「外を貼りまーす」

「お願いします!」

 

仲間がつけた傷を、仲間が覆ってあげる。集団における自然治癒力の発揮です。傷を優しく包み込む。

 

 

お化けのお面は十人十色

お化けの役が必要ということで、お面を男子みんなで作成中です。

 

それぞれが考える作り方でお面が完成していきます。できたら装着してお互いに見せ合う。そして褒め合う。

 

「いいね、それ」

「〇〇君のすごい!」

 

お互いを尊重し合う雰囲気。なんかどんどん良い雰囲気になりますね。

 

 

褒めれば良いというわけではないという例

お化けのお面作りチームと会場作りチームで分かれてどこまでできたかを発表し合う。

 

「すごい」「かっこいい」など褒め合うような意見が出ます。

 

だけど子どもは純粋だから、褒められない子も出てくる。明確に周囲の評価に差が出る。そこを敏感に感じてしまう子もいます。褒め合う雰囲気であるが故に、褒められないことで「察する」人が出てくるんですね。

 

自分の作ったものは、そんなに良いと評価されていないという「モヤモヤ」。SNS時代を生き抜くために乗り越えるべき「承認欲求」の問題ですね。

 

 

 

嫉妬と挫折

自分のお面より、友達のお面の方がすごい。自分でそれを理解してしまう。目の部分をくり抜くだけの自分より、くり抜いた目の部分をセロハンテープで覆うというやり方を考えた子のほうがすごい。悔しいけど、そっちの方が面白い。

 

今まで他人のサポートに回っていた子が、自分自身で作りたいものを作った時に自分の上を行くという事実。みんなも自分のお面ではなくこの子のお面に興味津々だった。

 

ショックを受けて自分の黄色いお面を破り捨ててしまいました。

 

今まで他人のものを壊すという問題が多く発生していましたが、自分で自分のものを壊すという新しい問題の発生です。

 

人は他人に優しくするだけでなく、自分自身を大切にできなければいけません。他人のために怒ることができる子が、自分自身には優しくなれません。

 

 

小さな挫折・・・。

 

 

だけどそれは成長するための試練のはず!

 

きっと乗り越えられる。私は君を信じている。

 

 

できる人間は孤独になる

誰とも関わらず、黙々と作業に取り組む。

 

誰かに指示を出しても正確に伝わらなかったり、場の雰囲気が悪くなることがある。だったら誰よりも先に気付いた自分ができることをさっさとやってしまおうということでしょう。

 

それも一つの選択肢。誰かと一緒に作ることだけが最高なのではなく、1人でも作れるし、誰かとも楽しく作れるほうが良い。それができる子を目指すのが教育です。解決のための選択肢は多く持っていた方が良いんだから。何かに偏ったらダメです。柔軟に評価していかないと。

 

人より気が付く人は、人より不安に感じやすい。

人よりわかる人は、人より傷付きやすい。

人より動ける人は、人より仕事が増えやすい。

 

大人も子どもも同じです。できる人間は孤独になる。だけど、それを見ている人がいるという事実が大事です。少なくとも私は君の決意と頑張りを見ている。チラッと目があった時に、お互いニコッと笑顔になった。それでいい。その繰り返しで「誰かが自分を見てくれている」という確信に変わり、孤独から自立へと「1人でいること」の意味が変化していく。

 

 

あの日の私たちではないのです

前回、仲間が内側から穴を開けたことで壊れた、ろくろっ首の紙。それを自発的に女の子たちが張り直しています。

 

誰かのために何かをすることが普通になってきました。しかも3人で力を合わせているのが良いですね。

 

 

くり抜いて誰かの描いた目を活用する

内側の穴もだいぶ塞がりました。男の子が残った部分を自分が作ったお化けの絵を重ねて貼ることで見えなくしようとしています。

 

そして、別の誰かがダンボールに描いた目と、くり抜いた自分の絵を重ねることで、目のあるお化けになっています。1人で作ったお化けじゃなく、誰かと一緒に作ったお化けのほうが面白い。時間を超えた協力。

 

「協力する」というのはその場にいない人ともできるんです。

 

 

ゴムパッチンは悲しみの音を奏でる

お面を諦めて「ゴムパッチン」を作る。みんなに見せて回るけど、みんな相手をしません。お化け屋敷と関係のないものにみんなは興味がないからです。

 

お面を新しく作るとクオリティで友達のつくったお面に負けてしまう。だからもうお面は作ることができない。「僕はゴムパッチンが作りたいんだ」ということにしようとしています。自分の心に嘘をついている。本当はお面を作りたいのに。

 

 

呪いの人形の具現化

ガムテープで包丁を作りました。呪いの人形が持っている包丁。見本の写真でも人形が包丁をこのように持っていましたが、その再現です。

 

「こうやって持つんだよ」

 

一年半前、当時4歳児クラスの時のプロジェクトで、ダンボールの包丁を園長に向けるという遊びをしたのもこの子でした。その時のテーマは「愛情と攻撃性の未分化」というもので、仲間に向き合えずに園長に気持ちを向ける話でした。今は、仲間に言いたいことを言い合える仲になっています。成長を感じますね。

 

 

包丁をこのタイミングで作ったのは偶然ではありません。呪いの人形のようにペンを持ってダンボールに穴をあけるというネガティブな感情の表出。その穴を優しくガムテープで包み込む作業をした後に、この包丁を作っています。

 

実は、ペンでダンボールに穴をあける行動は「呪いの人形ごっこ」だったんです。だから、その呪いの人形が持つ包丁を現実的にガムテープで作ってしまえば、今後はそのガムテープ包丁を使って呪いの人形ごっこをすることになる。つまり、もうペンを使う必要がなくなるから、ダンボールに穴をあけたり作ったものが壊れることがなくなる。

 

このガムテープ包丁があることで、誰も傷付けない呪いの人形ごっこができるようになる。包丁を作るというショッキングな制作も、この子の優しさが生み出しています。もちろん、そんな深い理由を本人たちは意識できていません。分析してみれば、そういう解釈もあるよ、ということです。

 

 

ダイナミック回転出産

「生まれたー!」と言いながら何度もひっくり返る。

 

新しい自分に生まれ変わりたい。友達に嫉妬して劣等感を持つ自分を変えたい。生まれ変わる遊びは、変化の兆し。この子が変わる瞬間は、きっともうすぐそこまで来ている。

 

 

 

2人は自然体

2人はもう誰かの命令に従うことはありません。自分で考え、自分で行動します。

 

誰かと争うことはありません。流されることもない。お化け屋敷はみんなのもの。みんなで作りたい。

 

1人で作るんじゃなくて、助け合って協力し合って進めていきたいと思っています。

 

 

すれ違う心

だからパーテーションを1人で運んでいた子に「一緒に運ぼうか?」と声をかけました。協力する方が良いと本気で思っています。

 

だけど、運んでいた子(包丁を作った子)はその提案を無視して1人で運びます。1人でやりたいってのは子どもの自立心の表れ。そういう気分の時もある。

 

それを見ていた男の子が「みんなで運ぶんだよ!」と大きな声で指摘しました。

 

大きな声での指摘は誰もが嫌なものです。たとえ、その内容が正しいとしても。

 

 

こういうところ、よく気がつく子です

ショックで動けない子の手首を掴み、みんなの元へ連れていく。一部始終を見ていた右の子だからこそ、左の子が何に傷ついているのかがわかる。

 

言い方が強かったからショックを受けているんじゃない。みんなの言う通り、複数人で運ぶ方が良いのに無視して1人で運んでしまった自分への怒り。一緒に運ぼうかと手伝おうとした子の気持ちを無視したという罪悪感。

 

 

みんなが正しくて自分が間違っていることがわかるからこそ、苦しい。

 

 

涙の理由

全員集合しますが、涙を止めることができない。それを気にする仲間たち。春のプロジェクトでは泣いている子がいても全員「関係ない」という態度でしたが、七夕まつり、鼓笛、お化け屋敷を通して、それぞれに優しさが育っています。

 

なんでこうなったのかを説明する子、静かに聞く子、質問する子。それぞれ反応は違っても、クラスの心は一つになっている。

 

それぞれが話し、「みんなで運ぶんだよ!」と強い口調で言った男の子の言い方が良くなかったのではないかという結論になりました。子どもだけで話した結論です。

 

 

涙の理由2

自分の言い方が強かったことを自覚し、涙する中央の男の子。

 

内容が正しいかどうかじゃなく、相手にどう伝わったか。相手がどう思ったのかを考えて発言する必要があるという理解。

 

これも大人に注意されるのでは得られない体験。子ども同士の心の交流の中で、特別な体験として心に刻まれました。

 

春の七夕まつりプロジェクトでは他人に遠慮したり興味がなかったり、秋のお化け屋敷プロジェクトが始まってからはチームを分断して争ったりしているところから始まり、そして今回はお互いに褒め合ったり間違いを指摘し合うところまで来た。

 

そして今、相手に伝えればいいというわけではなく、言い方まで気をつける必要があるという気付きまで辿り着きました。

 

 

一つ一つの出来事が子どもを作っていく。毎日の大切さ。お勉強が大事なんじゃなくて、行事が大事なんじゃなくて、こういう日常の中での気付きが子どもを変えていく。日常を疎かにしていては、子どもはちゃんと育ちません。それがよくわかる回となりました。

 

 

 

以上、第8回と第9回の様子を解説させていただきました。

 

最初の頃は私が子どもたちを集めて「こういうことがあった」と説明したり、担任の保育士から「前回破いてしまった紙をどうする?」と渡したりしていましたね。後半になると子どもたちだけで気付き、対話し、解決しています。

 

この見極めが難しい。どこまで大人が介入するのか、どこまで子どもに任せるのか。

 

私は実際に言葉はかけていないし集合を促したりはしていませんが、心は離していません。全員の心の動きに注意を払い、解決を期待し、祈り、成功した時に心の底から感動しています。直接的ではない保育士の雰囲気や振る舞い、存在感が子どもに「安心感」を与え、子どもだけの解決という「挑戦」へと向かっていくのです。

 

子どもたちの明らかな変化を感じていただけたのではないかと思いますが、こんなものではありません。次回は、さらに加速する子どもたちの成長を直前準備までの様子と合わせてお届けします。