5歳児クラスのお化け屋敷プロジェクト全12回のうち、第6回と7回の様子をお送ります。前回は女子同士のぶつかり合い、男子と女子のぶつかり合いが起こりましたが、今回は新たな争いが起こります。ぶつかりながら仲良くなるプロジェクト、それではいってみましょう。
♯6
第6回。全てを繋いでいくことはもうみんな抵抗感がなくなりました。誰と作るかではなく、お化け屋敷をみんなで作るというイメージで完全に共有されています。ある意味、やっとスタートラインに立ったという感じですね。
大人が子どもに「やらせる」のではない場合、子どもが「やる気になる」のには、やっぱりこれくらい時間がかかります。焦ってはいけない。子どもはゆっくり変わっていくんです。
前回、心を癒したベンチ。補強から入ります。男の子たちには思い入れがあるんでしょう。作った3人は今日も集まって補強します。
奥の方では骸骨の修理をしています。製作者と常に誰かのサポートに回る子が一緒に行っています。
このように、1人でやるのではなく自然と複数人で進めていくようになってきました。良い感じです。
前リーダーと新リーダーはもうリーダーではありません。2人は争うこともなく仲良く協力して作業に向かっているようです。
集団に影響を与えやすい子どもたちの変化は、集団そのものの雰囲気を変えていきます。
みんなで作る。自分のものに固執していた子たちが今日は全体のことしかしていない。素晴らしい展開です。
何を作りたいかではなく、まず全体を見て何をすべきかを考えています。
壁の外側と内側、それぞれ役割分担をして屋根を設置しています。命令や指示出しはなく、気持ちの良いコミュニケーションが発揮されます。
「そっち持っててくれるかな?」
「オッケー」
自然に起こる協力体制。
遊びが深まると立体的な思考になっていくものですが、屋根もその一つ。空間の中で高さの概念が入ってきています。
「○○君にどうすればいいか聞いてきて」(右、装飾品の制作をする人)
「わかった」(左、連絡中継をする人)
「あのね、怖い絵を描いて欲しいの」(奥、お化け屋敷本体の制作をする人)
ついに完全に役割分担する子たちが現れました!
協同的な遊びに発展しましたね。これこれ。これが良いんですよ。
頼まれた怖い絵。赤い鬼というリクエストに応える。これまではバラバラに描いたり作っていましたが、一つの絵を2人で完成させるところまで来ました。仲良くなって来た証拠です。自分の作品という意識から、みんなのお化け屋敷という意識に変わったから、シェアできるようになってきたわけです。
誰かが作りたいものがあれば手伝う。そういう行為も自然に行われるようになりました。階段の再来です。あの時は完成までいかなかったんですよね。
仲間の力を借りて階段が今日は完成するのか。
「ねぇ、〇〇くんが階段を作りたいって言うから手伝ってるんだけど、なんでやらないの?どうして私が1人で作っているの?」
めちゃめちゃ正論すぎて、ぐうの音も出ません。はい。
階段を手伝わないどころか走り回ってみんなが繋げたところを壊していっていることを女の子たちを中心に数人から次々と指摘されます。
特に今回新しく複数人で作った「可動式のドア」を壊されたことをみんな不満に思っているようです。
「直せばいいんでしょ」と逆ギレみたいな言い方で直し始め、またそれがみんなの反感を買う。
「そうじゃないよ。そこじゃない!」とみんなに言われても無視。何度もみんなが指摘しますが、全部無視して違う形に作り直す。
「もういいよ。こっちで作り直そ」「うん」
指摘されることもなくなり、みんなが距離をとるようになりました。
ベンチをここに置く形、実は前回(第5回)の位置なんです。毎回大きなダンボールを出して再設置しているから、大まかには同じような配置だけど毎回ちょっとずつ変わっている。特に今回は新しい可動式ドアを作っていて、そこをお化け屋敷の入り口にしようとしていた。この男の子はそれを「見ていない」ので「前回の配置の記憶」で作り直そうとしたんですね。
大人で言えば最新のニュースを見ていないで古い情報で処理しようする感じですね。何が間違っているのか自分ではわからない。新しい情報に興味がないからです。もっというと仲間のやっていることにさほど興味がない。だから周囲を見ていない。自分が楽しいと思うことを優先するタイプだから、自分が楽しいものしか見ていない。それはそれで夢中になるタイプってことだから一概に悪いところだとも言えないんですよね。メリットもある。
ダンボールという高い壁で鎖国状態だったから1人で作っていた頃と違い、今回はこの子の中にある心の壁が障壁となっています。
自分が楽しいことじゃなくて、みんなが楽しいことと自分が楽しいことがピッタリ合うようになれば、この子は変われる。それがこの一連のプロジェクトの中で起こることを期待して、今は成り行きを見守っていきます。
コースがある程度完成したので電気を消して入り口から出口まで担任をお客さんに見立てて歩いてみる。コースどりの確認。
これでますますお化け屋敷当日のイメージが掴めるので、この後何を作っていけば良いかが想像しやすくなります。
最後に、何が不足しているのか、この後何を作りたいのか等を話し合いました。すると、「係」が必要であるという気付きがあり、作るだけで満足するのではなく当日の運営についての意識が生まれてきました。少しずつ本番を意識していきます。
担任の雰囲気も子どもたちの真剣さも変わってきたように写真から感じとれると思いませんか?
確実に変化している。それも、良い方向に。
♯7
第7回。長く休んでいた女の子が復活。休んでいた間にダンボールが全部くっついているわ、コースは決まっているわで、浦島太郎状態。何をしていいかわかりません。
とりあえず園長をパーテーションに閉じ込めるという動きに出ました。
平たく言えば、八つ当たりですね。
日にちが変わっても前回の体験による影響は引き継がれます。
1人でベンチの修理をする男の子。みんなを無視して自分のやりたいように強硬手段に出た前回の行動が双方の関係をギクシャクさせていきます。だけど、ああやってみんなから言われたことを無視したらこうなるんだなという学びを、今まさにしているところです。
みんな意地悪で一緒にいないわけではありません。それぞれが学んでいる途中。まだ大人が「仲間外れにしてはいけません」とか言うべきタイミングではないのです。
こういう体験を通して、「次からは人の意見を聞こう」とか「周囲をよく見よう」とか意識が変わってきて改善に向けて自分がどうすればいいかがわかる。
失敗からの学びを待ちます。
そして、ずっとこの子を1人にしておくような仲間達ではありません。私はこのクラスの子達を信じています。
そこへ1人の女の子が声をかけにきました。男の子が1人で作っていることが気になっていたのでしょう。
失敗から学んで欲しいけど、心配してくれる人もいるっていう学びも大切です。だからこそみんなの心を裏切らないようにしようって思えるわけですから。
さすがは私が信頼している子どもたちです。鼓笛で助け合った経験が生きています。思ったより早い解決になりそうです。
この女の子はすぐにお化け屋敷の中へ移動。埋もれていた骸骨を見つけ出し、修理して設置し始めました。
この展開はまさか・・・
今度は骸骨の制作者の男の子のところへ。
やはり、全体のサポートに回っている。今までは誰かに言われた通りに動くことが多かった子が自分で考え、自分1人だけで動いています。
主体性の発揮とはこういうことです。誰の影響とか損得じゃなく自分の心の声に正直になっている。
良いですね。個人での成長こそ本当の成長ですから。
何をすべきかを見失い、部屋全体を走り回る男の子2人。
楽しいことに貪欲な2人。お化け屋敷を続けるより、ガムテープを転がしたり走ったりする方が楽しいモードに入ってしまいました。
走り回ると前回のようにお化け屋敷が壊されてしまうかもしれないと制作を続ける子どもたちは思う。連想する。
走り回っている子たちは逮捕されてしまいました。
園長を閉じ込めていたパーテーションを牢屋に見立てて男の子たちを閉じ込めます。
ここからは牢屋から脱走する犯人と捕まえる警察のやりとりが数回行われることになりました。
お化け屋敷を作るという大きな目的はありつつ、遊びの要素が入ってきたんですね。
これはなぜか。
安心したからです。緊張が解けた。緊張感のあるぶつかり合いを経て仲良くなったので、本来の自分を出せるようになってきたということです。お化け屋敷作りも遊びですから、こういうのもありです。遊びに正解の形はありません。
集団の中でふざける人がいて、ちゃんとやろうという人がいる。その交流を通して「お化け屋敷を作りたい!」と心の底から思える集団が育っていくのです。
一通り牢屋ごっこで遊んだら、ちゃんとみんなお化け屋敷作りに戻っています。違う遊びをしているのを見た保育士は「今はお化け屋敷を作る時間だよ」とか言って叱ることが多いんじゃないかと思いますが、それでは強制させることになってしまう。自分でやりたいと本気で思わなければ、やる意味がない。
ちなみにみんなでベンチを修理していますね。もう1人でやっているわけじゃない。前回の衝突のわだかまりが解けた証拠です。ちゃんと関係は修復しながら進んでいく。仲間外れなんてこのクラスには存在しない。
でも難しいですよね。子どもは「1人で遊んでいた」とか家に帰って保護者に言ったりしますからね。そう言われたら大人はネガティブに取りますよね。だけど、その「1人で遊んでいた」ところにも理由があるし、学びがある。
大事なのは「なぜ起きたのか」と「何を学んだのか」です。子どもたちの関係に常に注意を払って見ておくのも大事ですね。
「こういうのはどう?」と写真を見せながら説明をしています。どうやら、お化け屋敷の受付のようです。
受付の必要性に気付いたということはかなり当日のイメージができているということですね。
自分が気付いていないだけで壊してしまうこともある。壁を倒してしまいましたが気付いていません。「僕じゃない」と言っていますが、この子が倒してしまったのを私は見ていました。嘘をついているわけじゃなく、気付かないことってあるんですよね。
今まではわざと壊したり遊んでいたことがトラブルになっていましたが、わざとではない事故で壊れるというパターンが新しく登場しました。
自ら牢屋に入る右に座る男の子。前方の白い壁を見つめながらじっと考え込んでいます。
「主体的・対話的で深い学び」が今の日本の教育であると何度も言っていますが、何でも子ども同士で関われば良いってわけじゃない。時には、自分が自分と対話する必要もあります。自分を見つめ直す時間。葛藤を飲み込む時間。冷静になる時間。
人の成長に絶対に必要な要素の一つは「孤独」です。
ゆっくりと立ち上がり、自分で倒した(かもしれない)壁を直していく。他者からの指摘を否定するわけでもなく無視するわけでもなく、自分の主張を押し通すわけでもない。
自分が納得いかないとしても状況を受け入れて集団の中での適切な行動をする。これはもう子どもじゃない。大人のすることですよね。
自分1人で直していたベンチを女の子たちに任せ、自分は男の子と遊び始めました。ここは評価が難しい。せっかく仲間が集まって来てくれたのだから一緒にやればいいのに、また自分がやりたいことをしているだけという評価もできる。
ここで私が思ったのは「ダンボールに入って隠れて出てくる遊びを男の子とやっているけど、この後、お化け屋敷の中で箱から急に出てきて客を驚かせるお化けになるんじゃないか」という読みです。
アイデアというのはどこに転がっているかわからない。刑事ドラマなんか見ていても、何気ない日常の中から事件解決の糸口に気が付く展開になることが多い。アイデアの種を大切に育てていく視点を保育士が持っていると、子どもの遊びが広がっていきます。
「入口」という看板を回転するギミックにする男の子。それを見て目を輝かせる女の子。他人のアイデアと作品に素直に感動する心を持っています。
大人に褒められるより、仲間が感動しているほうが子どもは自信がつくんです。だって、子どもの感動は嘘偽りがない純度100%ですから。大人は褒めようとか打算的な気持ちが少し出てしまう。子ども同士で育ち合う環境が大事だという意味がここにもあります。
2人で立体物を作る。骸骨は1人で作っていましたが、今回は最初から2人で作っています。1人で作るより、誰かと一緒に作るほうが楽しいと思っているからです。
そしてサポートに徹する左の子。地味だけどすごい。ひきこもる女の子に声をかけてダンボールにガムテープを貼ったり、全体の指示を中継したり、男の子と鬼の絵を一緒に描いたり。サポート能力がすごい。こういう子、組織に欲しいですよね。
小さい声で静かに揉めています。受付を作る話がありましたが、それが進んでいないことについて意見の相違があったようです。
「・・・・」
「・・・・」
「一緒に作る?」
「・・・うん」
以前2人が揉めた大きなダンボール。「真似しないで!」と大声を張り上げていたのが嘘のように、2人で協力して受付を作っていきます。
切り抜いたダンボールを有効活用し、カウンターを作りました。リーダー格の2人が協力すれば、なんだって作れるんです。
さっきまで2人で作っていたはずがいつの間にか男の子たち全員が集まって一緒に作っていました。
初回に比べると別のクラスみたいですね。安心して見ていられます。
そして女子たちも全員集合して受付を完成させていきます。カウンターの制作と、チケットの制作です。別にバラバラの場所で作ればいいのに、なぜか狭いところに入って作っている。
これは仲良くなった証拠です。争った子たちも、引きこもった子もみんな仲良く作っています。素敵な笑顔が見れました。
以上、第7回までの様子をお届けしました。
いろんなことがあったけど、乗り越えて仲間の結束が強くなった。子どもたちが学んでいる様子を感じ取れるんじゃないかと思います。
全12回ですからちょうど折り返しの回でしたね。ここから後半戦。5歳児が悩みながら、そしてぶつかり合いながら進む物語に最後までお付き合いください。