3歳児クラスの七夕プロジェクト。前回は2人の子どもの成長とクラスの関係に変化が生まれていく様子をお届けしましたが、第三回はこれまでと違った子に焦点を当てていきます。不思議と毎回主人公が変わっていくのが面白いですね。
♯3
前回のラストで仲直りをした2人。最初から2人で遊び始めます。
ちなみに使っている新聞紙や牛乳パックは、毎回同じものを使用しています。三回目になると新聞紙も結構丸まってますね。
第一回の時と違い、追いかけっこに入れるようになりました。追いかけてきているのはセロハンテープで拘束してきた子ですね。そういうことは今日はしない。健全な遊び方ができるようになっている。
ギャングたちも変化してきているんです。
健全な遊びができているのに、三つ編みの子に後指びを刺されています。どうやら「この部屋に一つしか存在しないピンクのジュースのパック」を使いたいけど独占されている、という主張のようです。
確かに前回の三つ編みをされているときにピンクのパックを持っていましたね。毎回、同じアイテムを使用しているから、こういう問題が起きます。ピンクが一個しかないから面白い。これを題材に成長するかもしれない。
人と触れ合うことができたなかった男の子が、ついに抱き合って遊ぶことができるようになっています。しかも第一回と第二回で支えてくれた女の子を同時に抱きしめるとは、なかなかやりますね。
ギャングだけではなく、今まで追いかけっこに入っていなかったメンバーも入っています。第一回では固定メンバー以外を仲間に入れないという暗黙のルールで動いていたようですが、第三回ではメンバーの入れ替えが自由になり、健全な形での遊びに進化しています。
もうギャングは存在しない。ただの仲良し集団です。
前回までのギャング遊びですが、倒したり拘束したりという行為を行ってはいましたが、全て手加減していました。やられている方も別に嫌がっていなかった。実は、あれって「ごっこ遊び」だったんですね。過激な遊びに大人はびっくりしてしまうけど、意外と子どもたちはわかってやっているというか、大丈夫だったりします。
もちろん、あまり良くはない遊びです。こうやって仲良く遊べるようになって本当に良かったなと思います。
エンジェルに抱きついている男の子に「離れろ!」と攻撃するナイト。こういうのは残っていますが、微笑ましい光景です。
楽しく遊んでいるのに、時折指を刺されてピンクのジュースパックが欲しいと言われる。
これが繰り返されます。
どこで遊んでいてもついてくる。
これをされることにより「第三者の存在」を常に意識しながら遊ぶことになります。今までは自分の気持ちだけ考えて遊んでいたけど、自分と違う考えや気持ちの人もいるということを、嫌というほど体験として理解できるわけです。
これ(ピンク)を欲しいのは僕だけじゃないし、僕が使うことで悲しくなる人もいるんだ。
言葉じゃなく、体験として心に強烈に刻み込まれる。
そして、自分から渡すという決断をする。
欲しい、独占したいという気持ちを抑え、相手の気持ちを考え、渡す。
大人が「貸してあげなさい」と言って納得がいかないのに渡すという体験と違い、自分で悩み考え決断した体験の方が深く心の奥底に刻まれます。これが深い学びです。
実はこのちょっと前に、他の子(ギャング)から新聞紙とセロテープで小さい玉を作って遊ぶという提案を受けていました。
ただ単に我慢してピンクのパックを渡すのではなく、自分にとって別の面白い遊びがあるのでパックを渡すという選択をしても良いと考えた。つまり、どちらかが我慢するのではなく、両方にとってメリットがあるという解決策を取っているのです。
ついに自分で使えるようになり、喜びの表情。
これはただピンクのパックが自分のものになったという単純な笑顔ではありません。お友達から譲り受けたという気持ちもセットで嬉しいのです。
その証拠に、ピンクのジュースパックだけでなく牛乳パックの方もさっきの男の子が使っていたものです。それを両方持ち、嬉しそうに眺めています。ピンクのパックだけのことを考えていたら、牛乳パックには興味がないはず。2つとも大事そうにしているということは、お友達からもらったというところに喜びを感じているという証拠です。
物に固執する子が、人とのやり取りに喜びを見出す。物より、人を好きになる。
そして仲良く新聞紙とセロハンテープで玉を作る。あんなに欲しがっていたピンクのパックを横に置き、取り合うでもなく、同じものをそれぞれ作っていく。
ピンクのパックが2人の心をつなげてくれました。
新聞紙で衣装を作っている子のお手伝いをしています。セロハンテープを本来の使い方で使って、誰かの役に立つ。ちょっと前まで拘束する遊びで使っていたのに、ここまで来ました。すごいスピードで成長しています。
作った新聞紙の玉を投げる。
牛乳パックをただ腕にはめるとか、破れた新聞紙をセロハンテープでくっつけるとか、そういう単純な遊びではなく、あるものを工夫して別のものを作り出す。
遊びを創造する。クリエイトする才能がこの子にはあります。
それが面白くて、みんなの遊びも進化していく。
だけどまたセロハンテープを引っ張ってロープのようにする遊びが始まりました。
せっかく今褒めたばかりなんですけどね、この2人。
この子たちを良い方向へ導くのも、私たち大人次第なんだということかもしれません。
しかし、その2人の遊びがまた周囲の興味を引いていきます。
セロハンテープの綱引きが始まりました。1人VSたくさんの人数です。
そこからそれぞれに引っ張って遊びます。
ついに、クラス全員で同じ遊びを展開することができるようになりました!
一体感。楽しい気持ちをみんなで共有する体験。これが協同的な遊びを今後進めていくための必要な経験値になっていきます。
クラスの一体感は、みんなの心を解放していきます。
1人寝っ転がっていた子に、2人から積極的に寄り添いにいく。
2人組じゃなくても良い。3人で仲良しだって嬉しい。
クラスみんな仲良しなんだ。
それも保育士に見守られていたからできたこと。
前回、前々回にお友達を見守っていた子たちは、今日は保育士に見守られて、こんな素敵な笑顔を見せることができたんです。
子どもだけの写真ばかりだけど、見えないところで私たち保育士の存在が影響を与えています。笑顔だったり、ハラハラしたり、悲しくなったり。みんなと一緒に心が揺れている。同じ空間で、同じ時を生きている。私たちと子どもの心が重なっていると思った時に、こういう素敵なことが起きる。
だからこそ、こうやって良い感じになった時に、私たちは心の底から嬉しいんです。
お片付けの時間。あまりにも嬉しくて「○○君が、これをくれたの」と他の子に説明しています。嬉しさを誰かと共有したい。
そして、偶然それを聞く、張本人。なんだか照れ臭い。でも喜んでくれてよかった。僕も嬉しい。
きっとそう思っているんじゃないかと思います。だから、次もピンクを独占するんじゃなくて渡そうかなと思う。渡した結果、相手がすごく喜んでくれていると明確に認識することが最大のご褒美、褒めになっているんです。
マイナスの連鎖が起きていたクラスは第三回にたくさんのプラスの連鎖で、すっかり仲良しになりました!
以上、第三回の様子でした。
4歳児も5歳児も面白かったですが、3歳児の物語も面白かったですね。子どもが実際に起こした出来事をわかりやすくまとめているだけですので、このブログは本当に子どもたちが起こしたエピソードなわけです。なんでこんな上手くまとまるのか不思議ですよね。
プロジェクトを進めている渦中では「これ、本当にハッピーエンドになるのか?」と私たちも正直不安を感じています。特に担任の保育士からすればそうでしょう。
私は遊びを観察しながらある程度「何が起きているのか」「どうなるのか」の予測を付けられますが、普通の人はただ遊んでいるようにしか理解できないと思います。
私にしても、こうやって写真を選抜して文章をつけていく過程で「そうだったのか」と新しく気付くこともある。振り返るのは面白いです。子どもたちの良いところをたくさん気付くことができる。
ブログを書いていると、なんだか我が子に会いたくなってしまいます。私の子育てにも影響してくるんですよね。
さて、3歳児の物語はなんとまだちょうど「半分」です!
仲良くなった3歳児、ついに七夕まつりの準備に取り掛かります。