3歳児の七夕まつりプロジェクト、まだまだ子ども同士の関係がぎこちなく、ここから一体感が生まれるような遊びができるのか。今後の展開から目が離せません。物語が大きく動き出す第二回のスタートです!
♯2
男の子たちは腕に牛乳パックをはめて遊ぶことが多いのですが、この2人は足にはめてブーツにして歩いています。
2人の世界には誰も入れません。
今日も腕に牛乳パックをはめて追いかけっこをする子ども達。セロハンテープで遊んでいた子にぶつかってしまいました。
そのままセロハンテープで女の子をぐるぐる巻きにしようとします。
女の子を守ろうとする男の子。実は前回もピッタリそばにいたんですよね。騎士と書いてナイトと読む。女の子を守る遊び。ヒーローごっこなのかもしれません。
「ありがとう」
「うん」
仲良くなる2人。それを見つめる前回の主人公の男の子。
3歳児クラスで切ない物語が始まりました(そんなわけない)
追いかけっこをしていた子たちは、前回から特定の子を捕まえる遊びをしていました。そして今日は新しいターゲットとして放心状態というか傷心状態の男の子を見つけたようです。
男の子は何をされてもされるがままになっていて、抵抗しません。
追いかけている子たちはギャングみたいですね。ちびっ子ギャング。理由なく、追いかけて、捕まえる。
「大丈夫?」
ギャングによって肩につけられたセロハンテープを外してくれました。
自分もさっきまで捕まって倒されていたのに。なんでだよ。なんでそんなに優しいんだよ。
ほっといてくれよ。僕に優しくしないでよ。僕はもうどうなってもいいんだ。
無言で去っていく。
お礼を言うこともできなかった。本当は嬉しいのに。
僕はいつも素直になれない。
一方、エンジェルを守るためにナイトになっている男の子は、両手に牛乳パックをはめている左の女の子がエンジェルを攻撃してきたと勘違いし、先手を打って新聞紙で攻撃しています。
愛ゆえに誤解が生じ、愛ゆえに憎しみが生まれる。
ああ、愛なんて存在しなければいいのにッ・・・!
ナイトにやられてテンションが上がったのか、傷ついたのか、走り出す女の子。1人になりたかったのかもしれません。これまで2人組でずっと遊んでいましたが、ここに来て関係は決裂。近すぎると距離を置きたくなる時ってありますよね。
後ろの子が何度名前を呼んでも、走り出した女の子が戻ってくることはありませんでした。
いろんなところでドラマが生まれ、物語が動き出していきます。
何度呼んでも来てくれない。聞こえているはずなのに。
女の子はそんな状況に泣き出してしまいました。それを見つめるエンジェル。人の悲しみを察知する能力でもあるんでしょうか。いつも一番に気がつく子です。
そして次に気がついたのは、素直になれない男の子。
前回、自分が絶望しているときにエンジェルに見つめられていたように、今度は自分がこの子を見つめています。この子はなぜ泣いているのか。その気持ちを推しはかるように。
もしかしたら君は僕と同じなのかな・・・?
寂しいの?
2人は、この子が泣いていることを当事者の女の子に伝えに行きました。
すぐに行動に起こせる。人のためなら素直になれる。
いや、変わってきているのかもしれない。誰かのために、という気持ちが人を変えていく。
一方その頃、ピンクの牛乳パックを持っている子の髪の毛をいじり、三つ編みを編んでいます。
この空間は平和そのものです。今日は誰にも何も壊されていない。争いもない。三つ編みを作っているだけ。前回、喧嘩して仲直りした女の子。今日は穏やかに過ごしています。
ギャングたちも走り回るのではなく、セロハンテープ台を分解してコマを作り、回して遊んでいます。何も考えずに走り回って追いかけ回すのではなく、コマを回す。
結局「回す」のかい!
冗談ぽく書きましたが、実は「走り回る」が「コマを回す」になったことには関連性があります。
子どもの興味関心が「回転」のおもちゃであるコマがブームになっていましたが、そうすると同じような動きにも興味が出てくる。興味は派生し、枝分かれしていく。部屋の中をぐるぐる回るのも、回転遊びからの派生であると考えられます。
回すものがないから自分たちが部屋を回っていたってことですね。こういうの、大人はなかなか気が付かないものです。
コマを回していた子達も三つ編みを作る。
自分たちがやりたいように遊ぶのではなく、誰かのために行動することに喜びを感じる体験。そして、それを誰かと一緒に同じことをすることに喜びを感じる体験。
髪の毛を結び直すのは保育士や保護者の真似というか、再現遊びです。髪の毛を整えてくれるというのは、世話をされるという体験。大人が自分のために、時間と手間をかけてくれている体験。愛されていると実感する体験。それを子ども同士で行う。
お互いに愛を紡いでいく。愛を確かめ合う。
クラス中で、何かが変わっていく。
離れてしまった2人。1人を呼び出して近くで遊びを広げることで、2人の接点を作ろうとする作戦。近くに呼ぶことに成功しました。
直接的に仲直りさせたり自分で解決できるような言語スキルはまだありません。一緒に遊ぶことでしか仲直りはない。だから、まず近くにいないと始まらない。
まず、2人の物理的な距離を縮めます。
どんどん増えていく三つ編み同盟。ここには争いはない。平和そのもの。
そこで一緒に三つ編みをする前回の主人公の男の子。今まで、自分が遊びたいから一方的に関わったり、ものを壊したりしていた。自分中心の世界だった。だからみんな離れて行った。
だけど今日は、誰かのために自分が動いてみた。すると、みんながそばにいてくれる。
そうだったんだ。誰かのために、という気持ちが大事だったんだ。
そして動き出す。
ギクシャクした2人を、遠くから見守る男の子。誰かのために、それが大事だとわかったから。
前回、新聞紙を読むふりをして女の子が見守ってくれていたけど、今日は自分がその役割を担います。
優しさは、伝染する。時間を超えて。
先ほど男の子の首につけていたセロハンテープ。それを仕掛けた子と取り外した子。相反する2人が、2人でセロハンテープを使った新しい遊びを作り出しています。
ロープのように引っ張る遊び。誰かを傷つけない遊び。
そして2人は歩き出す。
みんなのいる方へ。
いや、2人ではなく、1人で現実に向かっていく女の子。男の子の方は後ろへ下がり、女の子を見守る役目を担います。心の中で応援してるんでしょう。
人は誰かが見守ってくれていれば勇気が出てくるものなんです。
頑張れ、僕が見ているよ。
笑い合う2人。仲直りのきっかけになったのはセロハンテープ。
誰かを傷つけるセロハンテープが、誰も傷つけない遊びの道具になり、そして今は心を繋ぐロープみたいになっている。
前回もセロハンテープが、心と関係を修復する役目になっていましたね。牛乳パック遊びだと思っていたら、セロハンテープ遊びだったのかもしれません。
勇気を出して話しかけて、一緒に遊ぶことができました。
さっきまで泣いて待つだけだった子だったのに。自分で自分を乗り越えていく。
だけど歴史は繰り返す。またセロハンテープで誰かを拘束する遊びが始まりました。
前回と違うのは、見守ってくれている人がいること。さっきの女の子が近くでじっと見つめています。
今度はあなたの番だよ。あなたの勇気を見せて。
「やめなよ!」
またもや助けに来たのは坊主頭の男の子。どこまでも優しく、行動力がある子。
間に入り、男の子を守ります。
しかし、返り討ちにあってしまいました。
床に倒され、セロハンテープで拘束されそうです。
助けてもらった男の子は逃げてしまいました。だから写真には映っていません。
これでいいのか?
いつも助けてもらうだけで、僕はまだ何も返せてないじゃないか。
逃げちゃダメだ。
勇気を出すのは「今」なんだ!
「やめろー!」
勇気を振り絞り、両腕を挙げ、ついに助けに入る男の子。
この間はこのポーズで仲間に入ろうとして失敗したけど、今度は違う。僕の意思で、この争いを終わらせる。決定権を相手に委ねず、自分の意思を表明することで存在感を出しています。
これが主体性。物語の主人公になるということ。彼は今、自分の人生をいきいきと生きている。
そしてそれを見守る女の子。
人は誰かに見守られている時に、勇気が出るんです。
2人は交互に見守り、応援し、その気持ちに応え、それぞれの現実に立ち向かうことができました。1人では決して解決できなかった。
気持ちもコミュニケーションも一方通行だった3歳児クラス。ここにきて双方向に動き出し、新しい何かに生まれ変わろうとしています。
第二回は以上です。
人は見守られていると勇気が出る。やさしさが連鎖していくストーリーになっていましたね。
逆に、前回もそうでしたが、マイナスの感情も連鎖する。この集団の関係や流れを理解しないと、クラス全体がマイナスの方向へ引っ張られてしまう。例えばギャング集団の遊びが流行してしまうとクラス全体が人を傷つける集団に育ってしまう。子どもには善悪がないからです。
だから、マイナスをプラスに変えていくような毎日が必要です。では、プラスとは何か。それは他の学年でもそうでしたが「優しさ」や「愛」。そしてそれを実行するための「意欲」です。それが連鎖するような毎日を保育士が作る。それしかありません。
「優しさ」や「愛」は三つ編みから生まれました。2人の成長物語の背景には、みんなで三つ編みをするという愛を確かめ合う雰囲気がありました。そういう意味ではみんなで作り上げた物語だったと言えます。
さて、これを読んでいるみなさんの中では「ギャング」が気になっている方もいるかと思います。この子たちはどうなっていくのか。第三回では彼らの物語が展開していきます。