3歳児クラスの七夕まつりプロジェクトです。3歳児ですから話し合って課題に向かって進めていくことが能力的にできません。みんなで遊ぶ活動を何回か行い成長を促し、その中で七夕まつりにつなげていくことを目指します。
そう思って始めた3歳児の遊びですが、なかなかの問題作が誕生してしまいました。このシリーズでは、前半にショッキングな描写が出てきますが、変化していく子どもたちを信じて最後まで読んでいただけたらと思います。
♯1
牛乳パックと新聞紙のみで遊ぶという環境設定です。新聞紙より牛乳パックの方に子どもたちの興味があるようですね。
走って追いかけっこをする子が多く、落ち着かない雰囲気です。昨年度まで乳児クラスで小さいお部屋だったから、幼児クラスになって大きいお部屋に来たら走りたくなるのもわかります。
新聞紙を布団のように使って遊ぶことは、子どもの中ではよくあることです。スタートしてすぐにこうなることはあまりないけど。
走り回っている子、奥でセロハンテープに夢中の子、そして新聞紙で寝ている子。スタートはこんな感じですね。
新聞紙に1人で寝ている女の子に近づく男の子。隣に来て一緒に寝ようとしています。
男の子が隣に寝た瞬間に女の子はスッと立ち上がり、場所を移動。
え?そんなに嫌だった?どういうこと?
1人でいたかったのかな。
電車で女性の隣に座ったらすぐ席を移動されたという体験を思い出すなぁ。すごく拒絶された感じがするんですよね。何もしてないのに。
うんうん。君の気持ちわかるよ。そんな顔にもなるわ。
両手に牛乳パックをはめて追いかけっこをする男女の集団。その進路を塞ぐように待ち構え、仲間に入ろうとするさっきの男の子。
今度は大丈夫かな?
ダメなんかーい!
どういうこと?こういうクラスなの?私が知らなかっただけ?
背中が寂しすぎるって!
まぁ、「入れて」とか言ってるわけじゃないし、偶然追いかけっこ集団が進路変更しただけかもしれないけど。もう少し様子を見てみましょう。
さっきの男の子、他の子たちが集めていた牛乳パックを破壊し始めました。
それ、八つ当たりだよね?
しゃがんでいる子から「やめて!」と何度も言わてるのに破壊し続けます。
人は悲しみを怒りで誤魔化して生きていく生き物なのです。
今度はもっとたくさん牛乳パックを大量に集めている子のところへ移動して、やっぱり破壊する。
みんなが自分を仲間に入れてくれないから、嫌われるようなことをしてでも自分に向いてもらおう。そういう無意識の動きになっています。
「孤独」が一番人をおかしくさせるんです。
集めた牛乳パックを壊された2人は移動し、新聞紙をセロハンテープで修理するという遊びに夢中になっています。壊された心を「修理する」という遊びで回復させようとしているんですね。
八つ当たりで壊し続けたものの、結局みんないなくなった。
ゆっくり近づいてもダメ、目の前に現れてもダメ、相手が嫌なことをしてもダメ。
どうすれば僕を見てくれるの?
流石に心配になった保育士がそばに駆け寄りました。
そこへ最初に寝ていて移動した女の子。トイレの後に手を洗い、そのままじっと彼を見つめる。
どんな気持ちなのかを探るように。
あの子が僕を見ている・・?
でもどうせ離れていくんでしょう?
彼はもう誰も信じることができないのです。
女の子が男の子のことを心配して、同じように腕に牛乳パックをはめています。一緒に遊んでくれようとしているんです。
だけど、一度拒絶された相手に、心を許すことはできない。
僕は弱いんだ。
セロハンテープは心の傷も治す。やってきたのはセロハンテープの置いてある部屋の端っこ。そこで特に意味もなく牛乳パックにセロハンテープを貼っていきます。
そばには心配して座るさっきの女の子の姿が。新聞読んでるふりをしながら、横目で気にしています。3歳児って新聞読むふりするんですね。文字読めないのに。
さっき集めた牛乳パックを壊された女の子がやってきました。男の子がテープを貼っていた牛乳パックを奪って中身を確認しています。牛乳パックの中に何を入れたのか気になって手に取ってしまったようです。
「返して!」
力づくで取り返しました。心の底では仲良くしたいのに。
そしてまた僕の元から去っていく。
みんないなくなるんだ。
同じようにみんなから離れて1人で遊んでいる子が。
しかし、無理に誰かと繋がろうとしている様子はありません。
むしろ1人の時間を利用して、積み木のように遊んでいます。これはまだ誰もやっていませんでしたね。
必ずしも1人で遊んでいることが良くないとか、問題であるということにはなりません。1人の時間も大切ですし、1人だからこそ生まれるアイデアや気付きというものがあります。
大切なのは、1人の時間も誰かといる時間も、どちらも楽しめるということではないでしょうか。
その後すぐに移動して、誰かと一緒に笑うことができています。1人も誰かといる時間も楽しめる。それが健全な心の育ちです。
さて、ベンチで新聞読むふりをしていた子の横に、さっき1人で遊んでいた子が座りました。すると、追いかけっこをしていた子もその隣に座ります。
ベンチという存在が、何をするわけでもなく、人を集めていく。一緒に座るという体験そのものが、集団遊びの前段階です。
しばらくしてベンチに座るのがブームになる3歳児たち。たまたまベンチに座っていた男の子の横に、さっき去っていった女の子が座ろうとしますが、男の子は押し返して座らせません。
嫌なことをされたというお互いの心が、反発を生み、素直になれず仲直りをすることができないのです。
モヤモヤした気持ちを発散するかのように、今度は自分が別の子の作ったものを破壊しに行く女の子。
この負の連鎖を止めることはできないのでしょうか。
そこへ現れる、ずっと心配していた女の子。みんながテープで修理した新聞紙を男の子に見せます。
壊れてしまったものも、修理できるんだよ。
そんなメッセージなのかもしれません。
その後、再びベンチに一緒に座るチャンスが。
今度は仲良く一緒に座ることができました。
この時間内に仲直りができてよかった。そして、ベンチに誰かと一緒に座るという体験は、自分が孤独じゃないってことの証明になるはず。
君は1人じゃない。喧嘩した子とだって仲良くできるんだ。
集まってみんなでカーテンに隠れます。暗闇を共有する。狭い空間を共有する。
だんだんと一緒に遊ぶための準備が進んでいるようです。
そのまま片付けも一緒に行います。
喧嘩しながら仲良くなっていく。それが友達というものなのかもしれませんね。
2人とも嫌な想いをした後、八つ当たりのような形で他の子の物を壊す行動に出ていました。その場面だけを切り取って大人が叱ると「自分が嫌な想いをしたときは相手を叱ってくれなかったのに、自分がやったときだけ叱られる。ということは僕は愛されていないんだ。」という理解が深まってしまいます。
叱る前に、注意をする前に、ネガティブな評価を下す前に、保育士は「なぜ子どもがそのような行動に出たのか」に想いを馳せ、その子を理解しようとする姿勢が重要です。その上で叱るときは叱れば良い。それがないと目立つ子や要領の悪い子だけ叱られるということになってしまい、その子達の心が歪んでしまうからです。
だから、子ども達を良く見ておかなければならない。遊びを見ている時も大人は全力で、必死に何が起きているのかを理解し、導いていく努力を怠らない。そういうことができれば、子どもはのびのびと育っていきます。
仲直りのきっかけは、君のおかげ。
ありがとう。
思っていても口には出せません。
お互いに無言で片付けをしていく2人・・・。
これからどんなドラマが彼らに待ち受けているのでしょうか。今後の展開から目が離せません!
というわけで、第一回はこんな感じです。なんかみんなギクシャクしていて、遊びも深まることはなく、集団遊びにもなりませんでした。導入ですから、こんなものです。
そして今日の出来事を下敷きに、次回、至るどころでドラマが生まれていくのです!