2歳児と3歳児クラスの合同プロジェクト。自由遊びが目的を持った協力する遊びに展開していくのか。協同遊びができる力の下地を作っていく新シリーズ。第二回はいよいよ遊びが深まっていく様子を解説していきます。
♯2
前回と同じ環境設定でスタートします。大体、同じところに行きますね。前回の遊びをすぐに思い出して続きをしようとする子もいますが、低年齢になればなるほど目の前の刺激に反応してしまうものです。毎回同じ場所へ行くのはそういうことです。
一度経験すれば、不安はある程度解消されます。大人でもそうですね。一回経験しているのか、していないのかで大きな差があります。今回は2回目ですので、ある程度不安が解消されているので遊びに動きが出てくるという予測ができます。
箱を作る子と、ダンボールに詰めて並べる子。違う遊びを一緒に行っている。並行遊びと1人遊びの中間くらいのレベルの遊び方です。3歳児ですがまだ乳児に近いレベルの遊び方です。
前回はロッカー前から動けずに壁を作っていたり、ダンボールを家に見立てて中にいた子たちが、壁の外に出て遊んでいます。お互いの存在が安心感になっているからできることです。大人が安易に安心感を与えるような関わりを前回しなくて良かったということが、この成長を見ればわかります。
そこに前回家の中に入ってきた2歳児の子が、今回も同じように詰めたマットの上に乗ってきました。どうやら、なんでも興味を持つ子のようですね。前回と同じように、2歳児に対して言葉でどいてほしいことを伝えますが、全く効果がありません。
どいてくれたと思ったら、今度はジョイントマットで作った箱の中に勝手に入ってしまいました。優しく声をかけていますが、反応がありません。
マットで遊んでた子は心が折れていますね。赤い風船をいじるだけ。このあと、箱も壊されてしまいました。
その様子を撮影していた私のところへ来て、こんな感じです。この反応で気がつきました。この子は自分がやったことが3歳児の女の子たちによく思われていないことがわかっている。何がいけなかったのかは年齢的に理解できないけど、相手のマイナスの感情だけを感じ取り、自分で気持ちを処理できていない。
一緒に遊びたかっただけ。お姉さんたちの遊びが面白そうだからやってみたかっただけ。この子の好奇心と行動力、そして悲しみ。今日の流れを作るのはこの子になると確信しました。
というわけで、その5秒後には、こうなっています。瞬間移動したかと思うほどのスピード。大物になる予感しかしませんね。面白い。
避けるとか、対処することができないほどの超スピードで動くため、男の子たちも何が起こったのか理解できていない。車に見立てたダンボールにプラポイントの小さい丸や風船を入れて運搬している時の出来事でした。
集めても壊される。作っても壊される。それを前回と今回で学んだので、電車ごっこに切り替えて遊び始めました。良い判断です。これこそ破壊の後の創造。破壊的イノベーション。
物にこだわる傾向にあった2人が、物を手放して人とのやり取りを楽しんでいる。あの2歳児の子のおかげで、一つ上のステージへ駆け上がっていきます。
「これがほしかったの?」と自分が集めた丸を渡す3歳児の男の子。満足そうにそれを受け取り、カーテン裏に丸を隠す2歳児。正しい見立てだったようです。
なぜ飛び乗ってきたのか。何がしたかったのか。他人の遊びを邪魔しているという視点ではなく、あの子が何をしたかったのかに思いを馳せ、考え、仮説を立てて実行する。
まさか3歳児が一瞬でこんな対応をするなんて、にわかには信じられませんでした。これも2歳児のあの子の力なのかもしれない。場に影響を与えるタイプ。自然と周囲を成長させるタイプの子なのか?
今日は大きく動きそうです。期待が高まります。
2歳児の子に丸を渡し、そのまま後ろを向いたと思ったら、泣いている3歳児の女の子に駆け寄り「どうしたの?」と声をかける。涙を拭き、笑顔を見せる。
少女漫画に出てくる王子様みたいなキャラになってきましたね。自由を追い求めるタイプだったのに3ヶ月でキャラ変したようです。
これだって、さっき2歳児に優しくしたテンションだったからからもしれません。普通に車で運搬する遊びをしていたら、この子に反応しないで自分の遊びに集中したでしょう。
確実に場の流れが変わってきている。
カーテンに丸を隠していたら他の2歳児たちが集まってきて、カーテンにくるまって、いないいないばぁ遊びが始まりました。
遊びを確実にあの子が作り出しています。
「これでしょ?」と泣いていた子が探していた赤い風船を見つけてきて渡す。イケメンが止まりません。
優しさが部屋中に広がっていく。
そろそろ大丈夫かなぁと思ってジョイントマットを収納する遊びを再開したと思ったら、はい、また同じことになってしまいました。
この子は瞬間移動できますからね。さっきカーテンのところにいたのに私がイケメンの写真を撮っている間に、もうこの状態です。
箱があったら入りたい。やっぱり箱に入ってしまうんですね。実は床に転がっている黄色の丸を拾いにこっちに来たついでに箱に入っただけです。この子の行動の動機は一貫している。プラポイントの丸を探している。
前回から数えて3回目の不法侵入に泣き出してしまいました。まぁ。そうですよね。年下に怒ったりしないのは偉いけど、あまりにも理不尽です。子どもの世界は残酷です。言葉で伝えてもダメだったという体験を、この子たちが次にどう生かしていくのか。
その一部始終を見ていた2歳児の男女。あの子の丸をカーテン裏で守っています。
「○○ちゃーん」
「おいでー」
座りながら2人が声をかけますが、落ち込んでいるあの子の耳には入りません。聞こえないとわかったのか、自分たちから近づいていきます。
2人は近くまで来て、「おいで」「あっち行こうよ」と声をかけます。
手を引いて、カーテンの方へ連れていく2人。
実際に3歳児の遊びを邪魔して泣かせたのはこの子です。しかし、その行動をしたことに傷ついていることを2人は見抜き、その場に1人でいるんじゃなくて自分達と一緒にいることを提案したのです。動けない子のところにわざわざ出向き、手を引いて隣に座らせる。そして笑い合う。
写真と文章でこの感動が伝わりますかね。見ていた私はもう涙を抑えることができませんでした。2歳児ってこんなことできるんだという驚き。そして無限の可能性。偽りのない愛。
3歳児の方は保育士が話を聞き、抱きしめています。つまり、2歳児の方の心のケアが必要な状況だった。どちらが悪いとかじゃない。2歳児という善悪もまだはっきりしない年齢だからこそ、こんな純粋な愛が生まれてくる。
その後も各自の遊びは続きます。前回、段ボールの中に入って蓋をする遊びを1人でしていた子。今日も同じことをしていますね。
いろんなところで物の取り合いが起こります。中央にいるのは取り合いで負けた子です。それを見て、ダンボールの中にいる場合じゃない!とばかりに動き出しました。
心配して頭を撫でつつ、状況を見守ります。自分の遊びより、友達の悲しみを優先する。この子はそういう子になっていく気がします。
2歳児クラスというのは、こういうことがよく起こるわけです。発達段階として物の取り合いがよく起こる。理由は、自分と他人の意識が明確になるから。所有の意識が強くなる。この場合、物の貸し借りや共有する遊びをたくさんすることで、うまく遊べるようになっていきます。
こういうトラブルを大人が全部入って解決すると、何にもなりません。大人に怒られたかどうかだけの理解になってしまう可能性がある。自分で解決することができなくなる。必要に応じて保育士が間に入りますが、今日はプロジェクトの日ですので、いつもより子どもだけでの解決を待ちます。
こっちで遊ぼうよ、という意味でしょうか。プラポイントを笑顔で差し出している男の子。2歳児クラスの子はみんな優しいんだなということがよくわかる日でした。
4回目!
3歳児が集めていた丸が入っているダンボールの中に入ってきました。やはりプラポイントの丸を求めているのはこれで明白ですね。取られないように抑えていますが、やっぱりこれが欲しいみたいです。
さぁ、どうする3歳児たち。時間も残り少ない。ここで解決できるのか。保育士が息を呑んで見守ります。
その場にいる3歳児たちが言葉で会話をせず、目で会話をしている。
どうする?
渡した方が良いんじゃない?
争うのは良くないよね。
私たちはお姉さんなんだから。
そんな会話が脳内で展開されてるような雰囲気です。争う雰囲気や嫌な雰囲気を出さずに、ただ見守る3歳児女子たち。
そのうち、2歳児は揉めることもなくその場から離れていきました。争わないという選択。自分たちが大人になることで、下の子を自由に遊ばせて見守る。3回のトラブルを経て、大人の対応を身につけたようです。3歳児の成長恐るべし。
今度は3歳児の男の子のところへ。
「一緒に遊ぼうか」そうしゃべったわけじゃありません。言葉じゃない。目で分かりあう。
このあと、この子を車に乗せて押して遊ぶ3歳児男子たち。ダンボールの中に入ってきたのを利用して一緒に遊ぶ。自分達も運ぶ遊びをしていたから、それは遊びの邪魔をしてはいない。むしろ、同じ遊びを一緒に行うことができている。
ここでちょうど片付けの時間となりました。
3歳児の男の子たちも、女の子たちも、それぞれに成長を感じられた回となりました。
異年齢における保育をやろうとすると、結局同じ学年で固まって遊ぶことになったりすることが多いんですが、下の学年の子が空気を読まずに色々動き回ってくれると、全体の人間関係や遊びが変化して、良い感じに混ざり合っていくことがあります。今回はまさにそういう感じでしたね。
結果ではなくプロセスを評価する。お友達のものを取るとか、遊びに邪魔になることをすることイコール「悪」ではないということです。それぞれが成長すれば良いんです。人生は長い。人は失敗から学ぶ。幼児のうちにたくさんの経験を積ませていきましょう。
箱に入ってしまう子もみんなの優しさに触れ、後半は揉めることもなく遊べています。教育とは愛なんだなということがよく分かる。注意とか、叱るとかだけが教育じゃないんです。
全員が成長できる環境にしていく。そういう場にすることが教育的で、集団で生活する保育園が存在する意味だと思います。
この子どもたちの優しさがこれからどう変化していくのか。次回に続きます。