3歳児の新聞紙遊び、最終回です。物語は誰もが想像できない方向へ。ドラマを見ている気分でお楽しみください。

 

♯3

お尻を拭いてもらうプリキュア

ついにおむつ替えをしてもらう遊びになってます。全介助の状態です。新聞紙でお尻を拭いているようです。この子は保育士さんですかね。ずっと世話をしてくれます。

 

覚えていないの?

久しぶりに2人で再会。立っていたら人間と思われるから、4足歩行で相手に合わせて接触を試みる。仲良くしたいという気持ちの表れです。

 

しかし、前回自分を倒したプリキュアを見て怪物は吠えて威嚇してきます。

 

 

怪物には怪物の生活がある

人間たちと離れ、怪物同士で暮らしているようです。2人の世界。

 

第二回で男の子から託された「何か」のこと覚えてますか?

第二回ではそれが何だったかわからなかったんですが、今回それがわかりました。

正解は今左手に持っている新聞紙です。これを丸めていたんですね。

 

 

そんな偶然あります?

丸めていた新聞紙を広げると、そこに書かれていたのは

 

「ウォーキングデッド」

 

えええええ!

噛まれて感染する怪物って、ゾンビのことだったってこと!?

 

そしてそれをずっと大事に持っていたわけですね。自分たちのルーツを。

 

ウォーキングデッドって、海外のゾンビのドラマでしたよね。そういえば第一回でディズニーチャンネルの新聞紙を広げてましたね。そんな伏線が貼られていたとは。

 

ゾンビと人間。わかり合える日は来るのでしょうか。

 

 

悲しみの果てに

ゾンビ同士仲良くしているのを悲しい目で見つめる人間のプリキュア。心ここに在らず。

ゾンビと仲良くするのも、プリキュアの、ヒーローの務めでしょうか。

それとも仲良くしたいのは、相手が大好きな人だから?

 

ドクターがいるのは思い出の場所

保育士さんに連れてこられたのはスーパードクターのいる病院。内科検診という言い方でしたが、やってることは治療そのものです。

 

「痛いところはありませんか?」

「はい、もう大丈夫ですよ」

 

治療は完了したようです。前回はドクター不在で病院には看護師さんしかいませんでしたね。今回の遊びではドクターがいる。細かいようですが、これで遊びの展開が変わることが予想されます。全介助になってしまってオムツを交換されていたけど、これからは自分の足で立ち、歩いていけるはずです。

 

 

そういえば、ここで狼から2人を庇って怪我をしたんだっけ。

2人に初めて会った場所。

 

また、ここから始めよう。

 

元気になって向かった先は…。

 

カーテンで私の心も隠すの

ゾンビと接触を試みます。でも、他の人に見つかってはいけない。

人間とゾンビは仲良くしはいけないのだから。

それともあの子にバレないように?

 

あの子は今、お店屋さんで働いている。

 

見つめ合うと素直にお喋りできない

「え?」

 

仕事が終わって振り返ると信じられない光景が。

見つめ合う2人。

友達は目を閉じて見てないふりをしている。

彼は下を向いている。何も語らない4人。

 

揺れる想い

彼からもらったウォーキングデッドの新聞紙をバラバラに引きちぎります。

怒りと悲しみ。自分でもこの気持ちをどうしていいかわからないのかもしれない。

 

私とはゾンビ同士だから一緒にいただけなの?

だったら、こんなもの、もう意味がない。

 

ゾンビの、仲間の証を引きちぎる。

 

 

さだまさし?

いつの間にか場所を移動しているゾンビ2人。

カーテンの後ろに隠れています。

さっきのことをがあったから仲直りしているのかもしれませんね。

 

手には「さだまさし」

さだまさし?

 

思ってたんと違う!

ゾンビ2人じゃないんかーい!

いや、この子も前回噛まれて感染していたから、ゾンビはゾンビか。

お友達ポジションだったんじゃないってこと?

まさか、この子も?

 

男の子の顔に注目(どういう感情?)

さっきと同じ。この状況に遅れて気が付きました。

 

「ここにいたらいけないんだよ、出て」

「やだ」

 

押し問答を繰り返しますが、2人は出る気がないようです。

 

 

私の勝ちよ

ゾンビの男の子は別の場所へ移動してしまいました。

残されたゾンビ女子2人。

 

去り際に勝ち誇った顔でチラっと見てその場を去っていく。

ウォーキングデッドはさだまさしに敗北したのです。

 

 

身体は治っているはずなのに

ドクターによって身体は治してもらった。歩けるようになった。でも心が追いつかない。看護師さんと保育士さんのところへまた戻ってきてしまったようですね。

 

 

私は一人じゃない

気がついたらまた、外へ出てしまっている。そうよね。

みんな私を心配している。

 

私は一人じゃない。ゾンビとか人間とか関係ない。

 

私は私。

 

ありのままに生きるの。

 

 

もうあの頃には戻れないのね

近くに行ってもあなたは去っていく。

私のほうを見てくれない。

 

 

別れの予感

場所を変えて、新しい生活がもう始まっているようです。

 

ゾンビ3人の関係はもうすっかり変わってしまった。

 

でもこの生活も長くは続きませんでした。

どこかへ行ってしまうゾンビの男の子。

 

 

あなたは自由な人

あなたを縛ることは、誰にもできない。

 

もう外の世界を見ている。

あなたの目には私は映らない。

 

あなたはいつも、どこか遠くを見ている。

 

自由な人。それがあなたの魅力。

 

 

ありのままの姿見せるのよ

「ありのーままのーすがた見せるのよー」

歌いながら自由に走り回るプリキュアあらため雪の女王エルサ。

それを見つめる一人になってしまったゾンビの女の子。

 

ゾンビの男の子は自由に生きている。

雪の女王も自由に生きている。

 

じゃあ、私は?

 

私が本当にやりたいことって何?

 

 

あたしたち、ズッ友だよ!

笑い合う2人。

どうやら、仲良しの関係に戻ったようです。

 

雪の女王エルサの自由に生きる姿は、ゾンビ女子たちの心も解放したようです。

 

ちなみにディズニーチャンネルの新聞紙を見ていたからエルサが出てきたんでしょう。全ては第一回から決まっていたんですね。

 

 

男ってバカな生き物

「どーん!」

部屋に響き渡る大きな音。

男の子たちが遊んでいて、箱をひっくり返してしまったようです。

ゲラゲラ笑い合っています。

 

 

やれやれって感じだわ

仕方ないなぁって感じで片付けを手伝いに行くゾンビ女子2人。

人間の男の子たちの中にゾンビの女の子が入っていきます。

 

人間もゾンビも関係なかったんだ。

みんな友達なんだ。

 

ここが新しい、私たちの居場所。

 

 

まさし

ゾンビ女子が持っていた、さだまさしの新聞紙。

 

アオハル?

青い春?

青春!

 

さだまさしは青春の象徴だったんですね!

 

まさにこのドラマは青春そのものでした。涙あり笑いあり、友情物語。

 

 

青春の終わりに

青い髪留めをつけたプリキュア(雪の女王)は、さだまさしの新聞紙(アオハル)をごみ袋に入れたのです。

 

そう、青春の終わりを告げるかのように。私たちの青春は、これでおしまい。

 

 

6月。春が終わり、だんだんと夏の気配が近づいてきている。

 

もうすぐ、夏が来る。

 

 

おしまい。

 

 

 

新聞紙遊び、いかがでしたでしょうか。

新聞紙関係ないじゃん!というツッコミが聞こえてきそうですが。

 

半分ふざけてますが、半分本気です。解説します。

 

ゾンビと人間に種族が分かれていてお互いに交わらないというストーリーにしていますが、実際にゾンビチームと人間チームで分かれて遊んでいます。第二回の追いかけっこまではみんなで遊んでいましたが、ちょうどプリキュアがゾンビを倒したあたりから、バラバラの遊びになっていきました。バラバラというか、正確にはゾンビと人間に分かれて遊んでいる感じです。プリキュアの子が2つの集団の間を行き来する立ち回り方をしていました。

 

プリキュアの子は青い髪留めの子。345歳児合同の遊びでは黒ヒゲの人形を届けるなど様々な遊びや人間同士を繋げていますが、今回もゾンビと人間をつなげる役目を担っています。

 

しかし、彼女は物語後半で「つなげる」という役目から降り、自分のために自由に生きることを選択しました。345合同遊びでは誰かのために無意識に立ち回っていて自分の遊びをしていなかったことを私は気にしていました。それが今回、ついにエルサになってありのままに自分の遊びたいように遊ぶようになったのです。

 

その結果、他の子どもたちが主体性を発揮し、それぞれが繋がっていきます。人間とゾンビが交わって新しい居場所になっていくというストーリーと同じように、みんなで遊ぶようになっていったわけです。一方的な誰かの頑張りで繋がる関係性ではなく、みんなが自然に繋がる。とても素敵なことだと思います。

 

 

また、特定の誰かと遊びたい。独占したい。それが男女でなくても、3歳児から4歳児にかけて、人へのこだわりというか、人への執着が出てきます。「○○ちゃんの隣が良い!」とか、そういう状況はよく目にします。

 

今回でいえばゾンビの男の子ですね。彼をみんなが取り合う。だけど、肝心の男の子の方は誰かに執着して遊ぶわけじゃない。自由に遊びたい。誰と遊ぶのかではなく、何をして遊びたいかが優先される。年齢的にはそれが普通です。

 

こうやって、仲良く遊んだり、ときには違う子と遊んだり、そういう様々な人間関係を体験しながら子どもは成長していきます。みんな平等に、誰とでも仲良く遊ぶことを子どもに強要するのは大人の価値観の押し付けです。大人だって誰とでも仲良くするわけじゃないですよね。

 

誰かと遊びたいと思うのも自由。ときには誰かと遊ばないのも自由。一人でも良いし、第一回のラストみたいに全員で遊ぶのも自由です。

 

 

新聞紙遊びにも触れておきます。保育士は新聞紙遊びというと、ビリビリ破ったり丸めたりという感覚運動遊び、何かを作ったりする工作遊びを想像する。

 

しかし、遊び方は自由です。足を真っ黒にするのでも良いし、バリケードとして何かを覆うのも良い。新聞紙の文字や写真から何かを感じ取って演じる遊びでも良いし、お尻を拭くのに使っても良い。

 

初回では全員で遊ぶという素晴らしい展開だったのに第二回と第三回はバラバラに遊んでいた。これは遊びが広がっていないし、一見何が行われていたのかさっぱりわからないので、失敗だったのではないかと考えがちです。しかし、そうじゃない。これは3歳児から4歳児特有の人への執着という問題を中心に置いた、人間関係の学びになるような高度なごっこ遊びだったという解釈ができます。

 

子どもの世界は面白い。その不思議な世界に大人が足を踏み入れるには、私の妄想のような自由な発想と遊び心が必要なんです。

 

さて、実はこの物語はこれで終わりではありません。次回の七夕まつりプロジェクトが完結編となっています。

 

ゾンビと人間が共存する世界で、この子たちがたどり着く結末にご期待ください。