5歳児クラスの新プロジェクトは3ヶ月がかりの大型企画となりました。ちょうど世間ではオリンピックとパラリンピックが盛り上がっていた頃です。

 

園内で「オリンピック」を開催するプロジェクトです。「運動遊びの楽しさ、チームでスポーツを行う楽しさを感じてもらうこと」と「人間関係スキルの向上」が保育士側のねらいです。

 

七夕まつりでは店員さんとしてお客さんをもてなすという視点で遊びましたが、今回は自分自身がプレイヤーとして成長することを目指します。お店をどうするかとか水がどう流れるのかという外側にあるものへの試行錯誤とは違い、自分自身に向き合い、お友達に向き合うことになることが予想されるわけです。

 

途中、子どもたち同士のトラブルの話が出てきます。不安に思う方もいるかもしれませんが次の投稿の後編も含めて最後までお読みいただければ納得していただけるはずです。

また、いつもより一つの投稿が長めになっていますのでサクサク進めていきたいと思います。それでは、いってみましょう。

 

 

#1

 

初回は導入ですので、チーム戦と個人戦の運動遊びを行なってみました。

キャタピラーレース

輪っかになっているマットの中に入って、ハイハイで進むレースです。途中でマットが分解してしまったらチームみんなで助けに行って直すというルールになっています。チーム戦の導入として、適度に助け合う要素が入れています。

 

バランス歩行

個人戦として頭の上にコーンを乗せて落とさないように歩くというゲームです。カメラの後ろが大きな鏡になっており、先頭の子は鏡に映った自分を見ながら調整して歩くとうまくいくということを直感的に理解して行なっていました。

 

身体の軸を作る運動は、非常に重要な感覚運動です。この時間は大きなお部屋を他のクラスが使用しているため、狭い部屋でも最大限の運動効果を出せるようなメニューを保育士が考えています。

ちなみに先ほどのキャタピラーについても、ハイハイで進むので上半身を中心に鍛える要素があります。

 

 

オリンピック競技を決める

オリンピックはどういうものか、どんな競技があるのかを子どもたちに聞いていきます。そのあと、保育園でできる競技として何があるかをみんなで検討していきます。話し合いもすっかり板について来ましたね。後ろ姿でもそれがわかります。

 

 

#2

 

二回目は前回話し合った競技を実際に試してみようということで、集団競技と個人競技を練習していきます。

 

コーン取り競争

競技名は最後まで決まりませんでしたが、とりあえずコーンを取る競争なのでコーン取り競争と名付けておきます。ルールも子どもたちと考えていくので荒削りなままやってみました。チーム戦のはずが、結局個人で動くだけで集団としてのまとまりはありません。

作戦を立てて役割分担をするとか、勝利の喜びを共有できるようになるとか、集団としてのまとまりや成長が出てくるかが今後の見どころです。

 

 

ハードル走

こちらは個人競技のハードル走です。片足で跳ぶというより両足跳びをしていますね。スピードを出すにはどうすれば良いかの工夫はまだ見られません。

 

他にも跳び箱とか鉄棒、ネット潜りや縄跳び、フラフープなんかを一通りやってみました。どの競技を本番で行うのか、まずは全部試していきます。

 

こうやって振り返ってみると、この段階では子どもたちも保育士も、とりあえず色々やってみている段階から抜け出せていませんね。このプロジェクトの方向性もわからぬまま進んでいる感じです。

 

 

#3

 

第三回でちょっとした事件が起こりました。その一部始終をご覧ください。写真多めで解説します。

 

チーム名決め

この日は前回から日にちが空いているのもあり、本格的にオリンピックプロジェクトを進めるという意気込みで職員も子どもたちも気合が入っていました。

3チームに分かれて練習を開始します。まずはチーム名を決めるという流れにしてみましたが、それがチームの結束を作ることにつながりました。名前をつけると愛着が湧きますよね。チーム名をつけることで、なんとなく自分達は仲間であるという雰囲気になります。

 

遊びとスポーツの違いってなに?

コーン取り競争の準備を子どもたちが行っていますが、前回休みだった子にとっては今何をしているのか分かりません。てっきり、ここにあるもので自由に遊ぶ時間かなと思ったのか、マットを指定の場所から持ち出してしまいました。

「それはこっちに置くんだよ」

「なんで?」

何人かの子どもたちが教えてくれますが、何の話かわかりません。自由遊びの時間だと思っているんですね。

しかし、周囲の子どもたちの顔は真剣です。なぜなら、これからスポーツの試合をしようと思っているからです。進行を邪魔されたと思っている。

 

遊びとスポーツ。目的が違う。大人からすればなんとなく遊びとスポーツの違いはわかりますが、幼児には難しいですよね。

遊びは楽しいかどうかに価値があります。スポーツも楽しいかどうかは大事な要素ですが、ルールが絶対に必要不可欠です。もっと言えば全員で同じルールを共有するという前提条件が必要。スポーツをするために「ルールの共有」ができるようになるのか。そこがポイントになっていきます。

 

マットを持ち出した子は自分が間違っていると気付き、落ち込んでしまいました。すれ違いなんですよね。誰も悪くないんです。

 

愛、それは引力

競技エリアの中央で落ち込んで寝っ転がっています。他の子どもたちが心配して集まってきました。

 

大人として介入するべきか常に迷いながら、保育士も私も注意深く見守ります。何か大きな変化が起きそうな、そんな予感を感じながら。

 

 

オールフォーワン(みんなは1人のために)

「○○くんがいてくれないと嫌だよ」

「自分で決めればいいんだよ。他の人が決めることじゃないと思う」

「みんなでやらないと意味がないよ」

「一緒にやろうよ」

「やりたくないならやらなくて良いんじゃない?」

 

大人顔負けの議論が展開されます。

 

4月の段階では何かあってもそれぞれが好き勝手に遊んでいてお互いに向き合うことがなかった子どもたちが、今、本音をぶつけ合っている。言語能力の発達だけでなく、心が育っている様子が分かります。

 

 

愛、覚えてますか

みんなに支えられて集団に戻ることができました。しかし、そこで照れ隠しにふざけていたら、目の前の子を怒らせてしまいました。今度は明らかに自分が悪いわけで、真剣な表情で相手の言い分を何も言わずに聞いています。

 

 

好敵手(ライバル)と書いて友(マブダチ)と読む

その後、みんなが準備を再開しました。2人は最初の騒動の発端となったマットに腰掛け、語り合います。

 

「さっきはごめんね」

「いいよ」

 

小さい声ですが、私はしっかりと聞きました。

形だけの「ごめんね」「いいよ」という保育園や小学校でよくある形だけの謝罪と許しではなく、ちゃんと2人の心がつながった感じがしました。

 

 

笑顔の力

その直後の様子です。準備をしていたはずのみんなも集まってきました。そうです。スポーツの準備より、みんなで笑い合うほうが何倍も大事なんです。誰かが悲しんでいたら、自分も悲しい。みんなでオリンピックをやりたい。みんなの気持ちが近くなったような気がします。

 

全力100%のガッツポーズがこちら

みんなの心が近くなったその後のチーム戦では、勝ったチームが今まで見たこともないような喜び方をするようになりました。

 

皆さん、こんなに体全体で喜びを表現する人を見たことがありますか?飛び跳ねすぎてむしろ空中に浮いているように見えますね。本当に嬉しいんだなというのがよくわかります。

 

本気でぶつかり合って、お互いに高め合う。それが嬉しい。大人も子どもも同じです。

 

 

線路は続くよ、どこまでも

みんなでチーム戦ができて本当によかった。自然とみんな近くにきて、くっつきながら片付けます。心が近くなるということは、物理的な距離も近くなるということ。この日を境にこのクラスは新しく生まれ変わっていくのですが、その様子は後編で語ります。

 

 

「雨降って地固まる」という言葉がありますが、まさにそういう展開になりました。しかし、実際は「雨降って地流れる」ことの方が多いような気がしませんか?今回のように良い方向に変化することは珍しいような気がします。

 

大人が介入して人間関係の解決を試みると自分の力で解決する力が育ちません。小中高と進むにつれて担任や大人の助けはどんどん減っていきます。社会人になれば自分で解決するしかありません。大切なのはトラブルを起こさない子ども時代を過ごすのではなく、トラブルを経験し、自分の力で乗り越えていったという体験を積み上げていくことです。

 

何かあっても自分達の力で解決できるという体験を繰り返すことで自信ができ、人を信頼し、自分を信頼できるようになります。トラブルやストレスに負けない子になっていくのです。

 

しかし、まだ未熟な子どもたちだけでは、自分で解決できずに辛い思いをするということも絶対に出てきます。いじめなどは大人がしっかりと見極めて指導する必要はあります。

 

今回のように保育士の目が行き届き一部始終を確認できる環境においては、子どもたちの解決を見守ることを安全に行うことができます。

 

そのためには子どもたちで解決できるのかできないのか、大人がどのようにどれくらい、どういう時に介入すべきなのかを考えながら、心を使いながら見ていくことが必要です。本当にハラハラしました。

 

見守るとは、「見て」「守る」と書きます。見ているだけではダメで、いつでも守れるという大人の意志が必要なのです。子どもに任せすぎてはいけない。このバランスが難しいですね

 

それでは後半へ続きます。